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《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第64回 ―「 日本政治の現状(26) 」―
「くじ」による決定は神意である
自民党参議院議員会長をめぐって、派閥政治を続けようとするグループと、若手改革派の意見が調整できず、初めて投票による選挙となった。派閥守旧派の推す谷川秀喜幹事長が、圧勝するとの予想がはずれ、若手改革派が推す中曽根弘文氏と、40票対40票と同数となった。選挙規定により「くじ」が行われ、駄目元で出馬した中曽根氏が当選した。
栄光とスキャンダルで知られている自民党参議院議員会長を「くじ」で決めたことに対して、マスコミ有識者は「ここまで衰えたのか」と、冷たい報道しかなかった。学者たちも政治決定を「くじ」でする歴史と制度について、感性がないのか論じていない。あえて私が政治の決定を「くじ」で決めることは、人智を越えた神意を求める人間の信仰心の残存であることを説明しておく。
わが国の議会政治は、憲法・国会法・衆参両院の議員規則などによって運営されていることは、誰でも知っているだろう。その中で、国家の最高政治権力者も「くじ」で決めることがある場合を、議院規則で規定がある。
憲法第六七条の内閣総理大臣の指名の規定を受けて、その手続について参議院規則第二十条は次のように規定している。
「内閣総理大臣の指名は、単記記名投票でこれを行う。投票の過半数を得た者を指名された者とする。
投票の過半数を得た者がないときは、投票の最多数を得た者2人について決選投票を行い、多数を得た者を指名された者とする。但し、得票数が同じときは、決選投票を行わなければならない2人又は指名される者を、くじで決める。
議院は、投票によらないで、動議その他の方法により指名することができる。(衆議院規則第十八条も同趣旨の規定)」
衆参両院の議長や副議長らも、同数の場合「くじ」で決めることになっている。また、衆参の比例代表選出議員の選挙以外の選挙における当選人を定めるに当り、得票数が同じであるときは、選挙会において、選挙長がくじで定めることになっている(公選法第九五条第二項)。
政治の場で重要人事を投票で同数となった場合、「くじ」で決めるという考え方は、古代の政治を占い(神意)で行っていたことの名残りである。現法の「くじ」は宗教的意義を失い、世俗的に決定しがたいことを機械的に決めるものと理解されているが、内閣総理大臣や衆参両院議長という最高権力者たちを、機械的に決めるとなると問題だ。
現代政治は合理性と効率性ばかりが要求されている。民主政治といっても、構成員が最大の努力を尽して結論を出すことができない場合が多くある。この場合、混乱や紛糾を避けるため、古今東西の人類が共通して求めたのは「人智を超えた神意」であった。それが現代、各国の議会政治の中に「くじ」として残っている歴史的意味をかみしめるべきだ。
ところで自民党参議院議員会長を「くじ」で決めることになった政治的意義を、私は大変大きいと思っている。「くじ」が機械的に偶然に中曽根氏に当ったと考える有識者が多いが、私は40対40と同数にした上で、中曽根氏に1番を引かせたのは、これまで日本の政治をコントロールしていた集団的意識によるものであると考える。
戦後の日本政治をリードしてきた自民党は、歴史の流れの中で崩壊の運命をさまよっている。その事態を「集団的無意識」(政治の神々)は、「くじ」で改革派に勝利をもたらしたといえる。問題は中曽根議員会長をつくった改革派の人たちが、どれだけ新しい時代感性をもって政治に挑戦して、自民党を変えることかにある。「くじ」の神意がここにある。
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