http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/668.html
Tweet |
http://www.data-max.co.jp/2010/08/_1_54.html
8月2日、鹿児島県阿久根市の副市長に仙波敏郎氏(61)が就任した。仙波氏は、愛媛県警の警察官として、同県警の裏金問題を告発。一躍、時の人となった人物である。今回NET-IBニュースでは、竹原信一市長への取材に続き、仙波氏への取材を行なった。腐敗した警察組織のなかで孤独な戦いを続けてきた仙波氏にとって、阿久根市の現状はどのように映っているのか。竹原市長との出会い、副市長就任の経緯を含め、インタビューを行なった。
(聞き手・弊社行政班 山下 康太)
―今まで仙波さんのことをご存知だった方は、まさか仙波さんが阿久根市の副市長になるとは思われなかったでしょう。竹原市長との出会いは、どういった感じでしたか。
仙波 ご存知の通り、私は警察にいまして。退職してからは、裏金のことで講演活動をしていました。私と同じように、群馬県で講演をやっている元警官がいるんですが、彼は裏金を告発したために、「でっちあげ」で逮捕されたんです。そして、彼は懲戒免職の処分を受けた。その彼の講演の席で、私はとある群馬県の市議会議員さんと知り合いました。その市議会議員さんは、実は竹原さんとブログ仲間で、私のことをブログに書いたそうなんです。それを見た竹原市長が、私の本を読み、私に会いたいとオファーを出してきました。それが、今年の5月です。そのとき、私がたまたま群馬にいたもので、ちょうど竹原さんも東京に来ている、と。それで、会うことになりました。
―初めて竹原市長と会ったときの印象はどうでしたか。
仙波 私は、彼(竹原市長)のことは「アウトロー」とか「独裁者」とか「ワンマン」だとか、ある意味「悪の権化」のように思っていました。そういう報道が多いですから、そう思っている方も多いと思います。「どんな男なんだろう」という興味もありました。
でも、会った瞬間に、彼はそんな人間ではないとわかりました。私も、42年間警察で飯を食ってますから、ある程度は人を見る力もあると思っています。彼は、初めて会ったときにネクタイをしていたんですが、かなり無作法な締め方をしていたんですよ。だから、僕は注意したんです。彼は、すぐに直しました。市長たるものが、元警官に「ネクタイがなっとらん」と言われたら、普通は反発しますよ。でもね、彼はパッと外して結び直した。こんなことのできる人間は、「悪の権化」ではありません。性格も素直です。それで24時間話しました。彼のやろうとしていることは、もちろん法的にはいろんな問題が生じます。しかし、私には理解できました。
―副市長になった経緯についてお聞かせください。
仙波 初めて会ってから2ヵ月が経った頃、竹原さんから「もう一度会いたい」と言われたんです。「阿久根の市役所に入ってもらいたい」と。そこで、2人で三日三晩話しました。そして、私は、彼がしている行政改革は本物だと確信したわけです。そして、7月17日に阿久根市に来ました。いろんな調査をして、いろんな議員の方にも会って、役場にも市長室にも入って。最後に、市役所の職員の市民に対する態度を見て、これでは駄目だと思いました。職員は「してやってる」という感覚なんですよ。行政は市民へのサービスです。市役所に市民が来られたら「いらっしゃいませ」と言ってもおかしくない。市役所の職員は、もっと感覚を切り替えなければいけない。そういうわけで、私は20日にもう一度市長室に来て、この話を受けます、ということを言って帰ったんです。
―非常に短い期間で決められたわけですね。
仙波 私は、一週間足らずで彼(竹原市長)の人間性と、やりたいことがわかりました。だから、この話を受けることを決めたのです。
―仙波さんは竹原市長にどう思われているとお考えですか。
仙波 彼(竹原市長)は、「仙波さんの生き様は誰にも真似できない。これだけ信念を通してきたことは、非常に尊敬に値する」と言っています。しかし、私は何も特別なことをしてきたわけではありません。警官として"当たり前のこと"をしてきただけなんです。他の全ての警官が裏金に手を染めて、年間で何10万、何100万というお金を手にしていても、私だけが偽の領収書を書きませんでした。1円も受け取っていません。
―裏金問題について、竹原市長はどのように言っていますか。
仙波 私は当たり前のことをしただけです。竹原市長も、「当たり前のことをするのが(警察のなかで)仙波さんひとりなのか」と言っています。だから、そういうふうに信念を通してきた私に対して、彼なりに評価はしてくれていると思います。
―政策面においても、ふたりの間で何か通じるところはありましたか。
仙波 私と竹原市長とでは"やり方"が違います。彼は、目的を遂行するためなら、「これしかない」というふうに考えるわけです。だから、議会を開かない、市長の方針に反する職員は懲戒免職に処する。しかし、この感覚は、民間企業では通用するかもしれませんが、市役所という公務員が働く場では違ってくるのではないかと私は思っています。もちろん、その職員が竹原市長の指示に反したのは事実ですから、いったん係長の職に戻した上で、私の言う基準に従って、それなりの処分に切り替えるつもりです。
―仙波さんは、議会の開催と懲戒免職の職員の復職を宣言しているわけですが、そのことについて竹原市長はどのように言っていますか。
仙波 彼(竹原市長)は、「仙波さんにお任せします」、「仙波さんの好きなようにやってください」と言っています。しかし、私と彼とでは"やり方"が違うと言いましたが、目指すところは同じなんです。彼は、「早く結果を出したい」と考えているからこそ、いろいろと厳しいことを言っているんですが、私は、もう少し時間がかかってもいい、他にも方法はあるはずだ、と思うわけです。だから、私は竹原市長とのバトルは辞しません。二人でバトルをして、最終的にどちらが公益かということを判断する。そうやって、これからもいろいろな事柄を進めていこうと思っています。
―仙波さんは、竹原市長の補佐として動くのではなく、ふたりが議論を交わすことでより良い行政を作っていこうと考えているわけですね。
仙波 そう捉えていただけると幸いです。私が阿久根市役所に入ることで彼(竹原市長)が今後も信念を貫けるのであれば、ということで私は市役所に入りました。私は彼の生き様が好きですから。ただ、彼は行政のトップとしては素晴らしい価値観を持っていますが、今のままでは誤解を招くことも多い。だからこそ、私がスポークスマンとして、いろいろな方にお会いして、お話ししているんです。
―副市長という役職に就いてくれ、と頼まれたときは、どのように感じましたか。
仙波 私は、私の立場については、アドバイザーでも顧問でも構わないと思っていました。しかし、アドバイザーとして入ってしまえば、市長に意見を言うことはできますが、職員の方々には何ら意見を言うことができません。また、私は60歳を過ぎていますから、一般の職員としては入れません。そういうこともあって、竹原市長は副市長というポジションを用意してくれたわけです。
ただ、いきなり副市長という役職に就いてしまうと、誤解を受けてしまうのではないか、と思いました。やはり、立場も給料も高いですから。そこで、いろいろな方に相談しました。私なりにも、何か他の入り方はないものかと考えました。それでも、最終的には「これしかない」という結論に行き着いたのです。
―竹原市長の「専決」については、どのようにお考えですか。
仙波 実は、私には全国に85人の弁護団がいるんです。彼らにも相談して、いろいろなアドバイスも受けて。それでも、結局は司法(裁判所)の判断を仰ぐしかない。「適切か不適切か」という問題については、誰にでも論じることはできますが、「適法か違法か」という問題については、裁判所にしか論じることはできません。ですから、私は無給で副市長という役職を引き受けたわけです。
―無給というのは、最初の約束で決められていたのですか。
仙波 そうです。最初は「専決でゼロ(無給)にしてください」と頼んだんですが、それでは今の規定を考えると寄付という違法行為になる、と彼(竹原市長)が言ったので、ひとまず給料の金額を下げることで話をつけてもらいました。それから、残った金額を供託することにしました。供託金というものは、取りに行かなければ国のものになります。もし、私が仕事をしたことに対して、市民の皆さんが「これなら仙波にも4割カットの給料を払ってもいい」と言ってくれたときには、供託しているお金については考えますが、何の仕事もしていない、何の結果も出していない状態では、私は給料なんて受け取ることはできません。
―竹原市長も自らの給料を4割カットしていますが、これについてはどう思っていますか。
仙波 私は、彼(竹原市長)が自らの肉を切り血を流すような人でなければ、ここには来ていなかったと思います。彼の手段は少し強硬すぎる部分もありますが、私は彼が素晴らしいことをしていると考えています。どれだけ、自分が公益のために頑張れるか。大切なことは、公益というものに対して、自分なりのポリシーを持てるかどうか、です。
―副市長として就任した当初は、阿久根の市政に対してどのような印象を持たれていましたか
仙波 私が就任して3日が経った頃には、この阿久根市役所で働く職員の駄目なところがはっきりと見えていました。もちろん、竹原市長の"やり方"が厳しいために、市長と職員との間に乖離(かいり)があるということは否めません。市長と職員との間に、明らかな気持ちの上での差があるわけです。しかし、私には竹原市長の方針も職員の気持ちも理解できました。その上で、職員の方々に対して、かなり厳しいことも言いました。
―その「問題点」について、既に何かしらの対応をとったということですか。
仙波 はい。5日には緊急課長会議を開きました。室内で勤務しているわけでもないのにスリッパを履いていること、市長や副市長に対して挨拶もしないこと、8時半からと決められている朝礼をダラダラと始めていること...。これらのことについては、早急に手を打つように言いました。その代わり、例えば有給休暇をとりにくい風潮があるという点については、しっかり仕事をしているのであれば、当然(休暇を)とるべきだと指示しています。
―その後、職員たちの様子に変化は見られましたか。
仙波 今では、私が指示したことは全て守られています。実は、市民の方々からも、「仙波さんが来てから(市役所が)ガラッと変わった」、「市長が良くなった」という声をいただいているんです。ただ、私は竹原市長が変わったとは思っていません。彼は、簡単に人の意見に左右されるような、そんな柔(やわ)な男ではありません。よく誤解されるのですが、「仙波さんは、彼が振り上げた手を下ろすために阿久根に来たんだろう」と言う方がいます。彼は、最初から何も振り上げてなどいません。当たり前のことをやっているだけなんですから。彼に会って話をしてみれば、誰にでもわかることだと思います。
―竹原市長に会ったこともないような人が、彼の批判をしているわけですね。
仙波 事前抑制というものは、誰にでもできるんですよ。行く前から、会う前から、ああだこうだと意見を言うだけのことならね。ですから、私がやっているのは事後抑制です。実際に彼(竹原市長)に会って、彼のやりたいことを理解した上で、彼と議論を重ねる。そうやって出てきた結果をもとに、市民の皆さんには私が副市長として就任した意義を判断してほしいと思っています。
―竹原市長との接点を持つことが必要だ、ということですか。
仙波 そうですね。ですから、懲戒処分の職員も復職させて、議会も開いて、労働組合との接点も設けているんです。ただ、勘違いしないでほしいことがあります。それは、お互いに議論をするのは、あくまで公益のためだということ。自分たちの権利だけ、幸せだけを求めるような議論は、もはや無に等しいのですから。
(つづく)
【文・構成 原薗裕樹】
<プロフィール>
仙波 敏郎(せんば としろう)
1949(昭和24)年2月14日愛媛生まれ。愛媛県立松山東高等学校卒。67年、愛媛県警察官採用試験に満点で合格し、採用後最初の試験でもトップの成績を収める。73年には同期で最も早く巡査部長昇任試験に合格するも、裏金作りに必要として上司から依頼された偽領収書の作成を拒否。以後、定年まで巡査部長の階級に留まることになる。05年、現職の警官としては初めて裏金問題を告発。定年退職後は、裏金問題についての講演活動を行なう。10年7月、阿久根市長・竹原氏の専決によって同市の副市長に選任され、8月2日に就任した。著書に「現職警官『裏金』内部告発」(講談社)がある。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK92掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。