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2008年8月20日第1刷発行
\762
株式会社 講談社
(転載通知済)
文庫版まえがき──官僚政治に汚染された実態
本書『公明党・創価学会の野望』は、当時の小泉純一郎首相により憲法違反の郵政解散・総選挙が行われた二ヵ月ぐらい前の平成一七年(二〇〇五年)六月に単行本『公明党・創価学会と日本』として、刊行されたものである。
その「まえがき」で、私は執筆の目的を「公明党・創価学会」に、かつて「民衆の救済」を叫んでいた頃の輝きを取り戻してほしい──私はこの一念で本書を書いた、と述べておいた。
それから三年間、公明党は小泉自民党と連立政権を続けるというより支えとなり、米国のイラク侵略政策に追随するだけでなく、市場原理優先政策を日本に誘導し、民衆の生活を自民党とともに苦しめている。
その結果、日本で何が起こったか。厳しい格差社会、社会的弱者のどうしようもない将来不安である。また「民衆の救済」どころか、ドメスチック・テロリズムといえる、家族間の殺し合いが出現している。公明党の政治家は、この実態をどう考えているのか。
本年四月一日から施行された、平成の姥捨山こと「後期高齢者医療制度」は、自公連立政権の悪法の代表である。第一次、第二次小泉内閣での厚生労働大臣は、坂口力氏であった。
政策立案に携わった公明党、坂口氏の責任は大きい。
私は現職参院議員時代、社会保障を切り捨てようとする坂口厚生労働大臣に、しばしば論戦を挑んだ。その時、新進党で同志として新しい日本の社会保障制度の創造をともに立案したときの、想い出話を持ち出したものだ。その時の当惑した坂口厚生労働大臣の顔を今でも忘れない。
「公明党よ、民衆の救済を忘れたのか」
と、私は叫びたい思いで、本書を文庫本として刊行することを決断した。
振り返れば、昭和四二年(一九六七年)の総選挙で衆院進出を果たした公明党にとって、国会道営で相談役を買って出たのが私である。それは朝日新聞政治部柴隆治記者にいわれてのことだったが、その時、柴記者は、
「公明党がおかしくなれば、日本の民主政治はおかしくなる」
と力説していた。
そして、四〇年あまりという歴史を経て、柴記者の予言通りとなった───。
しかし、公明党の歴史のなかには真剣に「民衆の救済」を実現しようとした時代があったのだ。
市川雄一書記長、二見伸明政審会長、そして故人となった権藤恒夫国対委員長の活躍は、昭和六〇年代から平成一〇年頃にかけて、歴史に残るものである。
本書は決して、公明党と創価学会を批判するために執筆したものではない。また公明党・創価学会も、政治や社会に対して、きちんと真剣に取り組んでいた時代があったことを、国民のみなさんに理解してもらいたいからである。
私の手法は、真実に基づいて評価すべきは評価し、批判すべきは批判するというものである。
最近の公明党政治家で、とくに目につくのは冬柴鉄三国土交通大臣と、高木陽介公明党広報室長の姿勢である。冬柴国交大臣は国会答弁で、高木広報室長はテレビで、しばしば、その見解を知る機会があるが、ひと言でいえば、人間の営み悩みに対する配慮がない。どうしようもなく自民党の官僚政治に侵され、汚染されている実態を目の当たりにすれば、私だけでなく多くの良心ある創価学会員の心を痛めることであろう。
民衆は、これ以上自民公明政治の存在を許さないという限界点を、超えたといえる。
「平和・人権・福祉」の原点に立ち戻るなら、一日も早く自公連立政権を解消すべきである。
そういう思いで、かつて「民衆の救済」に政治生命を賭けて、活躍した公明党政治家がいたということを、文庫版を通じて理解していただければ幸いである。
平成二〇年八月
平野貞夫
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終章 国家に巣喰った「ウィルス」
池田名誉会長と秋谷会長の関係
平成一五年(二〇〇三年)一二月、私は講談社から『日本を呪縛した八人の政治家』を刊行した。そのブリーフィングを、暮れの押し迫ったある夜、外国人特派員協会で行った。説明が終わって質問の時間となり、終了予定時刻近くになってオランダの特派員が、遠慮がちに質問を始めた。
「平野さんは、創価学会と親しい国会議員と聞いています。ストレートな質問で恐縮ですが、池田名誉会長と秋谷会長の関係を、どう理解しておくとよいでしょうか」
私は丁重に、「その質問に答える立場にない」と断ったところ、感想でもよいから何か話してくれとのことであった。講談社の編集者に促され、次のように答えた。
「創価学会と私は、かつては親しく、参院議員出馬の選挙でお世話になり、新しい日本を創る仲間だと思っていました。今は、公明党が自民党と連立して与党です。私は野党の民主党に所属しており、公明党の政治方針を批判しています。したがって、創価学会とも親しい付き合いはしていません。ご質問には非常に答えにくいのですが、秋谷会長とは、一〇年ぐらい前は何度もお会いし、議論をしたこともあります。池田名誉会長にはお目にかかったことはありませんが、著書は読んだことがあります。
二人の関係について率直に申し上げると、池田名誉会長が毛沢東で、秋谷会長が周恩来という関係になると思います」
オランダの特派員は、私の「毛沢東と周恩来」の説明にいたく共鳴して喜んでくれた。参加した各国の特派員も大笑いした。
公明党が小泉政権にすり寄り、次々とくり広げる政治活動は、どう考えても、本書で公開した与野党伯仲国会時代の公明党政治とは正反対の理念に基づくものである。これは、それを容認している「創価学会」の問題として理解しなければならない。となると、池田名誉会長と秋谷会長の指導方針によるものだといえる。今の公明党政治の堕落を検証すると、池田・毛沢東は江青に操られた老後の毛沢東であるとは思わないが、秋谷・周恩来が江青夫人を兼ねた周恩来だとしたら、困ったことになる。
国家を支配する野望
ここまでいうと、創価学会員から、「政教分離をきちんとやっています。何を失礼なことを」とクレームがつくかもしれない。私も、ここまでいいたくなかった。しかし、「山拓踏み絵事件」を知り、創価学会の一番の問題部分が明白になったと考えるようになった。そして、いまでは看過できない変心であると、怒り心頭に発している。このような、公明党・創価学会の行動を放置しておくと、日本は破滅に向かうと断言できる。
いくつかの問題があるので整理しておく。まず、公明党・創価学会の反自民から親自民へ、そして、腐敗政治を擁護し、国民を苦しめる自民党との一体化という政治方針の変更の本質は何か──これを徹底的に検証しておかなければならない。私は「山拓踏み絵事件」が起こるまで、公明党・創価学会は自己防衛のために変質したのだと推測していた。
野中元自民党幹事長による「暴力団密会ビデオ恫喝問題」といい、私が推測する「創価学会資金問題」といい、所詮小事である。時期が来れば、彼らも改革という歴史の必然性を理解し、戻ってくると思っていた。これが甘い考えであると確信させられたのが、「山拓踏み絵事件」である。
平成一六年(二〇〇四年)、参院を引退した直後、私のもとに発送人不詳の書物が届いた。『創価学会と「水滸会記録」』という書名で、「池田大作の権力奪取構想」というサブタイトルが付いていた。あまりにも刺激的な内容なので、そのときはざっと目を通しただけであった。「山拓踏み絵事件」のあと精読したところ、自公連立政権下の公明党・創価学会の本性を見た思いがした。もちろん、この内容の全部が具体的に実現されることはないだろうとは思うものの、創価学会として国家を支配するとい
う野望は再生され、継承されていくと感じた。
政・官・司法への浸透
創価学会の国家支配の方法は、選挙を通じて政界を牛耳ることである。これは、まんまと成功したといえる。外務省には推定三〇〇人前後の学会員官僚が働いており、主要官庁にも相当数の学会員がいる。司法界では、弁護士が二〇〇人を超え、裁判所や検察のなかでも要職に就いている。これらの官僚学会員は、布教活動の義務がなく、そのぶん隠れた活動を行い、深刻な問題となっている。
創価学会の教義を信仰することは自由である。それによって社会的に差別されることがあってはならない。しかし、国家を支配する手先となるために創価学会を信奉するということになると、話は別である。しかも隠れた活動を行っているなら、創価学会は、形の上でこそ宗教法人であっても宗教団体ではなく、秘密結社のような団体に当たるのではないかという問題が生じる。
そこで、「政教分離」とは何かについて、改めて考える必要がある。「政教分離」の法律論も大事であるが、法律形式論で済まされる問題ではない。人間にとって「信仰」と「政治」は密接不可分な問題である。したがって、法形式論だけで、「政教分離」を処理しようという弁護士・学者先生には、必ず何かの魂胆があると見るべきだ。冬柴鉄三弁護士の理論を聞けばわかろう。
宗教団体が政治に関わる四原則
私は、宗教団体や信者が必要があると判断すれば、政治に関わることは批判されることではないと思っている。それは、信仰を持つ人々の基本的人権である。しかし、宗教団体が組織として政治活動を行う場合、人間としての常識に基づく前提条件が必要である。人間の歴史は、信仰する人々が善良であっても、宗教団体の指導者の野望で悲劇が繰り返されてきた。私の思いつく前提条件とは次の四つである。
@宗教は人の心に、政治は人の利害に介入するという特性を持つことを自覚し、謙虚かつ慎重な行動をとること。
A常に権力をチェックし、政治倫理の確立を活動の基本とすること。
B信者に政治選択を強制しないこと。また、公的選挙の候補者と信仰について取引をしないこと。
C政治的、政策的主張は、「信者の利益」ではなく、「国民全体の利益」という普遍性を持つこと。
これらを遵守することが、最低限の政教分離の基準である。
当時の小泉政権下の公明党・創価学会の活動をこの基準で見ると、四条件すべてを冒漬している。そもそも彼らには、こういった普遍性を持った発想がなく、いかにして形式論で逃げるかに関心があるようだ。法廷で勝てばよいという態度は、電車の中吊り広告に躍る、仰々しい創価学会関連誌のコピーからもわかる。
創価学会は「言論出版妨害事件」で、昭和四五年(一九七〇年)五月三日、「政教分離」を宣言した。それは「冬柴式分離論」に過ぎないのではないか。最高裁にいかなる判例があろうとも、それがすべてではない。
官邸に侵入した悪性「ウィルス」
「政教分離」を法形式論でいうなら、本書で公開した私と公明党・創価学会との国会運営や、消費税の導入、湾岸戦争への対応、政治改革、政界再編等々の問題でのやり取りは、すべて政教混合、あるいは政教一致であった。また、私のほとんどの行動は、自民党政権の使者であったし、創価学会幹部との日常的な会談、秋谷会長へのリポートによる意見の提言などは、間違いなく「国会職員法」違反であった。
しかし、いかなる事態におかれても、公明党・創価学会、自民党政権・創価学会の関係で、私がとった行動は、四条件を遵守することを前提としたものであった。そして、日本国家と国民のため、堕落した政治家の代わりをして生きてきたつもりだ。前述した『創価学会と「水滸会記録」』を発信源とする創価学会の野望が本物であったとすれば、私の生涯は何のためにあったのか、憤りを抑えることができない。
「山拓踏み絵事件」は、明らかに創価学会の野望を証明するものだ。創価学会に「異体同心」の踏み絵を踏まされた首相補佐官の山崎拓という政治家は、これから宗教的な「ウィルス」として、総理官邸から日本の政治を蝕んでいくことになる。
新聞・テレピを支配する方法
最近は、創価学会による、巧妙な「言論の自由」に対する干渉工作かある。平成一五年(二〇〇三年) 四月、第一五六回通常国会の「個人情報の保護に関する特別委員会」で、私が捏起した問題である。民主政治が健全に機能するには、選挙が公正に行われることが大前提となる。それを保障するためにも、また、国民に公正な政治選択の情報を与えるためにも、「言論・表現の自由」が保障されていなければならない。
私が国会で問題提起したのは、最近、創価学会が、全国紙を含め地方紙の多くに機関紙である「聖教新聞」を委託印刷していることである。聖教新聞の印刷を通じて、多くの新聞社が、創価学会から経済的な支援を受けているという事実がある。
具体的に委託印刷費を試算してみよう。「聖教新聞」は印刷費を公表していないので、推定するしかない。しかし、「公明新聞」とほぼ同じやり方で委託しているので参考とする。平成一四年(二〇〇二年)の政治資金収支報告書によると、約一一億九二一六万円とある。「公明新聞」の発行部数を約八〇万部とすると、「聖教新聞」の発行部数は公称五五〇万部なので、約七倍として、約八三億円となる。したがって、公明党・創価学会は新聞社系列の委託印刷費として、合計約九五億円もの経費を支払っていることになる。実態が不明なので正確なことは書けないが、巨額なマスコミ対策費といえる。
これを単なるビジネスの問題として看過することはできない。日本ではテレビやラジオなど放送業務は、ほとんど新聞社の資本系列で展開されている。そして放送業務は政府の電波管理の対象である。
創価学会は、多くの新聞社に「聖教新聞」の印刷費を支払うだけではない。さらに、創価学会関係の出版物の広告費も新聞等に支払う。テレビ等では、特に地方民間局で多く見かけられるが、番組のスポンサーとなる。しかも、政府与党の一員として、電波行政に関わってもいるというわけだ。
つまり新聞・テレビという報道機関は、創価学会に頭が上がらないという構造になっているのである。心理的な言論抑圧の役割は、十分に果たしている。これが、昭和四〇年代に批判された「言論出版妨害事件」を反省した結果たどりついた手法である。事実、最近の新聞記事やテレビの論争で、公明党や創価学会の批判は見かけない。
現状では、一部の週刊誌と日刊紙のみががんばっており、創価学会との訴訟合戦を繰り返している。公明党はその対策として、個人情報保護法でも、人権擁護法案でも、言論規制を主張してきた。特に、創価学会批判の多い小規模なメディアや評論家を対象に、言論を封じる仕組みをつくることに熱心であった。
サラリーマン大増税の阻止へ
政府税調(石弘光会長)は、平成一七年(二〇〇五年)六月二一日、「個人所得課税の見直し報告書」を公表した。これは、サラリーマンを狙い打ちする大増税構想である。その中身たるや、定率減税を廃止したうえで、所得税控除を縮小、扶養控除と配偶者控除を撤廃、退職金の優遇税制を見直すという代物。年収九〇〇万円の中堅サラリーマン家庭では、年間およそ八六万円もの増税と推定される。石弘光会長は、「社会保障整備のため増税は必至で、就業者の八割を占めるサラリーマンが負担増となるのは当然だ」といわんばかりの開き直りを示した。この恐怖のサラリーマン増税に見え隠れするのが、政府・自民党と公明党・創価学会の「密約」である。
実は、この増税構想で、もっとも影響の少ないのは、自営業の多い公明党支持層、すなわち創価学会員である。自衛隊のサマワ派遣に賛成することと、所得税の定率減税の廃止とを取り引きして、創価学会員の負担増を避けることに成功した──このことの延長線上にあるのが、この政府税調の「サラリーマン大増税構想」である。
自公連立政権の行きつく先は、真面目に働く民衆にとっては地獄であるということに気づくべきである。テレビに出演する公明党国会議貞の顔は、騎りと民衆の幸福を忘れた横着さで、とても健全な信仰を持つ者には見えないではないか。このままでは日本は確実に破滅する。
では、破滅から逃れる方法はないのか。一つだけある。それは国政選挙に七〇%以上の有権者が参加して、「民衆の理性」を発揮することである──。
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あとがき──右翼的流れと創価学会が融合したとき
公明党・創価学会と、四五年間付き合ってきた私が、宗教と政治について総括した考え方は、次の通りである。
「真の信仰心を持たなければ、国民を幸福にする政治はできない。偽の信仰心を政治に利用することは、国民を不幸にするだけではなく、国家社会を破滅させる」
これは、本書の主人公ともいえる故権藤恒夫さんが、亡くなる半年ぐらい前、見舞いに行った私に話してくれたことをまとめたものである。熱心な創価学会の信者で、池田名誉会長こそ命とばかりに尊敬していた人であった。彼は、「権力闘争の場である衆議院に、創価学会は政党を再生させるべきではない」と主張していた。新進党解党のとき、二見伸明、東祥三さんたちとともに、小沢一郎さんの自由党に参加したのには、こういう理由があったのだ。
日本が破滅するかどうか、その鍵を握っているのは「創価学会」という宗教団体である。彼らが、自民党に妖怪のような政治を続けさせるかどうかにかかっている。学会員のなかには、真面目で純粋で、立派な人たちが大勢いる。しかし、組織としての指導者のなかには、意識してかどうかは別にして、自民党を利用して宗教的な政治支配を企んでいる人たちがいる。そのことを実感する昨今である。「山拓踏み絵事件」がその好例であり、民主主義の危機は日に日に深まっている。
いま、世界中に、宗教と政治の関係が難問として横たわっている。旧ソ連圏での民族紛争の背景には、必ず宗教問題があり、中東などでは、資源や貧困をめぐる問題と宗教が複雑に入り混じっている。米国のブッシュ大統領の支援団体もキリスト教原理主義者の一派で、この信仰思想がネオコンの政策となっている。
宗教が絡む問題は、いずれも悲劇的状況を呈するが、民族紛争でも中東問題でも、米国のネオコン問題でも、ある意味ではわかりやすい。なぜなら、それぞれに対立するポイントが明確であるからだ。日本の場合、別の意味で深刻である。それは、創価学会が形のうえでは「宗教団体」とされているが、実態としては、宗教の名を借りて、国家と国民を無視した政治活動をしているからである。政治だけではなく、巨大な資金でマスコミを支配し、日本文化全体を支配しようとする傾向を強めている。
いまの自民党と公明党・創価学会の関係は、創価学会という生活習慣病に自民党が侵され、危篤状態になっているともいえる。かっての自民党には、それなりの理性と見識があった。現在の体制は、岸信介氏の右翼的流れと、竹下登氏を代表とする金権政治という悪い部分だけで成り立っている。それと、ソフトに「国立戒壇建立」を衣がえしようとする創価学会が融合して一体化すれば、日本が新しい宗教ファシズム国家となることは目に見えている。
二一世紀は、宗教=精神の時代といわれているが、必ずしもそれで人類が幸福になるという保証はない。宗教戦争といっても、武器で行われるだけではない。人間一人ひとりの心の戦争でもあるのだ。日本で起こっているほとんどの問題は、ここにある。日本人なら、創価学会とは何か、創価学会はこれでよいのかを、真剣に考えなければならない。その参考とするため、本書を刊行した。
本書をまとめるに当たって基礎資料としたのは、衆院事務局の役人だった頃章き続けた日記である。ほかにもさまざまな資料を手元に残している。息つく暇もなく持ち上がる政治課題に対して、当事者に代わって考え、党派を超えて書き続けていた見解、提案、原稿などの文案である。それらは日本の議会史の裏側を映し出す貴重な資料だと確信している。
しかし、これらの文案が、すべて政治の表舞台に出たわけではなかった。さまざまな事情で歴史の狭間に消え、闇に埋もれたものも多い。本書でその一部を取り上げることで、日本の政治がどのように動かされてきたかを明らかにしたいと考えた。
平野貞夫
本作品は二〇〇五年六月、小社から刊行された『公明党・創価学会と日本』を文庫収録にあたり改題し、大幅に加筆、再編集しました。
平野貞夫−1935年、高知県に生まれる。1960年、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。
この年、衆議院事務局に就職。1965年、園田直副議長秘書、1973年、前尾繁三郎議長秘書。委貞部総務課長、委員郡部長などを経て、1992年退官し、同年の参議院議員選挙に出馬。自由民主党、公明党の推薦を受け高知県選挙区で当選し、その後、自由民主党に入党。羽田派を経て、1993年に新生党、1994年に新進党、1998年に自由党の結党に参加。2003年、民主党に合流。議会運営と法律運用に精通する唯一の政治家として恐れられる。2004年に政界から引退。
著書には『日本を呪縛した八人の政治家』『昭和天皇の「極秘指令」』『公明党・創価学会の真実』『ロッキード事件「葬られた真実」』『虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実』『国会崩壊』(以上、講談社)などがある。
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