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韓国併合100年を迎え、日韓の人々が参加したNHKテレビ討論番組(2010.8.14.)を見た。論議は進展しなかったが、心に刻まれたことがある。それは、両国が外需主導の成長と雇用所得の分断で、共に新たな社会的貧困を増大させていることだ。
普天間移設と米軍の抑止力、韓国哨戒艦沈没事件、東アジア共同体など、欧米とアジアの中で、日本の立ち位置が問われている。世界金融危機を画期に地球経済は、米欧先進国からアジア新興工業国主導に移行した。日韓両国は、国際競争力を追求し、求職・就労の現場では、人間らしさの破壊が続いている。
この共通する経済危機は、二国間の自由貿易(FTA)ではなく、補完互恵の貿易・為替協定を軸にした経済協力(EPA)で、打開できないだろうか。研究者の準備的な討議から始めてもよい。それは、日韓が加害者と被害者の歴史認識を超え、アジア外交・安全保障の枠組み変革につながり、未来の展望を開くだろう。
これまで日本では、近代化の成功神話が語られ、戦争の反省も日清・日露や昭和以後とする司馬史観が主導してきた。だが維新後の征韓論や台湾の領有と共に、豊臣秀吉の文禄・慶長の朝鮮侵攻と鎖国に遡り、日本の原点の見直しが必要である。
古代から日本は、元寇や倭寇を別として、足利義満の金閣寺建立、朝鮮通信使来訪など、大陸と交流の歴史を刻んできた。天正の少年使節は、西欧に安土桃山文化を伝えている。だが秀吉の朝鮮出兵と日清戦争以後は、「和」の日本が「恨(ハン)」や「仁」の大陸を侵攻し、支配する過ちを犯した。
本来、武家は、開発地主であった。開墾した農地と住民を守るため武装し、本領安堵のため主君に隋身した。だが太閤検地と石高制で兵農が分離し、天下布武は、文禄・慶長の役に行き着く。武力は、自衛と侵略の両面を持っているのだ。
幕藩体制の武家統治と鎖国が、日本を閉鎖的な社会にした。明治維新は、それを継承し集権官僚の裁量政治となる。その指導者たちは、列強の植民地支配から自国を守るため、先進国に仲間入りする道を選んだ。孫文は、1925.12.28「大アジア主義」の演説で、「日本は、 西洋覇道の鷹犬となるのか東洋王道の干城となるのか」と問うている。
日本は、阿片戦争で半植民地化された中国を見て、先進国に仲間入りした。成功神話は、イジメを受けないため、イジメの側に仲間入りするのと変わらない。富国強兵は、統帥権で愚かな戦争に導く。そして敗戦は、これにアメリカ追随のトラウマを加えている。根っこにあるのは、「侍ジャパン」と表裏の官僚主導の政治だ。
一方で中国は、無血で香港の主権を回復し、台湾とFTAを締結している。普天間移設で問われた米軍の抑止力、韓国哨戒艦沈没事件も、東アジアの経済・社会・政治の仕組みが変革される中で、未来に展望が開かれるのである。
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