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2010年08月15日(日) 08時53分10秒
東京裁判と、日本人の思考停止
私のブログを以前からお読み頂いている方は、
よくお分かりだと思うが、
太平洋戦争について、私が考えて、書いてきたことは多い。
それは考えれば、考えるほど、
「現代の日本」というのは、太平洋戦争に凝縮をされていて、
ここに日本人の本質というものが、良くも悪くも現れているからだと思うからだ。
なぜ、日本は無謀な太平洋戦争に突き進んでしまったのか、
中国への侵略を、ある程度の「落としどころ」を見つけて、止めることはできなかったのか。
昭和天皇は、なぜ日中戦争の泥沼化を避けようと
ずっとご努力を続けられながらも、
結局、太平洋戦争の開戦にまでいたったのか。
これまでも、いろいろと勉強もし、考えてもきたが、
そこを突き詰めれば、突き詰めるほど、
やはり原因は複雑な要素が絡み合っているということに行き着く。
しかし、やはり、その根本的な原因は、
日本人の、
「集団暴走」癖と、
政治家の無力さと、
国民の「思考停止」と、
といったところであろうか。
そして、「現代の日本」も、無謀な戦争に突き進んだ当時と比較して、驚くほど、なにも変わっていないことに、唖然とする。
日本人は、ほぼ単一民族の国で、言語は一つで、宗教対立もない。
それで狭い国土に、1億人もの人口を抱えるのだから、
世界でも奇跡的な存在の国であるといえる。
だから、一つの「風潮」があれば、そこにいっきに流れやすく、
もちろんそれは、明治時代の殖産興業や、戦後復興のように、
集団で大きなパワーを発揮することもあれば、
一方で、日中戦争の泥沼化や、
戦後のアメリカによる間接統治を受け入れてきたように、
そこに疑問を呈することも許されない空気が生まれ、
「そのうち、誰かが、なんとかするだろう」と、
集団ゆえの、無責任体質が生まれてしまう。
とくに厄介なのは、その風潮が、なんらかの権威によって、
絶対的に正当化される時である。
戦前は、その権威付けに利用されたのが天皇の存在であり、
戦後は、「国際的には」「アメリカでは」といった海外の時流だろう。
そこを正当化する役割を担うのはマスコミである。
マスコミは、戦前から、数社に限られ、
しかも当時も、記者クラブ(大本営発表)と、陸軍機密費などで、
コントロールされていたわけであるが、
結局、この構造は、今もまったく変わりないわけである。
コイズミ改革で、「官から民へ」と言いながら、
実際は、アメリカや、財務官僚、経済界を利する政策をとって、
むしろ国の借金はさらに250兆円膨らませていたとしても、
国民は、個別の各論まで踏み込んで考えることはしない。
国の借金が危ないから、消費税を10%にあげます、
といったら、普通はなぜそんなに借金が膨らんだのか、
この20年、消費税増税や、社会福祉の切捨てや、サラリーマン増税などで、
さんざん国民も生活を犠牲にして協力してきたのに、
いったい、なんでまだ、増税をされる必要があるのか。
なぜ官僚や、政治家は誰も責任をとらないのか。
こういう疑問を、普通は考えるべきであるかと思うか、
なぜか、日本人は国政になると、「思考停止」してしまうのである。
結局、戦前も、戦後もやっていることは、同じことの繰り返しなのだ。
ただ、今の日本は、少子高齢化社会が進んだためか、
未来のことを議論するパワーがあまりなく、
これからの衰退をいくにして、食い止めるか、と、
議論がそもそも「老人化」してしまっている。
それでいて、マスコミがつくっては蹴落とす、
バッシング対象の政治家や、芸能人に、国民がくいついて、
一緒にバッシングをするという情けなさである。
なんせ、未来についての前向きな議論がない。
この点は、1930年代から40年代の当時と、現代との大きな違いであるかと思う。
さて、私はよく考えることとして、
日露戦争にしても、15年戦争(日中・太平洋戦争)にしても、
同じ大日本帝国憲法下での戦争でありながら、
なぜ、こうも日本は、おかしなことになってしまったのか、ということを考える。
この二つの戦争を比べて、日本人が大きく変わってしまったのは、
「増長しすぎてしまったこと」
にあるのではないかと思う。
戦争や、軍部が最優先であったことはどちらも変わりなく、
また、マスコミが戦争を煽ったことも同様である(しかも陸軍機密費をもらって)。
ただ、やはり大きな違いとしては、
日露戦争に望む日本人は、いかにロシアが大国か、
ということをよくわかっていたし、
自分たちが単なる新興国家ということもわかっていたから、
この戦争はどこで止めるべきか、という
「落としどころ」も常に探っていたように思う。
それが緒戦の勝利を生かしたポーツマス条約へとつながる。
また、その手前の、日英同盟の締結についても、
戦略的な軍事同盟を結ぶにはどうしたらいいか、考えていた。
もっというと、日露戦争より前は、
日本が、アジアの新興国として、帝国主義の時代に生き残るのに必死で、
治外法権の撤廃、関税自主権の回復といった
難しい外交交渉にも望んで成果を勝ち取っていた。
だが、しかし、1920年代あたりから、
日本の増長がはじまって、
国民も、軍部も、政府も、産業界も、
どうすれば、新興国日本が生き残っているのか、
という謙虚な考えを忘れて、
まあ、なんとかなるだろうと、勢いに任せて、
「思考停止」になってしまったんだろうと思う。
つまり、増長が行き過ぎた時、
国民が団結を忘れて、軍部さえも、陸軍と海軍の主導権争いや、
また軍部内の部隊レベルでの主導権争いとなって、
本来は、どのようにして、
外国への「侵略」という、いままで日本が経験したことのなかった
難しい局面を、成功させていくかに、知力をふりしきるべきが、
そこがなくなってしまった。
それは、外交戦略にしても、植民地統治にしても、
ある段階から、とたんにずさんになってしまうことで、よくわかる。
たとえば、殖民統治については、
はじめて明治時代に統治をはじめた台湾については、
公共事業の投資をしっかりと行い、現地人の反日感情にも配慮したうえで、
慎重に、統治を進めていったから、ある程度、成功をした。
しかし、韓国・朝鮮での植民地統治は、乱暴なもので、
創始改名に象徴されるように、
3000年の歴史を誇る朝鮮民族の誇りを奪い去るものだった。
普通に考えれば、こんな乱暴なやり方で、うまくいくわけがない。
やはり、その後の、満州国の建設にあたっても、
大東亜共栄圏の繁栄と、五族協和のコンセプトからは、程遠く、
支持を受けるようなものではなかった。
満州は、北京を追われた満州族(清王朝家)の国として、自立を助けるべきだった。
もし日本が植民地戦略をうまくやっていたら、時代は変わっただろう。
もともと、アジア諸国は、白人による差別的な扱いに反感をもっており、
日露戦争で、ロシアを破った日本には大いに期待をしていたわけである。
孫文をはじめ、中国人の指導者も、若かりし頃、たくさん留学をしている。
国際連盟規約に、第15条として、「人種差別撤廃条項」を盛り込もうとしたのは日本である。
本来、日本は、大東亜共栄圏の思想にもとづいて、
殖民統治下にあるアジアの諸民族の独立を助け、
韓国・朝鮮や、満州、中国の近代化を助ける、ということであれば、
各国からの信頼と、尊敬も集めることができただろう。
帝国主義の時代に、難しかったかもしれないが、
本来は、現在のEUのように、互助的な国家間連合をアジアでつくるべきだった。
また、そこまで理想を実現するのは難しいとても、
皮肉にも、戦後のアメリカ、ソ連は、冷戦下において、
各陣営の発展途上国に対する「属国統治」ということで、
ゆるやかにそれを実現し、したたかに実利を手にしている。
さて、つまり、ある段階から、
日本は、植民地統治や、外交、さらに軍事戦略においても、
過剰に自己を過大評価するという、過ちをおかして、
リスクを十分に検証せぬまま、バクチのような戦略をとりつづけるようになる。
それは、上記のような植民地統治もそうだが、
戦略的に検証も十分にせずに、日独伊軍事同盟を結んで、
アメリカ、イギリスを敵にまわしてしまったことや、
いざ戦争をはじめても、インパール作戦のような無謀な戦闘に、
貴重な兵力を投入している件からも明らかだろう。
対する連合国側が、
チャーチル、ルースベルト、スターリンなど、
憎々しいほどに老獪な政治家たちが、
軍部を手なづけながら、外交でもしたたかに勝利をおさめていくこととは、対照的でさえある。
もし、あの当時、近衛文麿が三度も総理大臣になるのではなく、
吉田茂のような、老獪な人物が総理大臣になっていたとしたら、
日本の歴史も大きく変わっていただろうと思う。
ちなみに、近衛文麿は長身で、ルックスもそこそこ良く、
また、藤原家の筆頭家系ということで、国民の人気は抜群だった。
このあたりもまた、
平成の今も、ころころと首相を実力ではなく、見た目で変えていく、
現代の日本と共通したものを感じる。
なお、ルックスという意味では、蒋介石や、ルーズベルトはイマイチである。
スターリンや、チャーチルは悪人顔そのものである。
さて、このようにブログをつらつらと書いてきても、
15年戦争当時の日本は、
日露戦争当時の日本よりもむしろ、
現代の日本に似ているのではないかと思うのだが、
結局、その理由は何かというと、
やはり、東京裁判をもって、戦勝国の側で太平洋戦争を総括し、日本人自身が考えることを「思考停止」してしまったからであったのではないかと思うのだ。
つまり、戦前から戦後にかけて、日本人の手で、戦争を総括することができていないから、本質的には、負の構造を引きずったまま変われていない、ことになる。
東京裁判では当然、統治する側のアメリカ(GHQ)にとって、
都合のいいところだけが切り出され、都合の悪いところは隠蔽をされる。
また、都合のいい人間が無罪となり、都合の悪い人間は処刑される。
しかし日本人は、例によって、
戦勝国アメリカ(権力と同時に、権威を持つ)が決めてしまったことを、
「思考停止」して、そのまま、ずるずると受け入れしまい、
例によって、記者クラブで統制されたマスコミの偏向報道のもとに、
アメリカが塗り替えた戦争史観をそのまま受け入れることになってしまったわけだ。
だが、ここにきて明らかになっていることだが、
CIA文書で明らかになった、アメリカのエージェントとなっている
岸信介、児玉誉士夫、正力松太郎、
それからかなりグレーである緒方竹虎、笹川良一。
これらの主要人物は、当初、A級戦犯指定されながら、
突如として、許されるわけだ。
普通に考えれば、岸信介なんて、東条内閣の商工大臣である前に、
満州国の統治を「弐キ参スケ」の一人として主導して、
さらには、官僚時代には、「新官僚」として、国家総動員法を、主導した人物でもある。
A級戦犯中のA級戦犯である。
そんな人物が、アメリカの後押しを受けて、首相に就任し、
それで、アメリカの属国統治を決定づける安保改定を、
国民の猛反発をさえぎって、強引に推し進めてしまうわけだから。
その後も、清和会の重鎮として、日本政治の黒幕に君臨するが。
ある意味、二重で国家を裏切ったともいえる。
岸は岸なりに、国家を考えていたというが、極めて独善的であると思う。
一方で、「落日燃ゆ」の主人公となった
広田弘毅のような人物も、A級戦犯にはいる。
彼が、首相在任中に、軍部大臣現役武官制度を、
軍部の圧力に抗しきれず、認めてしまったのは事実だが、
しかし、それをもって、彼を戦犯とするのはあまりに乱暴すぎた。
広田の政治家や、官僚としてのキャリアのほとんどは、
「幣原外交」の担い手として、協調外交の実現につとめ、
また、軍部からの不当な要望も無力化することに尽力し、
中国との和平にも、努力した人物である。
A級戦犯と一括りにされるが、彼のような、
本来、和平努力につとめた人物も、東京裁判の結果、処刑されているのである。
結局、私たち日本人は、
この戦争を通じて、300万人もの人命を失いながら、
また、アジアでは中国、インドネシアを中心に、
1,500万人を超える人命を奪っておきながら、
日本人自身が、十分に、その検証を行ってきたいのではないかと考える。
靖国神社には、A級戦犯が祭られているから、
参拝の是非がどうこうと、あるが、
しかし、そもそもそのA級戦犯の定義自体が正しいのか。
安易に、われわれは中国、韓国などアジア諸国への
「お詫び」がどうこういうが、
そもそも、いったい何が「お詫び」する点だったのかを検証できているのか、
そして、反省をきちんとできているのか。
また、アメリカによる原爆投下で30万人近い人がなくなっているが、
この必要がなかった虐殺に対して、
アメリカに戦後、きちんと抗議ができているのか。
そして、世界に核兵器の恐ろしさを伝える努力を政府はしてきたのか。
また、戦後も長らく、犠牲になった沖縄について。
われわれは、いったい沖縄が一身で引き受けてしまったその苦労を、
どこまで理解をしているのか。
そのうえで、基地問題と、安全保障を議論することができているのか。
結局、いまだに日本人は、「思考停止」をしたまま、
あの戦争も、悲劇のドラマとして、自分の涙腺の快感を満たす道具にさえ使って、
本当に、戦争から、学ぶべき、反省や、検証ができていないのではないかと思う。
ここで私がいっている反省や、検証というのは、
単に、アジア諸国や、戦争被害者に、お詫びをするべきだとか、
そういう議論をいいたいのではない。
日本人自身が、戦略性のなさや、外交力のなさ、
マスコミに踊らされる体質、マスコミそのものの既得権益としての実態、
官僚主義とは何なのか、
検察や裁判は戦後、民主化されたのか、
われわれの集団無責任体質、それから暴走癖。
こうしたことについて、きちんと、いまだに検証も、議論も、反省もできていないのではないか。
東京裁判をもって、思考停止になってしまったのではないか、
そのことを、きちんと考えなければいけないと思うのだ。
こういう反省や、検証ができないままでいるから、
戦後、65年たっても、いまだにアメリカの間接統治を甘んじて受け入れているのだと思う。
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