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【安藤慶太が斬る】
北朝鮮は手強い国である。周到な情報操作を繰り広げているからである。なぜそんなことを言い出したか。むろん、朝鮮学校の高校無償化の適用が大詰めを迎えているからだ。朝鮮学校を適用対象にするかどうかについて私の思いは以前この欄で「朝鮮民族は『朝鮮学校統治』を容認するのか」と題してほぼ述べたつもりだが、今回再び考えてみたい。
■無償化実現の工作
今回、まず書きたいのは最近になって分かってきた無償化実現に向けた朝鮮総連の工作の数々である。日本人に成りすまして文部科学省に適用対象にするよう働きかけるという工作もあった。小平市議会では総連の作成した草案の“丸写し”の意見書を可決するという出来事もあった。
TVで流れる朝鮮学校の風景も、生徒が談笑しあったり、どこにでもあるような明るく躍動感あふれるキャンパス映像が多い。そこに文部科学省や国会議員が視察で訪れ「子供たちには罪がない」とか「日本の高校生と何ら変わらない」といった雰囲気が醸成されていく。だが、裏ではしっかり、総連による緻密な指示が流れていることも分かっている。
要するに仕組まれているということだ。工作活動なのである。例えばある地方議会を舞台に自分の意に沿う要望を持ちかけ、それを可決させるよう働きかけることを想像して見てほしい。働きかけるだけでなく実際、自分の思惑通りに意見書が採択されるとなるとどれだけ難しいか分かるだろう。ところが彼等はそうしたことをやってのけるのである。議会工作やメディア工作、世論作りを展開しながら、日本社会を切り崩している。その力量は侮れない。
■無警戒ではないか
そんなことを考えると川端達夫文部科学相の国会答弁はいかがなものか、と思う。国会で川端文科相は「(無償化にあたって朝鮮学校における)教育内容は自由である」「高校の教育課程に類するかどうかを客観的・普遍的に判断したい」などと言っている。一方で総連の実態などを報じた産経報道には「事実関係を把握していない。調べる権能も文部科学省にはない」と言ってしまう。事実関係もつかめず、その権能もなく、どうして高校の教育課程に類するかどうかが客観的に判断できるのだろうか、まずそれが不思議でならないが、そんなことより無警戒さを感じてしまうのである。
朝鮮学校への視察にも同じ思いだ。朝鮮学校への視察は文部科学省だけでなく、国会議員も行っているが、国会議員については、委員会などで是非が指摘されていた。政治家の街頭演説同様、「某月某日 朝鮮学校を視察」などとメディアを集めて、校門正面から堂々とこぞって訪ねていく、そんなやり方で、何が分かるのだろう。朝鮮学校の真の姿などつかめるはずはないのである。
文部科学省の視察も同じ思いである。これも事前に総連から指令が出て、周到な準備が施されたうえでの視察だったことがすでに明らかになっている。彼等の視察はただ、自ら罠にはまりに行くような行為ではないのか。これまた無警戒過ぎるのである。
■キムヘギョンの教訓
北朝鮮の拉致事件が関心を集めていた2002年10月25日のことだ。横田滋さんの孫にあたるとされる、キムヘギョンさんが日本のTV番組に出演して「おじいさん、おばあさんどうしてピョンヤンに来て下さらないのですか」という映像が全国に流れたことがある。映像は独占映像として流れ、TV局は特番を組み、スタジオには横田滋さんが出演、司会者が「(ヘギョンさんに)会いたいですよね」と何度も同じ質問を浴びせ、横田さんが苦渋に満ちた表情で、交わしていた、そんな映像だったように記憶している。
ところが、番組に出演した西岡力氏が突如、この番組の設定自体が北朝鮮の謀略じみた行為に加担している、と激しく抗議し始めたのである。
西岡氏がTV局の姿勢を質した結果、番組の雰囲気は急に険悪になった。TV局は釈明を繰り返していたのだが、どうだろう。私には北朝鮮がキムヘギョンさんを使って横田さんに揺さぶりをかけるあの国の悪辣さとともに、番組がいかに虚構に満ちているか、「ヘギョンさんに会いたいですよね」などと横田さんに迫る司会者の質問がいかに心なく、そして、むごく罪深い質問であるか。そのことに無自覚な番組制作者側の迂闊さばかりが目に焼き付いてしまった。
さきほど、文部科学省や川端文科相の無警戒さを指摘したが、メディアもこの程度なのかもしれぬ。北朝鮮の周到な仕掛けに無警戒だったという自省の糧にすべき話なのかもしれない。
まず、横田さんが孫に会いたくないはずがないのである。だが、ここで見逃してはならないのは、そうした“親心”につけ込み、横田さんに揺さぶりをかける舞台裏の北朝鮮の意図のおぞましさなのだ。
極端な情報統制を敷く北朝鮮に住むキムヘギョンさんのインタビューができるよと持ちかけられて「いやあ、そんな映像やインタビュー、うちの新聞社では要りませんよ」などと断れないところにメディアの弱みがある。ネタがある、スクープだと言われると弱いのである。
だが、問題は北朝鮮という国が私たち日本のメディアのこうした特ダネやスクープに群がる習性を熟知したうえで、メディアに近づき、ピョンヤンでのインタビューを持ちかけてくる、その裏の意図である。ヘギョンさんの一件は確かにスクープ映像ではあるのだが、舞台裏に横たわるすさまじく周到に仕掛けられた情報戦の一翼を無自覚に担わされてしまったという面を真剣に考えないといけない。
どんなスクープ情報にも何かしらの情報源の恣意なり、意図なり、狙いがある。そういう思惑を伴ってメディアに近づいてくるのが常である。北朝鮮問題に限らず私たちはそうした意図を適確に見抜かないと利用されるだけに終わってしまう。
北朝鮮のこうした“策動”に過不足なく対応するのは難しい、と思う。何しろあの国の、瀬戸際外交で米国すら時に翻弄され、欺かれてしまうことがあるからだ。
■愚弄され続ける日本
「高校の教育課程に類するかどうかを客観的・普遍的に判断する」
これは文科相の朝鮮学校の“判断基準”らしき答弁だが、こういう問題が文教法令の論理だけで決まっていいはずがないのに、決められようとしている。おかしいではないか。
日本人を拉致して、そのことを長年にわたって認めてこなかった。ようやく認めたと思ったら、ニセの遺骨を差し出してきたこともある。日本に向けてミサイルを撃ちこんだこともあった。そのミサイル技術の一部が「メイドインジャパン」ではないか、という疑惑もあったと思う。わが国は遺憾なことに翻弄され続け、愚弄されてしまっている。
■教育の論理だけで決めていいのか
そういう北朝鮮という国家の公民教育を担うのが朝鮮学校である。そこの授業料を日本の税金で賄うといっても、資金を手にするのは生徒ではなく全額学校である。それが何を意味するか。
過去のコメ支援もそうだった。人道支援などと言いながら、結局は金正日体制への支援に終わってしまうあの教訓は活かされないのだろうか。まして、米韓は今、北朝鮮への追加制裁を検討している。そんな時期に、無償化の対象に朝鮮学校を含めてしまう判断が何を意味するか。事実上の北朝鮮への経済支援と見なされる可能性だって十分あるはずだし、北朝鮮にとって日米韓の足並みの乱れを誘い分断を図ろうと仕掛けているのかもしれない。国家として考えなければならない論点は盛りだくさんであり、文教法令の論理だけで決めていいはずがないのに、なぜかそうはなっていないのである。
■橋下知事の好判断
ところで大阪府の橋下徹知事が「北朝鮮国家との関連性や権力崇拝をやっているような学校が認可に値するのか、そもそも論で考えないといけない」と述べた。
大阪府内の朝鮮学校は学校教育法上の「各種学校」として、府が認可してきたものだが、橋下氏はそもそも無償化の適用の是非以前の話として学校認可そのものへの疑問を述べたのだった。
橋下知事は「日本のルールにあった学校形態にしてもらうことを朝鮮学校側に要求する」とも述べた。そうなのだ。朝鮮学校を認可するということは日本の教育法令に位置づけを与えるということである。位置づけを与えるということは日本の教育機関として日本の教育法令の適用を受けるということであって、日本の学校である以上、各種学校だろうが何だろうが例えば、「朝鮮総連」の不当な支配は断固排除せねばならない話になってくる。日本の公費を出すなら、それ以上のハードルが課せられる話だ。
■最後に
しかし、朝鮮学校に日本の教育法令における位置づけが必要というのもそもそもヘンな話だ。前にも書いたが、朝鮮学校とは朝鮮民族の民族教育を目指しているのだろう。ならば、朝鮮民族の誇りと情熱、英知と資金の蓄積で築くべき話である。まして他の国民の税金で賄う民族教育機関なんて、まともな民族教育機関であるのか。本来、民族の誇りにかけて許してはならない屈辱的な話ではないのだろうか。
日本の税金で賄うのを当然ととらまえる向きもあろう。賄うことこそ、彼等らに資すると考えている日本人も多い。だが、果たしてそうなのだろうか。この問題は日本に国家としての時流に流されない判断が求められていると同時に、朝鮮民族の民族の矜持の問題でもあるのだ。(安藤慶太・社会部専門職)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100815-00000559-san-pol
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