136. 2015年2月26日 00:39:08
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>>135です。>日本航空123便は、墜落したのではなく、山腹への胴体着陸という不時着である。 読んでいくうちに私にもそう思えてきました。 「日本航空123便墜落事故を検証する」さんの冷静な分析には感心しました。 もったいないので続きも載せます。
_______________________ 123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2 http://www.link-21.com/JAL123/022.html (1) 事故の原因は内部的要因ではなく外部的要因によるもの
●事故報告書の後部圧力隔壁の破壊説は、落合由美さんの証言や、ボイスレコーダーのコックピット内の状況からも、機内の気圧は安定していて、圧力隔壁が損壊した時の急減圧は起きていない。 ●垂直尾翼が落下したり全油圧系統が機能停止したの原因は、外部要因以外考えられない。 (2)事故当日の状況
●事故当日、事故現場の相模湾では、、相模湾内で護衛艦「まつゆき」が試験航行していた。すでに指摘されているように、誘導レーダーの実験演習が行われていて、123便の衝突したのは実証実験中の誘導ミサイルと考えることは自然である。 ●ネット上での説は、無人標的機のファイア・ビーが犯人であるとしているが、ボイスレコーダーに衝撃音が2度あることから、無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾していた誘導ミサイルのチャカ2が連続して123便に衝突したと考えるべきである。 ●誘導ミサイルの実証実験は、無人標的機のファイア・ビーを飛ばして、誘導ミサイルのチャカ2が追尾する状況を検証していたと考えるのが自然であり、衝突したのを、 ファイア・ビーかチャカ2のどちらかという議論は意味がない。 ●以下、無人標的機のファイア・ビーと、誘導ミサイルのチャカ2が123便に衝突したという説を論理展開していく。 (3) ファイア・ビーとチャカ2の衝突時の状況 ●日本航空123便は、離陸から12分後の18時24分、相模湾上空を巡航高度の7,200mを南西方向に機首を向けて上昇していた。 ●同時刻に、誘導ミサイルの実証実験をしていた護衛艦「まつゆき」から発射された。 ●無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾する模擬誘導ミサイルのチャカ2は、高度7000m付近を南東方向の縦に並んで水平飛行していた。 ●南東に向けて水平飛行していた「ファイア・ビー」と「チャカ2 」は、南西に向けて上昇中の日本航空123便クロスするように衝突。 ●先頭を飛んでいた「ファイア・ビー」は、123便の胴体の中央下部に、「ファイア・ビー」を追尾していた「チャカ2 」は、1一秒遅れて水平尾翼に衝突した。 ●この時の衝撃音が、18時24分35秒と36秒の衝撃音。 日本航空123便は、胴体中央下部への衝突で油圧系統が損傷。さらに、車輪格納扉が落下もしくは開放され、機内は着陸警報が一秒間鳴り、同時に急減圧による白い霧が発生し酸素マスクが自動降下した。 一秒後に「チャカ2 」は、水平尾翼に衝突して垂直尾翼が落下。水平尾翼が、進行方向に対して機尾が九の字の跳ね返り、さらに右舷に傾いた。以降、123便は、直進の際に、機首が上を向きながら右へ傾くようになる。 123便は油圧系統の制御が不能となり、機体は上昇する傾向と右へ傾く傾向が生じる。 (4) デジタル飛行データとの照合
参考資料 第三章 事故調が主張する事故原因についての検討 デジタル飛行データでは、異常発生時に、上下方向の加速度が、一瞬、+0.75Gに下がり、次の瞬間には、横方向の加速度が加わったことを示したあと、機首が1秒間に4.5度機首を上げして、2秒後に元の位置に戻っている。 最初の加速度が下がったのは胴体下部に衝突したファイア・ビーの影響で、一秒後に。横方向の加速度が加わったのは、チャカ2が垂直尾翼に衝突した証拠。 一秒後に機首が上がったのは、チャカ2 の衝突で、水平尾翼を中心に加速度にブレーキがかかり、機首が上がったとと考えられる。 (5) 遺族が公開した写真にファイヤー・ビーが映り込んでいる。
●事故現場から回収されたネガフィルムには、胴体下部に衝突したファイヤー・ビーが映り込んでいる。
●この写真は、右側最後部)ドア近くの乗客が所持していたもので、事故後遺族が公開した写真である。 ●写真は数枚連続して映されていてることから衝撃音の直後に窓から外の様子を写したのだと推測される。 ●上昇中の123便の左舷から水平に胴体下部に衝突したファイヤー・ビーは、角度を変えて、123便の右後方に飛んでいたとすると、この写真の説明がつく。 ●おそらく、二度の衝撃音で機内が騒然となっているなかで、窓の外を見ていた乗客がファイヤー・ビーに気が付いたのだろう。そして、シャッターを押した。 (6) ボイスレコーダーとの照合
●当時の、123便のジャンボ機は、機長と副操縦士。そして航空機関士の3人体制で運行していた。 慣例で通常航空機の操縦席は、左席に機長席座り、副操縦士は右席に座る。 この日の123便は、副操縦士が機長昇格訓練のために、副操縦士が左席に操縦と交信を担当していて、機長が右席でモニター業務を行っていた。 以下、ボイスレコーダーの会話記録で、(CAP)は機長、(COP)は副操縦士、(F/E)は航空機関士、(PUR)はパーサー、(STW)はアシスタント・パーサーを含むスチュワーデス、(PRA)はプリレコーデッド・アナウンスを意味します。 18時24分35秒 「ドーン」というような音 18時24分36秒 「ドーン」というような音 18時24分37秒 【客室高度警報音 又は 離陸警報音】 18時24分38秒 (CAP)まずい 18時24分39秒 (CAP)何かわかったぞ ●衝突音の後、機長は「まずい。何か(音の原因)が(何か)わかったぞ」と言っています。これは、右側に落下するファイヤー・ビーを視認したからで、ファイヤー・ビーが123便と衝突したことを理解したのでしょう。 18時24分40秒 18時24分41秒 18時24分42秒 (CAP)スコーク77入れるぞ ●機長は、即、スコーク77を発信して自衛隊機の123便の位置を知らせます。 18時24分43秒 (CAP)入れる入れよ。 18時24分44秒 (COP)はい ●機長の「入れる」とは、ATCトランスポンダにコード番号を入力するという意味。 続く「入れよ」とは、ATCトランスポンダの周波数で自衛隊機との音声による交信に入れと、副操縦士に指示をだしています。 この時、副操縦士が左に座っていて操縦と交信を担当していて、機長は右側でモニター業務をしている。 スコーク77の識別信号を自動発信するATCトランスポンダは、同じ周波数を使うことで、機長席のヘッドフォンを通じて軍用航空機と音声で交信できる。 機長は、識別コードの入力後、副操縦士のヘッドフォンに自衛隊機との交信が入ることを副操縦士に伝えている。 18時24分45秒 18時24分46秒 (ここから自衛隊機との交信開始) 18時24分47秒 (COP) スコーク77 18時24分48秒 (COP)オレンジエア ●副操縦士が「スコーク77」「オレンジエア」と話しているのは自衛隊機に言っています。「スコーク77」は緊急事態宣言。「オレンジエア」は、ファイヤー・ビーが衝突したことを伝えています 。 18時24分49秒 18時24分50秒 18時24分51秒 (F/E)ラジオ追送いたしますので 18時24分52秒 18時24分53秒 (COP)はい 18時24分54秒 18時24分55秒 (COP)オレンジエア ●ここも、自衛隊機と副操縦士との会話。機長席に副操縦士が座っていたので自衛隊機との交信は副操縦士しかできなかったのでしょう。 18時24分56秒 18時24分57秒 (COP) ハイドロプレッシャみませんか? 18時24分58秒 18時24分59秒 (CAP)何か爆発したろ? ●この爆発音で、油圧系統が駄目になったのだと推測されます。 18時25分53秒 (CAP) バンクとんな そんなに 18時25分54秒 (COP) はい 18時25分55秒 (CAP) バンクそんなにとんなってんのに ●この会話で、123便が右舷に傾くように飛行している状況がわかります。これは、2回目の衝撃で後部水平尾翼が、右舷方向に傾いたことを意味しています。 18時26分31秒 (CAP) ディセント 18時26分32秒 (COP) はい 18時26分33秒 (F/E) ディセンドしたほうが 18時26分34秒 いいかもしれないですね 18時26分35秒 (COP) ディセンド 18時26分36秒 18時26分37秒 18時26分38秒 18時26分39秒 18時26分40秒 【高度警報音 2秒間】 18時26分41秒 (CAP) なんでこいつ・・・*ディセンド(緊急降下)失敗。 ●この会話は、ディセント(緊急下降)しようとするも、コントロールできずに、むしろ、設定した巡航高度を超えていることを警告する高度警報音が鳴っている。 つまり、123便は上昇している。だから、機長の「 なんでこいつ」という会話となる。 ●123便の水平尾翼は、2度目の衝突で、機尾が進行方向に対して反り返るように変形していて、上昇する傾向が出ていた。 18時28分14秒 (F/E) 下がりましょう 18時28分48秒 (CAP) ライト ターン 18時28分49秒 ディセンド ●123便は、右旋回しながら高度を下げようとしています。機首が上に向く傾向があるので、出力をあげると失速することも機長は指示を出しています。 18時29分05秒 (CAP) ストールするぞほんとうに 18時29分06秒 (COP) はい 気をつけてやります 18時29分07秒 (CAP) はいじゃないが 18時29分08秒 (COP) はい 18時29分09秒 (CAP) ディセンド ●しかし、高度は下がるどころか高度警報音がなります。 18時29分16秒 【高度警報音 2秒間】 18時37分04秒 (CAP) おりるぞ ●大月市上空で123便は右に旋回しながら高度を下げます。 18時37分31秒 (CAP) あたま下げろ (高度6800m) 18時38分04秒 (CAP) あたま下げろよ 18時38分05秒 (COP) はい 18時38分32秒 (F/E) ギヤダウンしたらどうですか? 18時38分45秒 (CAP) 出せない 18時38分46秒 ギヤ降りない 18時39分13秒 (F/E) オルタネートでゆっくりと 18時39分14秒 だしましょうか? 18時40分22秒 (F/E) ギヤダウンしました(高度6800m) 18時40分23秒 (COP) はい 18時41分00秒 (CAP) あったまさげろ (高度6300m) 18時41分01秒 そんなのどうでもいい 18時41分07秒 (CAP) ストールするぞ 18時41分08秒 (COP) はい 18時43分23秒 (CAP) あたま下げろ 18時43分24秒 18時43分47秒 (CAP) おもたい 18時43分48秒 もっと もうすこし 18時43分49秒 あたま下げろ 18時43分50秒 (COP) はい 18時43分56秒 (CAP) 下がるぞ 18時44分05秒 (CAP) おもたい 18時44分22秒 (CAP) いっぱいやったか? 18時44分23秒 (COP) いっぱい かじ 18時44分24秒 いっぱいです 18時44分43秒 (CAP) あーおもたい 18時44分47秒 (F/E) フラップどうしましょうか? 18時44分48秒 下げましょうか? 18時44分49秒 (CAP) まだはやい 18時44分50秒 (F/E) まだはやいすか 18時44分51秒 (CAP) まだはやい 18時44分52秒 (COP) ギヤおりてますか? 18時44分53秒 (F/E) ギヤおりてます 18時44分54秒 (CAP) えっ 18時44分55秒 (COP) コントロールのほうが 18時45分18秒 (CAP) ここでホールド・・・ (高度4000m) ●これ以降は、123便は墜落ではなく不時着したという説で、ボイスレコーダーとの照合をします。 __________________ 123便は墜落したのではなく不時着した http://www.link-21.com/JAL123/023.html
(1) 墜落ではなく不時着だった
1985年8月の日航機123便墜落事故の真実は、墜落ではなく不時着したと考える方が合理的だ。 なぜなら、航空機事故で、離陸時や着陸時の不時着による事故での生存者はいるが、墜落した状況で生存者がいた事例はないからだ。 日航機123便は、山腹を駆け上がるように着陸する胴体着陸を試みて、切望的な状況で多数の生存者が出た。(4人だけが救出) (2) 斜面を利用しての胴体着陸だとする根拠
墜落直前に、「あたまあげろ」「パワー。パワー」と叫びながら録音は終わっています。 123便は墜落直前にエンジンを全開にして機首を上げていたのでしょう。斜面と機体が平行になるように。つまり、山の斜面を駆け上がるように胴体着陸を試みていたのです。 墜落した状況は、
1 図1のAの地点で胴体の底が接触。 2 Bの地点で胴体の後方部分が接触し、尾根をU字に削り 3 C(写真2)の地点に3右翼を下に墜落。 4 右エンジンの爆発で胴体が折れて、 5 写真3の方向に胴体後方から斜面をずり上がり 6 機首部分は、写真1の方向に斜面を上にずり上がっていった。 おそらくBの地点で胴体が尾根と接触し、機体が右に傾きそのまま写真2に機体の腹から衝突したと考えられます。 衝突で機長が「駄目だ」と言ったのは、それまで保っていた水平が、Bの地点接触で、機首が少し下がり右翼が下がったからだと思います。 結果的には、右翼を下にして写真2の地点に墜落し、右エンジンが爆発し胴体が分離し、胴体後方部は尾翼側を上にして斜面写真3の方向にずり上がり、機首は写真1の方向に斜面をずり上がったと考えるべきです。 (3) 事故報告書の墜落時の状況では生存者は出ない
−18時56分23秒− 機体後部と右主翼が三国山の北北西1.4キロメートルの稜線 (標高1,530メートル・通称「一本から松」の地点。全体図Aの地点) にある数本の樹木と接触、第4エンジンが機体から脱落。機体は反動で浮上し、大きく機首を下げ右側に傾く。 23秒の衝撃音の直前には、機長の「もー、だめだ」という悲痛な叫び声が記録されている −18時56分26秒− 右主翼が「一本から松」から西北西約520メートルの稜線(標高約1,610メートル・通称「U字溝」の地点。全体図Bの地点)をえぐり、垂直尾翼・水平尾翼が機体から脱落。 −18時56分28秒− 機体後部が離脱。 −18時56分30秒− 「U字溝」から更に北西約570メートルにある稜線に、右主翼と機首を下に向けほぼ倒立するような形で激突。機体はそのまま前のめりにひっくり返り裏返しになるような形で墜落した(全体図Cの地点)。 *この墜落状況で生存者がいたとは考えられない。 (4)ボイスレコーダーとの照合
大月市上空を旋回して、5分間で高度6800mから高度フィートから4100mに降下した123便は、46分9秒の『羽田にコンタクトしますか?』の交信あたりから、123便の進路は、突如として北西方へ進路を変更する。 進路変更した経緯は、ボイスレコーダーではわからないのだが、46分33秒に機長は、「これはだめかもわからんね」と発言している。 スコーク77を発信して以降、123便は自衛隊機の管理下にあり、機体が制御できない123便の横田基地への着陸も、羽田への帰還も、誘導している自衛隊機の指示であったと推測する。 46分33秒の「これはだめかもわからんね」の発言の真意は、自衛隊機から、秩父山中の山腹への不時着を指示されていたと考える。 水平尾翼が九の字に反り返った123便は、機首が上がる傾向にあり、これを利用すれなば、失速させ高度を下げて不時着直前にエンジン全開にすれば機体が斜面をずり上がるという作戦である。 123便は機首を北北西に変えて、さらに高度を下げていく。 18時47分00秒 (STW) 高度はだいぶおりてます。高度2700m 落合由美さんの証言で、窓に富士山が見えたという証言がありますが、この時に富士山よりも低く飛んでいたことの証明でしょう。 18時47分39秒 (CAP) おい山だぞ (F/E) はいどうぞ 18時47分41秒 (CAP) ターンライト 18時47分43秒 (CAP) 山だ (COP) はい 18時47分44秒 (CAP) コントロールとれみぎ 18時47分45秒 ライトターン 18時47分52秒 (COP) ライトターンですね? 18時47分53秒 (CAP) 山にぶつかるぞ (COP) はい 18時47分55秒 (CAP) ライトターン この時に123便は不時着すう斜面を探しながらダッチロールしていたと思われます。そして、最初の不時着へのトライと中止。 18時47分58秒 [警報音 48分26秒まで鳴動継続] 18時49分59秒 (CAP) マックパワー 不時着中止 18時48分00秒 (COP) マックパワー 18時48分02秒 (F/E) がんばれー 18時48分03秒 (CAP) あーふたりでやらなくていい 客室高度警報音 又は 離陸警報音というのは、対地接近警報装置の初期段階ではないだろうか。機長は、山腹への胴体着陸にトライしたが、瞬時に中止してエンジンの出力を上げて再浮上した。機内では、緊急着陸がアナウンスされて乗員、乗客は衝撃体制をとっている。 18時48分04秒 18時48分05秒 (CAP) レフトターンだ 18時48分06秒 18時48分07秒 18時48分08秒 (CAP) レフトターン (COP) はい 18時48分10秒 (CAP) レフトターン 18時48分11秒 (STW) こんどは予告しない着陸する・・・ 18時48分12秒 (CAP) レフトターン 18時48分16秒 (CAP) パワーちょっとしぼって 18時48分19秒 (CAP) あーみぎみぎ 18時48分20秒 あったま下げろ 18時48分35秒 (CAP) あったま下げろ そして、機長は2回目のど山腹への胴体着陸を決意する。 18時48分37秒 (CAP) よし 18時48分 40秒 (CAP) やまいくぞ (COP) はい しかし、再度再浮上。このときに123便は激しくダッチロールしたと思われます。 18時48分51秒 (COP) ふかしましょうか 18時48分52秒 (CAP) パワーパワー 18時48分54秒 (CAP) ハー (荒い呼吸音) 18時48分55秒 ハー 18時48分56秒 ハー 18時48分57秒 ハー 18時48分58秒 ハー 18時48分59秒 (CAP) パワー 18時49分00秒 (CAP) ハー (荒い呼吸音) 18時49分01秒 ハー 18時49分02秒 ハー 18時49分03秒 ハー 航空機関士が再浮上を提案。機長が同意して高度3000まで浮上するも、機首が上がりすぎたためにストール(失速) 18時49分11秒 (F/E) ふかしましょう 18時49分12秒 ふかしましょう 18時49分13秒 (CAP) ライトターン 18時49分39秒 (CAP) あーだめだ・・・ 18時49分40秒 18時49分41秒 (CAP) ストール 18時49分42秒 (CAP) マックパワー マックパワー 18時49分43秒 マックパワー 18時49分44秒 18時49分45秒 (CAP) ストール 18時49分46秒 [失速警報音 1秒間] (CAP) はいこうどおちた このあと、機首が上げ下げするフゴイド運動が出るが18時53分にフラップを出して機体を安定させた。 このあと、機首が上げ下げするフゴイド運動が出るが18時53分にフラップを出して機体を安定させた。この混乱の中で、現在位置を見失い、位置を確認。 18時54分55秒 (F/E) はい了解 18時54分56秒 (F/E) 熊谷から25 18時54分57秒 マイルウエスト 18時54分58秒 だそうです そして、再度、胴体着陸を試みる。 18時55分01秒 (CAP) フラップおりるね? 18時55分03秒 (COP) はいフラップ 18時55分15秒 (CAP) あたま上げろ (COP)なっております 18時55分27秒 (CAP) あたま上げろ 18時55分42秒 (COP) パワー 18時55分43秒 (CAP) フラップとめな 18時55分45秒 (? ) あーっ 18時55分47秒 (CAP) パワー (CAP) フラップ 18時55分48秒 みんなでくっついちゃだめだ(手動操作) 18時55分49秒 (COP) フラップアップフラップアップ 18時55分50秒 フラップアップフラップアップ 18時55分51秒 (CAP) フラップアップ (COP) はい 18時55分56秒 (CAP) パワー 18時55分57秒 (CAP) パワー 18時55分58秒 (CAP) フラップ 18時55分59秒 (F/E) あげてます 18時56分04秒 (CAP) あたま上げろ 18時56分05秒 18時56分06秒 18時56分07秒 (CAP) あたま上げろ 18時56分08秒 18時56分09秒 18時56分10秒 (CAP) パワー 18時56分11秒 18時56分12秒 【火災警報音 1秒間】 18時56分13秒 18時56分14秒 【GPWS=地上接近警報】 (GPWS) SINK RATE 18時56分15秒 18時56分16秒 (GPWS) WHOOPWHOOP 18時56分17秒 (GPWS) PULL UP 18時56分18秒 (GPWS) WHOOPWHOOP 18時56分19秒 (GPWS) PULL UP 18時56分20秒 (GPWS) WHOOPWHOOP 18時56分21秒 (GPWS) PULL UP (CAP) ・・・ 18時56分22秒 (GPWS) WHOOPWHOOP 18時56分23秒 (GPWS) PULL UP 【衝撃音】胴体下部で尾根をU字に削る 18時56分24秒 (GPWS) WHOOPWHOOP 18時56分25秒 (GPWS) PULL UP 18時56分26秒 【衝撃音】墜落 ____________________ スコーク77と自衛隊機の誘導 http://www.link-21.com/JAL123/024.html
●スコークとは、航空機から発信される信号を、地上の中継器を介して、他の航空機がその信号を受けるシステムです。 基本的に軍用航空機に使われるシステムで、飛んでいる航空機は、発信されるこの信号をレーダーで視認することで友軍機の位置情報を得ます。 民間航空機には、このシステムの発信装置の搭載が義務付けられていて、軍用航空機は、民間航空機の位置を機内の二次レーダーで視認することができます。 送信する信号は4桁のコードで分類されていて、ハイジャック、通信機故障、緊急事態などの場合は、信号は自動で送信が継続されます。 ●また、同じ周波数を使って音声による交信もできます。 識別コードの種類は以下のとおり 1200 VFR(有視界飛行方式)により高度10,000 ft未満を飛行するとき 1400 VFRにより高度10,000 ft以上を飛行するとき 2000 コードについての指示を受けていない航空機がIFR(計器飛行方式)でレーダー管制空域外からレーダー管制空域へ入る場合の二次レーダーへの返信用。 3333 整備用 4444 整備用 5555 整備用 7500 ハイジャック 7600 通信機故障(NORDO=NO RADIOとも呼ばれる) 7700 緊急事態 7777(欧米)軍用機用コード。スクランブル発進した戦闘機が使用する。 スコークに対して、民間航空機は、航空交通管制から発信されるパルス信号を、航空機に搭載した中継器で受けることで、二次レーダーに反映させています。 これはモードCともいい、スコークをモードAとして使い分けています。モードCは主に、高度などを監視するシステムです。 モードA 航空機が発信した電波を地上の中継器を経由して他の航空機や施設がで受信 モードC 地上で発信した電波を航空機に搭載した中継器を経由して、地上で受信 スコークで緊急事態を宣言しても、民間の航空交通管制の二次レーダには反映されません。 民間の航空交通管制の二次レーダに航空機の緊急事態の表示が出るのは、航空交通管制が宣言を受けて手動で表示させます。 従って、民間航空機がハイジャックされてスコーク75を発信すると、近くの軍用機のレーダーに緊急事態の識別コードが反映されますが、民間の航空交通管制の二次レーダには反映されません。同じように、民間航空機がスコーク77を発信した場合も、民間の航空交通管制の二次レーダには反映されません。 ●また、スコーク77は、民間機が何かに要撃の対象とされた場合の緊急コールで、発信した民間航空機は、、自衛隊機の指示・誘導に従うよう定められています。 スクランブルをかけた自衛隊機が使用する言葉は次の4つです。 1.当方に従え 2.着陸のため降下せよ 3.この飛行場に着陸せよ 4.そのまま飛行してよい これに対して、要撃された民間機が使用できる言葉は、次の6つです。 1.了解、指示に従う 2.指示に従うことはできない 3.指示を繰り返してください 4.自機の現在位置がわからない ←リクエストポジション 5.○○に着陸したい 6.降下したいスコーク77の緊急事態のコードは、民間航空機が ●123便は、衝突音のあと7秒後にスコーク77の識別コードを送信しています。 ●しかし、東京管制が123便の緊急事態の宣言を受けたのは、衝撃音の2分29秒後。東京管制の二次レーダーに123便が緊急事態であることを示す信号がついたのはここからです。また、そのあとに、東京管制はどのような緊急事態か123便に聞いていますが、123便は応答していません。 ●これは、スコーク77の発信で、自衛隊機の指揮下に入っているために、答えられなかったのです。 ________________ 生存者は多数いたのに救助しなかった? http://www.link-21.com/JAL123/005.html
●着陸時の状況は、落合由美さんの証言でわかります。あえて着陸というのは多数の生存者がいたからです。 ●衝撃がありました。衝撃は一度感じただけです。(中略)墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。 ●そう、あの絶望的な状況の中で、結果論ですが、本来ならば山腹に激突して乗員の全員が死亡する状況で生存者がいたのです。 ●生存者の一人の落合由美さんの証言は、墜落後の現場の様子が時系列にとてもよくまとめらています。彼女の証言で私が注目するのは、墜落後のあたりが暗くなったときに、若い女の人の「早くきて」という声のところです。 どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。 「早くきて」というのは、誰かがそこにいたことを示しています。つまり、墜落後に現場に入った人間がいるということです。それは自衛官だと思います。 それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。 突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。さかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。
________________ 生存者は多数いたのに救助しなかった?(その2) http://www.link-21.com/JAL123/006.html
●事故報告書では、21時20分には、米軍の座間基地から出た救難ヘリUH−1が墜落現場に着いています。しかし、このヘリは横田基地からの命令で救助をせずに帰還します。 ●私は、落合さんが女の人の「早くきて」を聞いたあと、しばらく時間が過ぎて、「ようし、ぼくはがんばるぞ」という男の子の声を聞いいていますので、この自衛官が遭難現場についたのは、8時ぐらいだと思います。 ●なぜなら、落合さんは男の子の声を聞いてすぐにヘリコプターの音が聞いきているからです。このヘリコプターが、米軍の救難ヘリUH−1であることは間違いがありません。 ●米軍の救難ヘリUH−1は救助活動をせずに現場を離れます。 やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。 このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。 ●救助を中止してヘリコプターが去ったあと、落合さん意識が薄れていったと証言していて、つぎに気がついたときには、「気がつくと、あたりはあかるかった。」と朝になっていたと証言しています。 ●米軍の救難ヘリUH−1が現場を去った21時30分、墜落現場の御巣鷹山方向から信号弾が上がったとの証言があり、これを合図に、上野村三つ岐に待機していたその自衛隊員が徒歩で現場に向かったといいます。落合さんは、この自衛官たちを記憶していません。 翌日の4時30分に航空自衛隊救難隊のヘリが、続く5時10分の陸上自衛隊ヘリが墜落現場を確認。5時37分の長野県警ヘリによる墜落現場の確認。 これらのヘリからは現場での自衛隊員の活動の報告はありません。上野村三つ岐から出発した部隊の現場到着は早くて12日の23時だとすると、翌日の4時には撤収していたと思われますが、もちろん救助の記録はありません。 13日の8時30分にやっとヘリから救助隊員がロープで降下。地上からの救助隊と合流し、11時に落合さんを含めて4名(ともに女性)の生存者を救出されるのです。 整理すると、 @ 墜落時間からして12日の21時ごろ、墜落後に現場に入った自衛官(達)が、状況の第一報を司令部に伝達。 A 21時20分 米軍の救難ヘリUH−1到着後すぐに帰還。 B 21時30分 墜落現場から信号弾確認 ●つまり、米軍の救難ヘリUH−1を帰したのも、墜落現場から信号弾を上げたのも、この自衛官(達)らが行ったと考えられます。とすると、若い女の人が「早く来て」と呼びかけたのも、男の子が「ようし、ぼくはがんばるぞ」と答えたのも、この自衛官(達)となります。 ●そして、信号弾を上げたのはこの自衛官(達)だとすると、翌朝、救助隊が現場を確認するまでの間に、他の自衛官らが現場に来たと考えてもおかしくはありません。 ●実際に、自力で現場に辿りついた民間人は、この部隊と出会い会話もしています。ヘリも飛んでいたという話も嘘ではないでしょう。 ●つまり、生存していた人たちの救助はもっと早くできたのであり、報告書の深夜でのヘリからの降下は不可能という見解は嘘だったことになります。 ●もっと、悪い言い方をすると、「死人に口なし」と生存者の存在を否定していたとしか考えられません。 ●助かる人を助けない日本の自衛官の存在を、亡くなられた123便の機長ら乗員や彼らを誘導した自衛隊機のパイロットは想像できるでしょうか。 _______________ 事故ではなく犯罪を隠蔽する陰謀 (その1?) http://www.link-21.com/JAL123/007.html
●JAL123便の陰謀説は、北陸大学(私立)職員の池田昌昭氏の説が中心となっているようです。 ○JAL123便の垂直尾翼を破壊したのはミサイルだ。 ○JAL123便は、自衛隊機からの空対空ミサイルで撃墜された。 ○墜落後に、墜落現場に入った自衛隊員は、ミサイルの残骸を回収していた。 ●池田昌昭氏は、「JAL123便事件は完全犯罪だった」とこれを事件と断定して、事故を分析し、仕組まれた事件、つまり、陰謀であると断定しています。 ●しかし、私は、垂直尾翼を失ったJAL123便は、自衛隊機の指揮下、乗員と乗客を助けるために、山腹への胴体着陸を試みていたと事故を分析しています。 ●横田基地への着陸を断念したのは機体を制御出来ない状況、滑走路外での墜落による二次被害を防ぐためで、JAL123便の機長も同意していたと考えます。 ●そして、山腹への着陸を決行。そして、多数の乗客が生存していた。 ●この後の不可解な捜索活動は、「死人にくちなし」と事故の隠蔽を図ったのは事実であり、それが垂直尾翼の破壊と関連するという分析は私もそう思います。 ●しかし、墜落直前に自衛隊機のミサイルで撃ち落されたとか、事故直後からミサイルの残骸を回収していたとか、自衛隊を悪魔のように書き立てる陰謀論には非常に違和感を感じます。 ●いや、その違和感が、それまで全く関心のなかったこの事件に関わるきっかけとなりました。 ●共有するべき重要な事実は、JAL123便は自衛隊機の指揮下、懸命な操舵をして、その結果が多数の乗客が生存できたという事実です。ここをきちんと理解してから、その後の事故の隠蔽を批判しないといけません。そうでないと、池田昌昭氏の目論みどうりに、事故が事件となり、真相の闇はさらに深く闇に沈んでいきます。 ●JAL123便の墜落事故は、事故であり事件ではありません。墜落後の救助が、不作為による無責任という官僚らの顕著な犯罪行動の典型です。まず、彼らの不作為という犯罪を立証して、責任の所在を明らかにするべきです。 ●陰謀 求める結果を求めて策を計略すること。 ●隠蔽 結果から生まれる責任を回避するために、事実。もしくは事象を覆い隠すこと。 ●事故 思いがけず生じた悪い出来事 ●「事故」の「結果」を「隠蔽」する作業は「陰謀」とは言わない。 ●求める結果を導くために事象を「隠蔽」し、事象を捏造することを「陰謀」という。 ●垂直尾翼を破損させたのは、事故当日の海上自衛隊の演習中の事故であるのは間違いがないでしょう。しかし、それは、事故でありミスです。JAL123便は自衛隊機の献身的な援護を受けていました。事故の隠蔽をしたのは自衛隊幹部であり★中曽根内閣など政治家らです。 ●彼らの無責任を成立させるために、事故は隠蔽されたのです。無責任を成立するために不作為による「死人にくちなし」を図られたのです。動機は単純です。 ●繰り替えしますが、JAL123便の墜落事故は事件ではなく事故です。その後の救助活動が不作為という犯罪であり、それを立証するのが無くなられた遺族や自衛官への供養となります。そして、日本人は、その犯罪の動機を解明することが求められています。 ●犯罪を陰謀にすり替えるのは犯罪者の陰謀です。 __________________ 8・12連絡会 運輸安全委員会への質問内容 http://www.link-21.com/JAL123/025.html
2010年12月6日 御巣鷹山の事故の疑問 1、急減圧について ●否定する部分については「その理由を明らかにできなかった」とある。 @ 急減圧このことに対して、生存していた4人の方たちからの立証は全く得ら れていない。 A 逆にスチュワーデスの落合由美さんからは、「ドーンとした後、白い煙が出 たがすぐに消えた」とあり、隔壁破壊による急減圧状態であれば客室内にもの すごい突風が流れ、気温が急激に氷点下何十度と寒くなるが、落合さんは、そ の様な現象はないと証言している。 B 日航一二三便の操縦室では、当然異常事態であれば酸素マスクをして操縦し ます。そうでなければ体に急減圧による異変が起きて安全な操縦が出来ないか ら。しかし、酸素マスクを付けていない。事故報告書は「運航乗務員は最後ま で酸素マスクを着用しなかったものと推定されるが、その理由を明らかにでき なかった」としている。 C 運航乗務員は異常事態発生後緊急降下に入ることなく、20,000 フィート以上 の高度で激しいフゴイド運動、ダッチロール運動を行いながら18 分間飛行した、 この間運航乗務員が緊急降下の意向を示しているのに緊急降下をしなかったが、 その理由を明らかにできなかった。と報告書にある。 D 警報音について 18時24分37秒にCVR に記録されているといわれる「警報音」はDFDR の記 録だけでは離陸警報か客室減圧警報かは判定がつかない。事故調の推定通りに、 この1秒の警報音が客室の減圧のものであったとするとなぜ1秒間だけで停止 したのか。その後約27 秒間停止再び25 分04秒から鳴りだしたのはなぜ?事 故報告書では、「その理由を明らかにすることはできなかった」としている。 ● 客室減圧警報ではなく、車輪の異常による、離陸警報音ではなかったのか? E ボーイング社から五名、アメリカの国家安全運輸委員会から二名、連邦航空 局から二名と連邦航空局の日本駐在官一名の計十名の調査団が来日し、八月十 四日に御巣鷹山に入った。その後、ボーイング社は、墜落から二十六日後の九 月六日にニューヨークタイムズ紙上で、「ボーイング七四七型機の設計自体に は問題はない。事故機は、修理ミスが原因で墜落した」と発表しました。 ●日本 の事故調査委員会は、このアメリカの主張に大きく引きずられる形で、事故原 因を「修理ミスによる隔壁破壊説」の決着になったといえないか。 2、海底捜索について ●海底捜査のプロセスはわかったが、なぜ20日だけだったのか。専門家は少な くとも1年がかりででも見つけないと見つからないといっている。当時の予算 の都合か、見つからなくても、捜査に問題ないという考えか。 ●最初の事故が起った地点は、相模湾上空。一番大事な相模湾の海底調査をおざ なりにしては本当の事故の原因はわからないのではないでしょうか。 その時刻には、相模湾上では、ミサイル自衛艦「まつゆき」が演習していたと いうことも詳しく知りたい。 ●海底捜索をした際のベタスキャンの生画像が運輸安全委員会保存されています か? 保存されているなら一度みせていただきたい。 ●17箇所特定の妥当性ないしは、今後の再捜査のかぎがあるかもしれません。 3、救難救助の遅れについて ●報告書では、捜索・救難活動について、墜落地点は山岳地域であり、夜間の捜 索ということで機体の発見と墜落地点の確認に時間を要したのはやむを得ない と考えられるとしている。 ●米軍ヘリのパイロットが後で証言していることですが、「十二日の二十時五十 分には、米軍のヘリが墜落現場上空にいた。煙があがるところより少し離れた ところにロープで降下しようとしたが、日本の自衛隊が行くからと横田基地よ り中止命令が出された」と。 ●しかし、日本の自衛隊の幹部はテレビの取材に対 して、十二日夜に墜落現場に降下するのは自殺行為だと云った。また、当日の 最初の現場降下は、十三日午前七時四十五分とある。日の出の数時間後です。 何故もっと早く救助できなかったのかと思う。 ●遺体を検死した医師たちも、もっと救助が迅速ならばもっと助かっていただろ うと語っている。 ●また、地元の消防隊や猟友会、地元住民は、墜落現場はスゲノ沢だと言っているのに機動隊や自衛隊、警察等は、「現場は御座山だ、小倉山だ」と言って、案内を頼んだ地元の人の言うことを聞かずに、関係のない方向に案内させられたとも聞いた。 ●また、四人以外にも生存者がいたのなら夜中でも十分救出に行けたという地元の人の談話もある。墜落地点の確認に時間を要した理由を伺いたい。 4、死因の詳細な記述と生存の可能性についての記述がない ●墜落の次の日の十三日に四人の生存者が助けられたが、特に生存者の内の川上 慶子さんは、「朝迄お父さんと妹の咲子さんは生きていて言葉を交わしていた」 と証言している。しかし、その証言は事故報告書にはない。 ●座席前部、中部は全員即死またはほぼ即死に近い状態とある。また、後部座席 は致命的な傷害を受けたものと考えられると報告書にあるが、その生存の可能 性についての記述がない。どうしてですか。 5、事故報告書に対し、前橋検察庁の検事正は、日米間の政治的決着を示唆す る発言をしているが、そのことについてどう考えているか教えてください。 6、各方面から疑問とされている事故調が行った急減圧の実験を公開で行って 欲しいと思います。 ●25年たっても、事務局には、原因についての情報提供などが今だにくる。遺 族も報告書の結論に納得いかず、個々にあげたような疑問点が残る。更に、疑 問が深まり、広がる可能性もあり、この状態は今後も続くと考える。 そこで、 説明責任を果たすという決意表明もされているこことをうけ、海底捜 索の状況だけでなく、こうした多くの疑問について、 @ 当時の状況がわかるなら当時の状況を A 今後何か出来ることがあるならその可能性について B 国が行う再調査の可能性についてぜひ見解を聞かせてください。 ●事故原因への疑問・質問にお答えいただくことは遺族支援の中でも最も大きな支援と考えています。なにとぞよろしくお願いいたします。 この質問に対する回答が、2011年7月の事故報告書の解説書です。 日本航空123 便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての 解説 http://www.mlit.go.jp/jtsb/kaisetsu/nikkou123-kaisetsu.pdf ________________ (動画) 日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言) https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg&feature=youtu.be
________________ その他の情報は阿修羅過去記事で既出なので省略します。 |