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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100811-00000001-gendaibiz-pol
みんなの党は小さな政府を目指す。地域主権型道州制をアジェンダの柱として位置づけている。それゆえ、国会議員の定数を削減し、小さな国会を提唱している(衆議院180減、参議院142減。将来は憲法改正して一院制)。
民主党の国会議員定数削減には、まるで哲学が感じられない。一体、どういう国を目指すのか、なぜ衆議院比例区だけ80減なのか、全く意味不明だ。
みんなの党は脱中央集権を図る。国・中央省庁が行っている仕事の多くは基礎自治体に移譲され、霞が関官庁は必然的に解体・再編される。
また、現在基礎自治体の行っている仕事の一部は、民間のNPOなどに委ねられる。道州政府は基礎自治体では対応できないインフラ整備、災害対策等の広域行政を行う。
今、国と地方の歳入比はおよそ6:4であるが、最終的には2:8程度まで逆転させる(国2:道州3:基礎自治体5)。国の役割は、外交・安保、通貨、マクロ経済、社会保障のナショナルミニマムなどに限定する。だから、国会議員の数も将来一院制にするときは、今の3分の1程度でよい。
菅総理が突然、唱えた衆議院比例80減、参議院40減の定数削減意図は何なのか。「消費税を上げる前にやることがあるだろう」というみんなの党のアジェンダに答えたものなのか。だったらなぜ、議員歳費カット(給与3割、ボーナス5割)に応じないのか。
民主党がその気になれば簡単にできる新人議員の歳費日割計算法まで先送りし、とても議員自らの身を削る覚悟があるとは思えない。みんなの党がこの問題を取り上げなければ、自主返納の特例法ですら成立することはなかっただろう。
菅総理の狙いは、衆議院解散も念頭においた「政局」であろう。秋の臨時国会で党内外の圧力にさらされて行き詰るより、自ら設定した議員定数削減というテーマに猛反対が起き、抵抗勢力化する劇場型政治を思い描いているのかもしれない。
特に、衆議院比例80減というのがクセモノだ。小選挙区の比重が高まれば、民主と自民のみが有利になる。どちらも大きな政府で増税路線。つまり、総選挙の結果、増税連合への道が開かれるというものだ。
このような大政翼賛体制を国民が許すはずはない。しかし、比例区だけ削られてしまうと、小選挙区には民主と自民しか選択肢がないところが続出する。みんなの党は先の参議院選で1人区は6人しか擁立できなかった。しかも、議席はゼロ。小選挙区は少数政党には圧倒的に不利になる。
小選挙区は多数代表制で、2大政党が国民の政治文化に根ざしている時、どちらの言い分が正しいか国民の声を聞くのに便利な制度である。では、日本は民主・自民という2大政党が果たして国民の声を代表した存在になっているか。
それぞれを支持する党員、業界団体・労組など見える票はあっても、国民の大多数は、民主 vs 自民の構図に当てはまらない思いを持っているのではないか。
だからこそ、今回の参院選では民主でも自民でもない第3極みんなの党が躍進したのだと思う。比例削減はみんなの党のみならず、少数政党を根こそぎつぶしていく。公明・共産・社民なども反対する。同じ反対抵抗勢力の中にみんなの党も入れてしまおうという魂胆が見え見えである。
*** 選挙運動で疲れた政治家を歓迎する官僚 ***
中央集権体制のもとでは、人口の都市集中が進むのは当然だ。10年以上も続くデフレ経済下ではなおさら、職業機会を求めて田舎から都会へのストロー現象が加速する。今の選挙制度では、恒常的に「定数是正」、「一票の格差是正」が必要になるのだ。
大都市部で国会議員を志す者は、民主も自民も「朝立ち・夕立ち・盆踊り」を励行しないと、当選できない。田舎でも基本的には似たようなもの。朝、車の通行量の多い交差点などでお辞儀をする「お地蔵さん」、昼、人気のない住宅地で演説を繰り返す「空鉄砲」、そして伝統的戸別訪問。
当選しても、こうした選挙区向けPR活動は終わらない。いつしか、国会議員は政策以前の「選挙運動」でヘロヘロになり、国家戦略に思いをめぐらす時間も余裕も体力もなくなってしまう。喜ぶのは、そう、官僚である。
勉強してない議員にレクチャー攻撃を仕掛け、個別案件の「陳情」を取りに行くのが、官僚の常套手段。年季が入っていくに従って、このような政治・行政モデルの歪みを何とも思わなくなってくるのだ。民主党の政権交代によっても、何ら変化はない。官僚の刷り込みに反応する「パブロフの犬」と化していても、何ら不思議はない。
国会議員選挙において、候補者の個人名投票を止める、と言ったら猛反発がくるであろう。かつて、ワイマール共和国がとった選挙制度は、「厳正拘束名簿式完全比例代表制」であった。その結果、30数党が乱立し、安定多数派が形成不可能になった。その間隙をついて、登場したのがナチス党であった。
ボン基本法の下での西ドイツでは、この歴史の教訓を踏まえ、全国民の代表たる国会議員と政党の党議拘束に服する議員の矛盾相克を論争した。その結果、政党を憲法上の存在に高めると同時に、選挙制度も比例代表に加え、多数代表的要素も取り入れた。そして、政党法を制定し、政党は国民の政治意思決定に関与する存在として公的位置づけを行った。
日本の議会政治に欠けているものは何か。
まず、真の議院内閣制ではなく、「官僚内閣制」であること。
官僚が政治をコントロールする習慣が今なお続いている。次に、政党に魂が入っていないこと。政党がアジェンダの下に結集されておらず、人間関係を主にできあがっている。そして議員の数が多すぎること、政策スタッフの数があまりにも少なすぎること、である。
このような政治環境の下で官尊民卑の政治文化は成り立ってきた。この構造を大転換するには、まず真の政治主導体制即ち、ヒト・政策・カネの官邸機能強化(内閣人事局・国家戦略局・内閣予算局)を進めること。
*** 政党に魂を入れる「政党法」 ***
次に、政党に魂を入れる「政党法」を制定すること。そして、真の政党中心主義の選挙制度を構築することである。中選挙区が比例代表的制度の下で、派閥システムという人間関係重視政党政治を作った反省から、小選挙区制が導入された。
しかし、その限界が明らかになった今、日本の政治改革が目指す選挙制度は、国民の意思を忠実に議会に反映する「比例制」に軸足を置いた制度でなければならない。現在の「比例代表並立制」から「比例代表併用制」への転換はひとつの貴重な選択肢である。
議員定数の削減は、このような政治哲学の下で行われるべきであり、比例だけ減らせばよいというレベルの話ではない。比例区の議員カットによって官僚主導の大政翼賛体制が強化されることは絶対阻止しなければならない。
そして、小さな政府に対応した、「小さくて賢い国会」を作るべきだ。霞が関の下請けを行ってきた「国対政治」から脱却し、国会改革と議員スタッフの充実、定数削減を同時に進めるのが、みんなの党のアジェンダである。
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