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参議院選挙を受けた第175回国会が、7月30日に召集された。この機会に言いたいことは山ほどあるが、その前に、どうしても看過できない問題について今回は論じておく。それは、本来ならばわが国の世論をつくるべき、天下の朝日新聞の『天声人語』(7月31日)の記事に関することである。
■菅首相の参議院選惨敗はミスなのか
天声人語氏によれば、7月29日の民主党両院議員総会の有り様について、「この党を見限った人もおられよう」と菅首相及び、民主党執行部を追求した議員を批判していたが、正確を期するために関係個所を引用したい。
・・おとといの民主党両院議員総会の有り様に、この党を見限った人もおられよう。政治の暗雲低い中、お天道様だけが無遠慮なほど元気だ。列島が陽(ひ)に灼(や)かれ、雨に叩(たた)かれた7月の言葉から▼甲子園をめざす球音が各地でこだました。かつて栄光を刻んだ野球評論家の桑田真澄さん(42)が球児らに、「ミスをなくそうとムダな努力をするよりも、ミスから学ぶことのできる選手の方が成長が早い」。皆でミスをカバーし合うのも喜びであり充実だ。政治屋サンにはそれもないが・・・
これは桑田真澄・平田竹男氏共著の『野球を学問する』(新潮社刊)から「ミスから学ぶ」を引用して「政治屋サンにはそれもない」と揶揄しているが、この記述は不見識で、読者を混乱させ、かつ社会の木鐸であるべき義務を放棄した記事と断ぜざるを得ない。同時に、人間の社会を支配する「政治の本質」を知らないのだろう。
「政治」はスポーツと違って、国家社会や人間の存立を直接支配するものである。国家の最高権力者ともなれば、戦争をすることも、人を生かしたり殺すこともできるのだ。無論、政治のミスで仲間がカバーすることができるものもある。しかし、菅首相が犯した参議院選惨敗の原因、小沢前幹事長への人権侵害・冒涜、クーデター的ともいわれる基本政策の独断変更、並びにその後の政治責任に対する無自覚さは重大であり、これらはミスではなく、「政治犯罪」にも等しいことを私たちは思い知らねばならない。日本のマスコミがこれらの問題を正確に報道・論評しないことに問題がある。
議会民主政治では、権力者の政治責任を憲法で明記しないもの。それは憲法の上位に位置する不文律=条理だからである。この感性と見識を失った政治家は、当然にその人間性と資質が問われなければならない。政治家だけではなく、マスメディア全体が持つべき感性なのだ。
天声人語氏にはこの感性が失われている。ということは『朝日新聞』にこの感性が失われている証明にほかならない。天声人語氏は、今の子どもたちは情報の感じ方が目と耳だけになっている。手でさわる、においをかぐ、味わう。5感全部をよみがえらせると生き生きした子どもが戻ってくる
と、他人の意見を引用しているが、このことばは、子供にではなく、天声人語氏および、朝日新聞社にこそ向けられるべきであろう。また、他のマスメディアについては論じるまでもないだろう。
■菅首相の人格的本質を知るべし
日頃、私が尊敬している有識者たちが(氏名は敢えてふれない)テレビのコメントや評論などで、オヤッ!と思う発言を気軽に発しているのが気に掛かるが、それは菅首相の責任問題≠ナある。確かに短期間にクルクルと首相が変わることは「国際的にはもちろんのこと、国内政治の、就中国民の生活にとってよくないことである」と、一般論としてはその通りである。
しかし、民主党を応援する有識者が、菅首相について本当にそう思っているならこれは問題である。菅直人という人物が政治家としてのみならず、ひとりの人間として資質や性質を、真剣に考えたうえのことだろうか、私には甚だ疑問を禁じ得ない。市川房枝参議院事務所時代、関係者の菅氏に対する人間不信は自明であり、いまさら私がいうまでもない。さらには、昨年他界した田英夫氏の厳しい批判も思い起こす。
原点(3)でもふれたから繰り返しにはなるが、敢えてもう一度書いておこう。それは平成19年の1月から菅氏本人と小沢民主党代表(当時)の要請で、国会運営や政権交代後の準備などを中心に、アドバイザー役を仰せつかった。もちろんのことノーギャラである。自公政権の国会運営への対応だけでなく、政権交代した時の対応などについて、徹底的に議論したし、「民主党の政権担当能力」についても話題になり、「自己抑制力」の話もした。
ところが、どうした弾みか、平成21年3月の大久保秘書逮捕事件以後、プッツリと何の連絡もなくなった。アドバイザー役時代の印象は、理念や基本政策の話はほとんど受け入れず、如何にして民主党内の現実的イニシアティブを握るかに関心が強かったように思う。政治家の政治的症状を診断するのが私の仕事のひとつだが、『似非市民運動型無思想性免疫不全候群』とでもしておこう。
政権交代の大義を放棄した菅首相の言動は極限に達している。この人物を首相として継続させるかどうかは、9月の民主党代表選にかかっているが、これは政党政治としての制度によるもので、党の適正な決定を待ちたい。
巨大メディアが不作為に仕掛けている「菅代表で首相継続の雰囲気」は、既得権を墨守しようとするメディア権力の戦略だ。資質と能力に、甚大なる疑問符を抱く人物を、首相として続けさせることは、民主国家としてもっとも危険なことであり、かかる人物を戴く国民には塗炭の苦しみが待っている。
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