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「静かにしておれっていうから、そうしていたのになあ。菅は、わかっちゃあいない。長くはもたないんじゃないか」
七月二十二日夜、東京・紀尾井町のホテルニューオータニ内にある日本料理店「山茶花荘」。参院選後、首相・菅直人の面会要請を頑として受け入れず、沈黙を守ってきた民主党前幹事長・小沢一郎が重い口を開いた。小沢の菅への辛辣な言葉を聞いたのは、前首相・鳩山由紀夫と参院議員会長・輿石東だった。
この日、輿石は無投票で民主党の参院議員会長四選を決めていた。鳩山が輿石の再選祝いを名目に呼びかけたこの三者会談は、鳩山・小沢ダブル辞任を決めた六月一日と同じ顔合わせだが、今回は全く様相を異にした。冒頭の小沢の台詞は、鳩山が参院選大敗の理由をこう述べたことに応じたものだった。
「消費税なんか持ち出したから、それがすべてですよね。私たちが辞めた意味がないじゃないですか。党内もすんなり菅続投を支持するのか、どうでしょうか」
菅は鳩山と小沢の再接近に怯えた。そして、七月二十四日昼には、菅と鳩山が東京・虎ノ門のホテルオークラ内にある日本料理店「山里」で顔を合わせた。二十二日の三者会談で三人が自らに示したであろう距離感を測りきれなかった菅が鳩山に申し出て、実現したものだ。しかし三者会談から間を置かない鳩山への面会要請は露骨すぎると判断し、両者の夫人を同伴してのものとなった。その場で鳩山は最後まで、九月の代表選で菅を支持するという言質を与えなかった。
その約二週間前の七月十一日、参院選投開票日の夕方近く。首相公邸に陣取る菅のもとに最新の選挙情勢を伝える数字が寄せられていた。携帯電話で菅に報告をあげる選対委員長・安住淳は、「自民党が上を行くかもしれないが、ほぼイーブンのところまでもっていけると思う」と最後まで強気の言葉を発していたが、結果は自民が十三議席増の五十一議席、民主が十議席減の四十四議席という想像以上の大敗だった。
もっとも、選挙情勢を振り返れば、民主党がまだ鳩山・小沢体制の五月上旬に極秘に実施した調査では、民主三十六議席という衝撃的な数字が出ていた。
そこから鳩山・小沢のダブル辞任で、情勢は驚異的なV字回復を見せ、菅政権発足直後の民主党の自前の調査では、最大の目標としていた単独過半数に必要な六十議席をうかがう五十八議席獲得まで、一気に情勢を好転させていた。菅側近からは「四十台の議席というのはもうありえない。ことによると、小泉ブームの再来があるかもしれません」などの声も出始めた。組閣・党役員人事での“小沢外し”が効を奏し、菅が浮かれていたこの頃、内閣官房長官・仙谷由人らは、衆院を解散して衆参同日選を断行するよう、菅に強く進言していた。安住が示したシミュレーションも「衆院は議席を減らすが、二百六十議席を維持。参院でも六十議席をクリアする公算が高い」というものだった。衆院で議席を減らしてでも、菅首相のもとでダブル選挙を戦い、小沢の影響力を排除して菅への求心力を高めようという作戦だった。
菅は結果としてこの誘惑に乗らなかった。ひとえに菅の動物的、政局的カンが働いたからといってよい。だが、後から振り返れば、菅のこの絶頂期はほんの束の間のことにすぎなかった。
■菅発言に激怒した小沢
「消費税引き上げの論議を超党派で始めたい。その際には自民党が提起した一〇パーセントを参考にしたい」
六月十七日、参院選のマニフェスト公表の会見で、突然切り出した自らの言葉が菅の運命を暗転させた。
菅は、自民党と同じ主張をすれば、消費税は選挙の争点から消えると考えていた。これまで自民党政権ができなかった消費増税を実現すれば、増税を掲げて初めて選挙に勝った首相として、歴史に名を刻むことになる。側近官僚からのそうした助言が、菅の背中を押す形となった。菅にはもうひとつ計算があった。消費税が前面に出てくれば、鳩山政権の足を引っ張った「政治とカネ」や普天間問題の迷走も争点から消える。V字回復した支持率への過信が、菅にはあった。
菅の消費増税発言を側近から聞いた小沢は激怒した。
「何をバカなことをいってるんだ。ムダの削減をやる、と繰り返しておけばいいことだ。戦術的になってない。第一、マニフェスト違反、国民にウソをついたっていわれるのは明白だ」
小沢の指摘通り、菅内閣の支持率は右肩下がりで急降下した。鹿児島、山梨など最後まで自民党と激戦を展開した一人区では、自民党の顔となった小泉進次郎と菅が度々ニアミスした。菅は候補者名を言い間違えて失笑されることもしばしばで、二十分程度しかない演説の途中で聴衆が帰り始める光景も珍しくはなかった。一方、進次郎が「私は自民党が政権奪回を口にするのはまだ早いと思ってる。まず一流の野党にしなければならない」と声を張り上げると、大きな拍手が起こり、聴衆の握手攻めにも笑顔で応じていた。注目度でも動員力でも明らかに菅より進次郎が上回っていた。
民主党に強い逆風が吹き始めていた。それでも幹事長・枝野幸男や安住ら党の選挙責任者は有効な手立てを何も打ち出せないでいた。投票日の二日前になって、マスコミ各社の世論調査で予想以上の劣勢を知った安住は、ようやく数人の県連代表らに電話して「おたくのところは、自民にひっくり返されている。ただ一、二ポイントの差にすぎないので、党本部から活動費を出しますからなんとか手を打ってください」などと必死にネジを巻いたが、後の祭りだった。
菅は選挙結果が判明する前から、どんな大敗を喫しても首相を続投するという決意を胸に秘めていた。投票日の夜、仙谷と枝野にその決意を伝えると、すぐさま、鳩山と小沢にも電話した。
「必ずしも当初の期待に添えない結果かもしれないが、政権交代による改革の灯は自分が責任をもって受け継いでいく」
焦りからか、いつになく上気した菅の声を鳩山は黙って聞いていた。一方、二日前からつかまらなかった小沢は、この日も菅の電話に出ようとしなかった。
選挙後の菅は、傍目からは比較的元気に見える“躁状態”の日と、逆に明らかに心ここにあらずという“鬱状態”の日が交錯していた。党内外からの様々な批判に対して「何するものぞ」という気概を見せるときがあれば、役所のレクチャーを受けても上の空で、目はうつろというときもある。側近は菅の本心を読み取ることに躍起となったが、菅自身は九月の民主党代表選を控え、続投への足場固めだけを考え続けていた。
参院選中、民主劣勢の情勢が伝えられると、それに呼応するかのように、小沢グループを中心に、「五十議席を下回るようなことがあるなら、九月の代表選で菅の無投票再選はありえない」との主戦論が強まっていた。
投票日翌日の夜、東京・港区の焼肉屋に小沢グループの面々が集まった。
「これでは親方の辞任が意味がなかったといわれても仕方がない結果だ。代表選には親方が出られるべきだ」
小沢側近の衆院議員・松木謙公がそう述べると、岡島一正らからも賛同する威勢のいい声が続いた。
六月の代表選では最終的に出馬を見送り、この会合には加わらなかった総務相・原口一博も、周辺には「できれば三人くらいの候補者がいい。閣内からも出馬して、代表選で政権の総括を議論するのがよい」と述べており、自らの出馬に意欲をにじませている。
小沢グループと鳩山グループが一致して原口を推すことになれば、一気に菅の有力な対抗馬となりえる。
さらに同じく閣内にあって、前回は菅を支持した国土交通相・前原誠司も、菅への厳しい見方を強めている。
「閣内にある自分から見たって、おかしいと感じるところがいくつもある。国家戦略局を党内議論もなくあっさり引っ込めちゃうとか、政治主導のシンボルだったわけでしょ」
前原は各省の予算を一律に一割削減するという菅の方針にも真っ向から反発しており、自身の代表選への出馬を見据えているという説も根強い。
■「小沢副総理説」が浮上
七月二十九日、様々な思惑を孕(はら)みながら、参院選総括の場となる民主党の両院議員総会が開かれた。枝野や安住への辞任要求はもちろん、菅自身も責任をとるべきだという厳しい意見が続いた。神妙な面持ちに終始した菅は、最後に「九月の代表選までは今の執行部でやらせてもらいたい」と述べるのが精一杯だった。小沢は案の定、総会を欠席したが、この日会談した前筆頭副幹事長・高嶋良充には、はっきりと菅批判を口にした。
「昨年の政権交代で支持された改革が後戻りしている。予算編成の一律削減方針などは明らかに財務省主導であり、政治主導でなくなっている」
小沢・鳩山グループを中心に菅包囲網が広がっていくなか、ここに来て「小沢副総理説」も囁かれ始めた。
小沢がいま最も恐れているのが、検察審査会の動向だ。四月に十一人の審査員の全員一致で小沢に起訴相当の議決を下した東京第五検察審査会が、再度、起訴相当の議決を下せば、小沢は強制起訴されて刑事被告人の身となる。第五検察審査会の審査員は四月の時点から全員交代したため、再議決は代表選後にずれこむ見通しだ。小沢が代表選に出馬したり候補者を擁立して前面に出てくることが、審査員の心証にどのような影響を及ぼすか。小沢はそうした要素も計算しながら、代表選に臨まなくてはならないのだ。
今年二月に起訴された小沢の元秘書の衆院議員・石川知裕は民主党を離党した。九月の代表選で小沢側が敗れ、その後に小沢が起訴されれば、執行部から離党勧告を突き付けられる可能性がある。
そのため、再度の起訴相当を恐れる小沢が自ら閣内に入る道を選ぶのではないかという観測が民主党内にある。実は、憲法七十五条に「閣僚は内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」との条項がある。議決の時点で小沢が閣僚であれば、この条文を盾に起訴を免れることが理論的には可能になる。だとするなら、菅が最初から裏で小沢と手を握り、代表選後の挙党態勢を大義名分に「小沢副総理」を打診し、小沢もそれを受け入れるのではないか――。もしそうなら、代表選はとんだ茶番劇になりかねない。
一方で小沢はいま、ねじれ国会で少数与党になった参院ではなく衆院に視線を向けている。「法案が参院で否決されても、衆院で三分の二を握って再議決する道を模索するほうがハードルは低い」というのが小沢の考えだ。参院では過半数まで十二議席足りないが、衆院の三分の二まではわずか六議席だ。
七月二十七日、前国土交通副大臣・辻元清美が社民党離党を表明した。当面は無所属で活動するというが、昨夏の総選挙では「民主党推薦の辻元です!」と連呼して当選、小沢とのホットラインを売りにしてきた。辻元以外にも、「小沢はさらに自民党などにも手を突っ込もうとしている」(民主党議員)。
その自民党は、参院選で悲願の改選第一党の座を獲得した。総裁・谷垣禎一は当面続投するが、九月に予想される党役員人事で幹事長・大島理森らの交代は確実だ。後継幹事長に意欲を見せるのが、自民党「影の内閣」でともに本部長代理を務める三人、政調会長・石破茂、組織運動本部長・石原伸晃、広報本部長・小池百合子だ。「今回、オレのほかに適任者はない」と石破の鼻息は荒く、石原も「党内がまとまるというのが、一番大事な条件」と意欲を隠さない。また、大島や石破は「百二十%ない」と言い切るのだが、それでもなお民主党との「大連立」の可能性を指摘する声がある。元首相・森喜朗は、三年前の福田康夫内閣時代に大連立構想に関わり、小沢と密会した。現在も橋渡し役を買って出ることに意欲的といわれる。
参院選で十議席を獲得して躍進した、みんなの党代表・渡辺喜美は、民主党との連立に否定的だ。渡辺は周辺に「来年四月、予算成立と引きかえに解散総選挙になる可能性が高い」と語り、次期衆院選に候補者を百人規模で立てる準備に入った。公明党代表・山口那津男は「九月の民主党代表選を見ないと何も動けない」と様子見を決め込んでいる。
結局、政局の行方は九月の民主党代表選にかかっている。九月は永田町の住人にとって「魔の月」だ。二〇〇六年から続けて四年、首相が交代した。今年の九月も何かが起きるのか。 (文中敬称略)
(文藝春秋2010年9月特別号「赤坂太郎」より)
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