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毎年8月6日に人類初の被爆都市広島で開催される「平記念式典」に、今年は国連潘事務総長をはじめ、ルース駐日米国大使など核保有国からの参列者があった。その式典での平和宣言で、秋葉忠利広島市長は日本政府に対し、非核三原則の法制化や、日本が「核の傘」から離脱することを求め、核廃絶の先頭に立つよう訴えた。
一方、菅首相はこの式典では、「唯一の戦争被爆国である我が国は、『核兵器のない世界』の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有している」と表明したそうだが、式典後の市内での記者会見では、広島市長が「核の傘」からの離脱を求められたことに関し、非核三原則を堅持するとした上で、「核抑止力は我が国にとって引き続き必要だ」と語った。これでは歴代自民党首相と何の変わりも無い。
この発言に対し、広島の原水爆禁止県協議会(大森正信・筆頭代表理事)と県原爆被害者団体協議会(金子一士理事長)が抗議したそうだ。抗議の内容は、首相が式典で述べた「核兵器のない世界の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有している」と、「核抑止力は必要」との発言は矛盾すると批判したもの。矛盾するかどうかはさて置き、被爆者の心情を逆撫でした発言であることは間違いない。
菅首相は、式典に参列した後、原爆資料館で前田耕一郎館長の説明にうなずきながら真剣な表情で展示を見て回ったそうだ。日本の首相としては、広島平和記念式典に出席する前に、この資料館を訪れ、それから式典に臨んで欲しいものである。首相の式典の挨拶の内容が、自ずと変わるはずだ。もし、内閣官房の官僚に起稿させるなら、その役人にこの資料館を見学させ、彼の心に残ったことを書かせることだ。
処で、今回ルース駐日米国大使が式典に参列したことに関して、いろいろなコメントが日米両国で発せられている。広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイ号の機長(故人)の息子は、「大使の参列は無言の謝罪になる」として批判したそうだ。アメリカ人の多くは、「原爆投下は、戦争を早く終わらせた」との認識である。だからアメリカ人が原爆投下を謝罪することはないとの考えになるのは、当然である。
戦争で、鉄砲玉や普通の爆撃で死傷するのと、原爆で死傷するのと、どう違うのだ。原爆資料館を見るまでは、多くの人はそう思っている。だが、ひとたび資料館を見た者は、同じ「死」でもそこに違いがあることを知る。原爆による「死」は、一瞬にして消滅する「死」であり、或いは生き地獄の中の「死」である。それは人間の尊厳性を奪うものだ。だから人類として「原爆を許せない」と考えるようになるはずだ。
たとえ戦争でも、民間人を無差別に殺戮してはならない。戦場にいる兵士を除けば、今は、これが世界的な倫理観なのだろう。だが、太平洋戦争ではそうではなかった。さらに当時のアメリカは、人種差別もあった。また、大戦後の世界でイニシアティブを取ろうと考えていた。だから勝利が決まったような時点で、原爆を投じたと思う。
戦争の歴史は勝者の論理で決まる。戦争を止めるために原爆を投下したと勝者が言うなら、そう言わせておけばいい。何も謝罪を求めることはない。それに対して我々日本人は黙って、原爆投下は「人類への冒涜」だとの情報発信を続ければいいと思う。時間はかかるが、世界の人々は「原爆を許せない」と、いずれは思うようになる。
締め切りの関係で、本稿は9日の長崎での平和祈念式典の前に書いている。おそらく9日には長崎市長から、広島市長と連帯した「核の傘」からの離脱を訴えるメッセージが発信されたと思う。菅首相に、核の抑止力を言わせたのは、隷米外務官僚を通して、先週の本欄で書いた「黒幕であるアメリカ」だろう。だが、そのアメリカでは、コーリン・パウエル元国務長官は、「原爆は武器としては使えない」と言っている。そして、オバマ大統領は「核廃絶」言い出している。時計の針は確実に進んでる。
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