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2010-08-09 16:36:18
原爆忌と日米指導部の欺瞞
現代日本および世界こんにちは、テツせんです。
ここ二三日はめずらしく、午後すこし早いけれど雷雲が通り、雨を恵んでくれるせいで、
夜がすごしやすくなっています。
昔なら毎日あった真夏の夕立。・・
盆おどりの最中にきまって踊り手の邪魔をする無粋な雨も、今はなつかしい思い出です。
みなさんは、この夏をいかがお過ごしでしょうか?
さて1945年・昭和20年の日本の夏は、盆踊りどころではなかった。・・・
すでに日本中の都市に敵機無差別空襲がくりかえされ、生き残った人々は、
帝国戦争の結末がいったいどうなるのかということに、深刻な不安をかかえながら、
その日の糧をえることにもまた、ひどく難渋した。・・・
そんな矢先に、米軍が原子爆弾のウラン弾を広島上空に、
そしてその性能を比べるように長崎上空にはプルトニウム弾を投下したのです。
当時の米大統領トルーマン以来一貫して米国政府が抗弁している、
原爆投下や無差別爆撃を正当化する根拠など、どこにもありはしない。
(トルーマンはそのまえに計18発の原爆投下を承認していたという。)W・ポスト紙・・
それはまた、帝国主義戦争を仕掛けて敗戦をみた、
帝国日本の指導部にどんな言い訳も正当性もありえないのと同様なことである。
そのうえ、あろうことか指導部は敗戦処理内閣を組閣して、みずからの責任をあきらかにするどころか、
国民にむかって「一億総懺悔(いちおくそうざんげ)!」をおしつけるという破廉恥をおこなったのである。
( ええーっ! わたしたちが悪者だったっていうの? )
- 「 敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、
前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、
我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、
心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、
来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります 」 ・・・だって。
命を投げだして前線で憤死した若者たちや、それをささえてきた妻や家族たちに向かって、
語られるべき言葉ではないだろう。
これは日本国民が権力者(神と邪心をもった!)からうけた最大の恥辱の言葉にちがいない。
(「ええーっと、戦死の方は靖国の方にお祀りさせてもらいますので、はい。」・・・ってね。)
いったい、戦病死された若い兵士たちがこんな恥辱を受けてなおも、
権力の用意したシステムに納まらねばならない理由などありはしない。
郷里の空、土に還ってこそ、すこしは安まれるというものだ。
結局、帝国の指導部はひとりとして、「その本当の歴史的責任をあきらかにすることもできず」に、
日本的な自裁か、裁判にゆだねたかの差異はあっても、自己弁護と不可抗力を弄して、
「国民に対してただしく詫びる言葉もなく」、時間だけが虚しく流れたのである。
いまからおもえば、
国をあずかる力量も無いものたちが、かかえる強迫的不安を、押し殺すようにして、
やみくもに勇ましげな言動を叫び続けたのかと、察せられよう。
そのような帝国日本指導部の醜態の結末は、
いかにも日本人的な内向きの依存症があらわす、甘えの構造そのものである。
そこに世界に問えるような普遍性の言葉が、ついにただの一つも見いだせないまま、
戦後にのぞんだために、
占領軍の思想さえ、だれも超えることがかなわなかったのである。・・・
ところで、1945年8月9日に、長崎に原爆が落とされました。・・・
男が勤務地から家に急ぎもどったときは夜でした。
あくる十日に道端に倒れている妻子を見つけます。・・・
「 いまわのきわに - 原爆句抄 」 松尾あつゆき
八月九日 長崎の原子爆弾の日。
我家に帰り着きたるは深更なり。
- 月の下ひっそり倒れかさなっている下か -
十日 路傍に妻とニ児を発見す。
重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。
- わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ -
- すべなし地に置けば子にむらがる蝿 -
- 臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい -
長男ついに壕中に死す(中学一年)。
- 炎天、子のいまわの水をさがしにゆく -
- 母のそばまではうでてわろうてこときれて -
- この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔 -
- 外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら -
十一日 みずから木を組みて子を焼く。
- とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい -
- ほのお、兄をなかによりそうて火になる -
十二日 早暁骨を拾う。
- あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で -
- あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな -
十三日 妻死す(三十六歳)。
- ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる -
十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。
- なにもかもなくした手に四枚の爆死証明 -
- 夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ -
- 降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ -
この句抄はアメリカ占領軍の報道管制によって、
1955年になるまでひとびとに読まれることがなかったという。
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