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『日本国民に告ぐ』
著者 小室直樹
2005年12月14日初版発行
発行所 ワック株式会社 WAC
本書は、平成8年12月23日クレスト社より出版された「日本国民に告ぐ」を改訂したものです。
第6章 日本人の正統性、復活のために
17項 今こそ、日本人の誇りを取り戻す教育を
平成七年が「戦後五〇年」に当たることから、再び、日本の「侵略戦争」を非難したり、日本はアジアに謝非すべきだとする論調が活発になった。こうした論調を掲げているのは、ほとんどが、昨日までマルキスト、「進歩的文化人」、「戦後民主主義者」を自称してきた連中である。
しかし、マルキシズムが滅び、ソ連邦が崩壊し彼らの後ろ盾がなくなった。言うべきことがなくなった。だから、以前にも増して猛烈に日本の歴史は罪悪の歴史であると言いはじめたのである。
戦後半世紀以上も続いたアメリカのマインド・コントロールから脱却するためには、事実に即した正確な歴史観を持つことが必要である。
敗戦によって、戦後日本人はGHQに完全に洗脳されてしまった。アメリカの罠にはまってしまった。いわゆる「東京裁判史観」、GHQが作成した「太平洋戦争史観」を植え付けられた。「南京大虐殺」があったと信じこまされ、完全にマインド・コントロールされている。
その結果、アノミーが生まれた。日本人は信じていた皇軍に裏切られた。皇軍が大虐殺をしたと教えられた。天皇陛下は人間となった。村落共同体は崩壊し、企業が戦後日本の共同体となった。アメリカ資本主義の輸入はマインド・コントロールを定着させた。
学制改革の歪みがもたらした受験戦争は「急性アノミー」を拡大再生臆した。友だちはすべて、敵となった。完全な無連覇、無規範を生み出した。 アノミーでは、正常人間が狂者となる。新左翼しかり、カルト教団しかり。
今、子どもたちの未来は風前の灯火である。
注)投稿者
アノミー:[フランスanomie]@社会的規範が失われ、社会が乱れて無統制になった状態。ある社会の解体期に発生する。
社会学者デュルケームが用い始めた語。
A高度に技術化・都市化した社会で、親密感が欠けることによって起こる疎外感。
「大辞泉」
ルソーは、「人間は二度生まれる。一度目が誕生、二度目が青春だ」と語った。
ゲーテは、「すべて偉大なるものは青春において作られる。その後の人生は注釈にすぎない」と言った。
人間にとって、青春期とは、何ものにも掛け替えのない貪重な時期である。それが受験、受験、受験。学校に行けばいじめ≠ェあり、家に帰れば、親子の断絶、家庭内暴力。授業で教わることは、GHQが残していった「東京裁判史観」。日本人であることに誇りを持てず、心を許せる友だちもいない。人生の目標は「一流大学」に合格することだけだ。完全なアノミーである、無規範、無連帯ではないか。
このままでは、子ともたちが危ない。日本人が危ない。放っておけば、みな、狂者、いや狂者より狂的になってしまう。一日も早く、アメリカのマィンド・コントロールから脱却しなければならない。大東亜戦争は本当に「侵略戦争」だったのか。「南京大虐殺」は本当にあったのか。日本軍は「従軍慰安婦」を「強制連行」したのか。
伝統主義から脱却し、合理的に考え、判断してみれば、誰にでも分かることだ。
だが、冒頭で紹介したように、中学校の社会科(歴史)の教科書には、ついに「従軍慰安婦」の記述が盛り込まれるようになった。「南京大虐殺」の被害者数も誇大な数字が一人歩きしている。教育現場は自虐的な暗黒史観に染まっている。
最近の学生は、日本史の授業が始まると「ああ、また日本の悪口か」とつぶやくそうだ(『教科書が教えない歴史』)。
もし、あなたが父親なら、家にあっては、父親としての権威を保つべきだ。何が正しいことで、何が間違っているのかを子どもに教えなければならない。日本人であることに誇りを持ち、それを子に伝えなければならない。
メディアを「進歩的文化人」や「進歩的マスコミ人」が独占し、教育現場を日教組と文部省の談合政治が動かしている今、どうしてまともな日本人が育ってこようか。
本来なら友だちとなるべき人びとを敵と看倣し、アノミーを起こしながら、ひたすら暗黒史観を頭に叩き込んだ連中が、拡大再生産されている。その中で暗黒史観を最もしっかり記憶した者がエリートとなって、この国の中枢に入っていく。
日本よ、汝の日は数えられたり。
自虐教育がアノミーを激化させる
このアノミーが、歴史始まって以来、比較も前例も絶して、いかに恐ろしいものか。
棲述(るじゅつ)してきたが、その「恐ろしさ」は繰り返しすぎることはない。ここに、本書の論旨をまとめて開陳しておきたい。
本書が上梓される所以は、「謝罪外交が教育にまで侵入した」からである。日本の謝罪外交が本格的にスタートを切ったのは、昭和五十七年の「侵略1進出¥荘ヨえ誤報事件」以後である。それから後は、日本は外国に内政干渉のされっぱなし。中国、韓国などの外国が日本人の「歴史観が悪い」と言ってくると、何がなんでも「ご無理、ごもっとも」とストレートに謝罪してしまう。このパターンが定着した。
これを見て反日的日本人がつけあがった。「あることないこと」ではない。ないことをあることとして捏造して反日史観をぶちあげる。挙げ句の果てには、日本政府が平目よりもヒラヒラと謝って、反日史観が拡大再生産される。この謝罪外交は、日本の主権と独立を否定する。その謝罪外交が、ついに教科書に侵入した。
日本の教科書は、共産党の「三二年テーゼ」と、日本は罪の国とした「東京裁判史観」によって書き貫かれている。占領軍とマルキシズムによる日本人のマインド・コントロールは、ここに完成を見たのであった。
史上、前例を見ない急性アノミーが、これまた前例を見ない規模と深さにおいて昂進(こうしん)することは確実である。戦後日本における急性アノミーは、天皇の人間宣言と、大日本帝国陸海軍の栄光の否定から端を発した。これほどの絶望的急性アノミーは、どこかで収束されなければならない。
収束の媒体となったのが、一つにはマルキシズムであり、もう一つは、企業、官僚(組織)などの機能集団であった。初めの外傷があまりにも巨大であったため、急性アノミーは猖獗(しょうけつ)をきわめた。
これを利用したのが占領軍である。占領軍は、日本の対米報復戦を封じ、日本を思うままに操縦するために、空前の急性アノミーをフルに利用すべく戦術を立てたのであった。アメリカ占領軍は、社会科学を少しは知っていた。日本人は、昔も今も、まったくの社会科学音痴いや無知である。これでは、勝負にも何にもなりっこない。
猖獗する急性アノミーで呆然自失、巨大な精神的外傷(トラウマ)で精神分裂症を起こしかけていた日本人に、マインド・コントロールがかけられた。
「巧妙な」と評する人が、あるいは、いるかもしれないが、実は「巧妙」でも何でもない。「公式どおり」のマインド・コントロールであった。だが、公式どおりのマインド・コントロールでも、急性アノミーの渦中にいる科学無知の日本人にはズバリ効いた。受験勉強しか知らない偏差値秀才にカルト教団のマインド・コントロールが効くように───。ただし、占領軍によるマインド・コントロールは、「日本の歴史は汚辱の歴史である」と教育したために、日本の急性アノミーを、さらに昂進させた。
終戦後、当初の急性アノミーを吸収するはずであったマルキシズムは、昂進しすぎた急性アノミーによって解体されることになった。マルキシズムは、日本共産党を見棄てて新左翼に突入することによって、無目的殺人、無差別殺人にまで至る──これらはその後、特殊日本的カルト教団に引き継がれる──。前代未聞のことである。
新左翼が下火になってきた頃から、「家庭内暴力」さらにすすんで「いじめ」が跳梁(ちょうりょう)をきわめるようになる。いずれも根は同じ。ますます昂進してゆく急性アノミーである。急性アノミーの激化を助長したものは何か。一つには、友人をすべて敵とする受験戦争である。しかし、決定的なものは何か。致命的なものは何か。
「日本の歴史は汚辱の歴史である」「日本人は罪人である」「日本人は殺人者」であるとの自虐教育である。古今東西を通じて前例を見ない徹底した自虐教育である。
占領下で自虐教育を受けた人びとが、成長して今や要路にいる。これらの人びとが、内においては、無目的・無差別殺人を敢行し、外においては平謝り外交を盲目的に続けている。「親子殺し合いの家庭内暴力」「自殺に至るいじめ″」を生んだのもこれらの人びとである。
平成九年度から行われる究極的自虐教育。急性アノミーはどこまで進むであろうか。
どのような日本人を生み出すであろうか。p-333
───
旧版まえがき
日本の行方はどうなる。行く末は。
平成七年、阪神大震災で日本政府に危機管理能力が少しもないことが明らかになった。世界でいちばん安全だと思われていた日本だが、カルト教団が無差別殺人を起こし、世界で最も危険な国であることを証明した。
平成八年、厚生省が殺人省であることが分かった。また、大蔵官僚をトップとする経済官僚が、経済と経済学を少しも分かっていないことが判明した。日本の舵取りは、なんとゾンビの群≠ェ行なっていたのである。
平成九年には、はるかに致命的なことが待ち構えている。徹頭徹尾、嘘でかためたソ連共産党の「三二年テーゼ」に基づく、このうえもなく反目的・自虐教科書が日本中で使われるのである。この「三二年テーゼ」とは、一九三二年(昭和七年)、コミンテルンが日本共産党に与えた指令書である。日本を強盗的・封建的帝国主義と規定したこの「テーゼ」は、反日的日本人の聖典≠ニなった。そして今、教科書をも侵蝕した。これで、日本の行く末は決まった。
かつて福沢諭吉は「政治上の失策は影響は大きいが、それに気づいて改めれば鏡面の曇りをぬぐうのと同じで痕跡は残らない。しかし、教育の場合は、阿片のように全身に毒がまわって表面にあらわれるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する」
(「教育の方針変化の結果」──「時事新報」明治二十五年十一月三十日付社説)と述べた。
阿片どころではない。ヴィールスが脳髄に入って、日本の命数は尽きつつある。死に至る病たる謝罪外交が、ついに日本の最奥部・教育にまで侵入した。国民が誇りを失えば、国は必ず滅亡する。病膏膏肓(こうこう)に入る。
「反日史観」拡大再生産の悪循環過程はパターン化した。
自虐史観を肥大化させようと、手ぐすねを引いている日本の反日史家が虚構を捏造して騒ぎ立てる。虎視眈々と日本攻撃のチャンスを狙っている外国政府がこれに飛びつき、マスコミが放列を敷く。データも証拠も何もない。だが、そんなものは日本の反日史家がデツチ上げてくれる。日本のマスコミは一犬虚に吠えて万犬実を伝う≠フ喩えどおり、外国政府の言い分をそのまま追従し、付和雷同の暴風雨が吹き荒れる。謝り人形の日本政府は、この嘘をみんな承認して公式に謝罪する。
このことがどれほど恐ろしいことなのか、本当に気づく者は鮮(すくな)い。
謝罪は責任(債務)をともなう。賠償、補償を求めて外国が蝟集することは目に見えている。援助ももっと増やせと要求してくる。すでに日本のODAはずばぬけて世界一であるのに、また財政危機も世界一深刻な日本なのに、外国に献上する金額は年々鰻登り。日本破産は決まった。
ずっと恐ろしいことは、究極的反日教科書によって日本の若者の心は蝕まれ、急性アノミーは最終的となる。自分の親や祖父が犯罪者だと、繰り返し曝し立てられた人間の心はどうなる。しかも、それは無実の罪なのだ。この無連帯国家・日本に、無差別・無目的大規模殺人よりずっと恐ろしいことが、旦夕に迫っている。
では、なぜこんなことが近代国家であるはずの日本の中から湧いてくるのか。実は、明治維新における大日本帝国成立の秘密まで掘り下げて分析しないと、この真実は明らかにされない。
かつてフィヒテは、フランス占領下のベルリンで『ドイツ国民に告ぐ』と題する講演を行ない、国家的危機を乗り越えんとした。筆者は、本書で「自虐史観」「反日史観」発症の根源を解明することによって、日本人らしさとは何かを読者とともに、もう一度、考え直してみたいと思う。
真相を洞察せぬかぎり、根本治療は不可能だからである。355頁
平成八年師走 小室直樹
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