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『日本の公安警察』の著者が辿り着いた、誰も触れたことのない「世論誘導装置」
日本最強の諜報機関はどこか。その議論が起こるたびに最有力候補として名前が挙がる公安警察。その深奥で、新たなる諜報部隊が胎動していたことに誰も気づいていなかった―。
[取材・文:青木理(ジャーナリスト)]
公安警察とは、実に隠微な組織である。世界が東西冷戦構造に支配され、日本国内でも左派勢力が一定の力を持っていた時代、日本の公安警察は「治安維持」と「防共」を最大眼目として組織を極度に肥大化させ、内部には巨大な秘密組織まで育て上げた。
にもかかわらず、公安警察の組織と活動は厚い秘密のベールに覆われ、実態が外部に伝わることなどほとんどなかった。'91年のソ連解体によって冷戦構造が崩壊し、国内の左派勢力が衰退しても、それは変わらない。公安警察は一部組織の縮小・再編を余儀なくされたものの、内部の秘密組織は今なお強固に維持し、密やかな活動を続けている。
公安警察の中枢である警察庁警備局。その筆頭課である警備企画課には、課長の下に二人の「理事官」と呼ばれる幹部が配置されている。一人の理事官は「オモテ」、もう一人の理事官は「ウラ」の担当と位置づけられ、「ウラ」の理事官は日本の公安警察において最大の極秘組織のキャップを務める。
その組織に冠された< チヨダ >という名を耳にしたことのある人もいるだろう。私も著書『日本の公安警察』でその存在を明らかにした。
これから記述していくのは、私が摑んだまったく新しいタイプの公安組織である。しかも、この秘密組織の場合、チヨダとは別の意味で、警察として守るべき一線を完全に踏み越えている。< I・S(アイ・エス) >、あるいは< 07(ゼロナナ) >。その組織は、公安警察内部でそう呼称されている―。
*
政権交代後で初めての大型国政選挙となった7月11日の参院選を約1ヵ月半後に控えた今年5月28日、東京・霞が関の警察庁舎で「全国警備関係課長会議」なる会合が開かれた。全国の都道府県警で公安部門を担当する課長級の幹部を一堂に集めた会議であり、これを取り仕切ったのは日本の公安警察組織の司令塔といえる警察庁警備局だった。
会議では、警備局警備企画課の桝田好一課長(当時)が雛壇に立ち、居並ぶ全国警察の公安担当課長に向けて次のような指示を発している。
「不安定かつ不透明な政治、経済、社会情勢下で行われる今回の参院選は、警備警察(筆者註・公安警察とほぼ同義)の情報力を示す絶好の機会だ。どの県においても、貢献すべき情報は溢れている。
中でも幅広情報については、各県警幹部の意識や取り組み姿勢が成果を左右する。各位におかれては、自らも率先して情報を収集するのだという意気込みを部下に示し、強力な指導力を発揮していただきたい」
国会運営から口蹄疫まで
警備企画課長が目前に迫った参院選に向けて収集を厳命した「幅広情報」とはいったい何なのだろうか。同じ会合で桝田課長は、「社会全般の諸情勢を洞察し、治安に与える影響について分析を加え、その成果を警察運営の高いレベルに反映させるためのもの」と説明しているが、これだけでは少々分かりにくい。警察庁警備局の元幹部が解説する。
「警備・公安警察は従来、日本共産党をはじめとする左翼諸党派や右翼団体、または外国諜報機関の活動などをウォッチし、それらに関連する情報の収集にあたってきました。しかし、もっと幅の広い情報、従来の活動からはこぼれ落ちてしまっているような情報まで広範囲に集めはじめたのです。これを警察内部では『幅広情報』と呼んでいるんです」
さらに、警視庁公安部の中堅幹部はこんな風に明かしてくれた。
「『幅広情報』の中で最も重視されているのは政治関連の情報、そしてマスコミ関連の動向です。特に政治情報は与野党を問わず、地方議会レベルの動きから中央政界における閣僚や有力議員のスキャンダルに至るまで、ありとあらゆる情報を掻き集めています。
近年は公明党と創価学会関連の情報収集に熱心で、池田大作氏の動静や健康問題については、大きな関心事と位置づけられています」
こうした情報の収集、管理にあたっているのが、公安警察内部で< I・S >、または< 07 >という符牒で呼ばれる組織なのだという。しかし、前出の警備局元幹部はこうも語る。
「I・Sは最近の警備・公安警察の中軸を成す組織となっており、予算面でも厚遇されていますが、警察内でも実態を知る人がほとんどいない。ただ、警備・公安警察の内部にも強い懐疑の声があるんです。このまま放っておくと、極めて危険な存在になりかねませんから・・・」
戦後日本の警察は「自治体警察」の形態を取り、各都道府県警はそれぞれの都道府県公安委員会の管理に服することとなっている。警察という権力装置の政治的中立と民主的運営を担保するためのシステムだが、これはあくまでも建て前に過ぎない。
各都道府県警のトップをはじめとする枢要なポジションには警察庁採用のキャリア官僚が座り、事実上、警察庁を頂点とする牢固なピラミッド構造が形成されていると考えてよい。
この傾向は、公安警察においては一層顕著となる。警察法が「国の公安に係る警察運営」は警察庁が指揮監督すると定め、公安関連予算も国庫支弁となっていることもあり、各都道府県警の公安部門は警察庁の直接指揮下に置かれている。
かつて緒方靖夫・共産党国際部長宅を狙った盗聴工作('86年)など数々の非合法活動に手を染め、公安警察が運営する「協力者」という名のスパイを一括管理する< チヨダ >の実態と現状については次号で記すが、一方の< I・S >は「オモテ」の理事官の管理下に置かれ、やはり警備企画課内にある「総合情報分析室」が情報の取りまとめ役を担っているという。
少し前まで< I・S >業務に直接関わっていた現職公安警察官が明かす。
「(I・Sは)政治やマスコミ関連の情報などを中心に、警備局長が知っておいたほうがよいと思われる情報を全国警察から掻き集めるためにつくられました。間もなく各都道府県警にも専門の係官が置かれ、大量の関連リポートが毎日あげられるようになりました。
私がI・Sに関わっていた頃は、全国から警備局に送られてくるI・S絡みのリポートで太いロール状のファクス用紙が1日もかからずになくなってしまうほどでした」
複数の公安警察幹部らの証言を総合すると、< I・S >、あるいは< 07 >と呼ばれる組織は、'90年代後半から警察庁警備局で本格稼働を始め、全国の都道府県警にも警備局の直轄部隊として担当官が整備されていったようだ。< チヨダ >もそうだが、公安警察組織は滑稽じみた組織内の符牒を好んで用いる。
< I・S >とは「インテグレイテッド・サポート(Integrated Support)」、あるいは「インテリジェンス・サポート(Intelligence Support)」の略称とされ、かつて警備企画課の「7係」が主管していたため、< 07 >と呼ぶケースも多いのだという。
今度は、関西圏の某県警の現職公安幹部が言う。
「サッチョウ(警察庁)の警備局は、とにかく大量の情報を集めたいらしく、I・Sに関しては各警察本部のリポート報告量に応じて順番をつけ、評価を下しているんです。優れた情報だと判断されれば警察庁の警備局長賞なども出されているから、全国の担当官は各警察署の公安係まで駆使し、目の色を変えてリポートを送っています。
県警のI・Sには政治担当や(創価)学会担当などが置かれていますが、場合によっては、警備局から具体的な調査指示がI・S担当者に下りてくることもあります」
最近では、参院選後の臨時国会で与野党がどのような出方をするか、動向を調べて報告するよう指示が下されたというし、今年4月、宮崎県で発生した口蹄疫をめぐっては、一部で発生源が某企業の管理下にある牧場だとの噂が流布した際、その真偽を至急確認するよう命じられたこともあったという。
「特定の政治家を名指しした調査指示が下されることもあります。例えば、警察組織にとって"主管官庁の長"にあたる国家公安委員長が、どのような思想、性癖を持っているのかについて、強い関心を持って調べる可能性がないとは言えません・・・」
(I・Sに近いセクションで勤務する公安警察官)
こうして政治関連情報を中心とした大量の情報が警備局に溢れ、警備局ナンバー2の審議官、そして警備局長にダイレクトで報告されるのだという。
この組織が警備局にできたのは、いったいいつ頃のことなのか。公安警察幹部ら複数の証言を総合すると、'90年代の後半、特に「杉田和博氏が局長時代だった'97年頃」という説が有力だ。
杉田氏は'94〜'97年に警察庁警備局長を務め、その後は内閣情報調査室長や内閣危機管理監なども歴任した警察官僚だが、'90年代後半になってI・Sのような組織が公安警察内部に整えられたのには、いくつかの事情がある。特に大きいのは、近年の公安警察組織を取り巻く大状況だ。
冒頭に記した通り、冷戦構造の崩壊と国内左翼勢力の衰退により、共産党や新左翼セクト対策を最大の踏み台として肥大化を続けてきた公安警察組織は、存在意義を問われる状況となっていた。
そうした時期にあたる'95年、日本の公安警察はオウム真理教事件に取り組むこととなった。旧来の左翼、あるいは右翼団体をターゲットとしていた公安警察にとって、宗教団体を相手とするのは初めてであり、これは従来タブーとされてきた宗教の領域へと公安警察が触手を伸ばす契機にもなった。
しかし、オウムとの"華々しき闘い"などはやはり一時の徒花(あだばな)に過ぎない。オウム事件で公安警察はむしろ、捜査を担当した國松孝次警察庁長官狙撃事件をめぐって現職警官の自供隠匿するという不祥事を引き起こし、最終的には事件を迷宮入りさせる醜態まで演じている。
結局、公安警察の最主要部隊である警視庁公安部の人員が一部とはいえ削減され、司令塔である警察庁警備局の組織も再編・統合されることとなった。こうした組織変遷の途次で生み出されたのが< I・S >、あるいは< 07 >と呼ばれる組織だったようだ。
つまり、膨れ上がった公安警察組織の人員と能力を最大限に"活用"し、左翼や右翼といった従来の枠を大きく踏み外して政界、マスコミ関連情報の収集―即ち「幅広情報」の収集にあたらせようと図ったのである。
集めた情報の使い途
しかし、ここで冷静に考えてみる必要がある。警察組織が、このような活動に乗り出すことに問題はないのか。警視庁公安部の幹部を長く務めたことのある警察キャリアOBが危機感を露にする
「一般論としては、警察として幅広い情報の収集が治安維持のため必要という面もあります。ただ、公安警察がヒマになったとはいえ、ダブついた人員を『幅広情報』の収集などと称してフル稼働させるのは絶対に好ましいことではない」
なぜ好ましくないのか。理由は明白だ。同じ警察キャリアOBが話を続ける。
「考えてみてください。公安警察といっても、基本的には犯罪捜査に関わる範囲内での情報収集というのが本務であるべきです。過去にはその枠を大きく踏み外したこともあったが、犯罪捜査のための情報収集という大前提は警察組織が守るべき矜持です。
しかし、I・Sは違う。政治家や選挙に関する情報を幅広く収集し、それを警察の最上層部に伝えることを目的とする色彩が非常に濃い。こうして集まった情報を私的に、あるいは極めて策略的に使う幹部が出てくる可能性がある。かつてフーヴァー長官に牛耳られたFBI(米連邦捜査局)のように、です」
1920年代から約半世紀も米FBI長官の座にあったエドガー・フーヴァーは、FBIの情報網などを駆使して政治家や政府高官らの弱みを握り、歴代大統領も彼を解任できないほどの権勢を誇った。FBI批判をする雑誌メディアや反戦平和を訴える文化人を監視し、ジョン・F・ケネディをはじめとした大統領、ファーストレディの異性スキャンダルまで摑んでいた、とも言われている。
ここまでの力を個人が握る事態は想定しにくいにせよ、警察とは本来、犯罪捜査と治安維持を任務とする機関である。
北海道から沖縄に至るまで全国津々浦々に情報ネットワークを張り巡らせる権力機関=警察が、強力な情報網を駆使し、与野党を問わぬ政治情報やマスコミ動向に関する情報までを掻き集め、その情報を極めて恣意的に使い始めたらどのような事態が起きるだろう。政治的な謀略機関と化す恐れすらあるのではないか。
現に参院選を間近に控えた時期に全国の公安担当課長を集めた会議で警備企画課長が訴えた「警察運営の高いレベルに反映させる」という台詞は、その危険性を十分に予感させる。
いや、実を言うとその兆候は既に顕れている。前出の警察庁警備局の元幹部はこう言って顔を曇らせる。
「I・Sが政治情報の収集を担当するというのは、あくまでも表の顔の一端に過ぎない。収集した情報をメディアなどに流し、世論工作と受け取れる活動に使っているフシもあるんです・・・」
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