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2010年08月08日(日) 05時35分24秒
原爆投下は戦争終結を早めたのか?
ツイッターでもつぶやいたことだが、
アメリカのルース駐日大使が、
広島の平和式典参加をしたことについて、
やはり、アメリカの保守系の勢力が批判を強めている。
今回のルース駐日大使の平和式典参加は、
いずれオバマ大統領が、
平和ためのメッセージのために
(と自身の支持率回復、核軍縮戦略のためでもある)
広島を訪問するにあたり、
アメリカ世論の動向を探る目的があってのではないかと、
私は見ているが、
やっぱ案の定、スミソニアン博物館での原爆展示の縮小の件でもあったような、
保守派世論の巻き返しはあったようである。
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エノラ・ゲイ機長の息子、米大使の広島訪問批判(朝日)
【ワシントン=望月洋嗣】広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ機長(故人)の息子が5日、ルース駐日米大使の記念式典出席を「前例がなく、すべきではなかった」「暗黙の謝罪だ」などと批判した。米CNNテレビの電話取材に答えた。
取材に応じたのは、機長の息子で米アラバマ州に住むジーン・ティベッツ氏。「原爆投下は正しかったか」と問われ、「我々は正しいことをした。多くの米兵の命が救われたうえ、多くの日本人の命を救った可能性もある」とも述べた。同氏は保守系の米フォックス・ニュースの取材にも応じ、「日本は真珠湾を攻撃した。我々は日本人を虐殺したのではなく、戦争を止めたのだ」とコメントしていた。
米の主要メディアが広島の記念式典を取りあげるのは異例。CNNはプライムタイムの番組内で、ルース大使の映像を交えて報じた。ティベッツ機長は2007年、老衰のため92歳で死去した。
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それにしても、ティベッツ氏も、
彼も彼で、立場があるのだとは思うが、
「日本人の命を救った可能性もある」とは、いかがなものか。
14万人の人間が、広島への原爆投下で亡くなっている。
この事実に向き合ったときに、
いかに、それが国家の命令による虐殺で、
彼の父親はそれに加担しただけかもしれないが、
もう少し人命の前に謙虚になるべきではないだろうかと思う。
ホロコーストで毒ガスでユダヤ人を虐殺したドイツ兵や、
中国でやはり、残虐な殺戮行為に手を染めた日本兵、
そして、原爆を投下して14万人の命を奪ったティベッツ。
彼らの違いは、戦争に勝ったか、負けたか、
ということであって、結局、やってきたことに大差はない。
このティベッツの息子も、もう少し、
歴史や、犠牲の前に謙虚であるべきではないかと思う。
さて、それはそれとして、
この一件もあって、案外、私は、アメリカが主張する
「原爆投下は、日本の終戦を早め、
アメリカ軍の上陸作戦を止めて、さらなる被害を防いだ」
というプロパガンダが、
ネット上をみると、日本でもずいぶんと信じられていることに危機感を感じた。
やはり、このあたり、
アメリカの戦後日本に対する間接統治の成果なのかもしれないが、
しかし、実際は、
まず、そもそもヤルタ会談で、ソ連がドイツ降伏後、三ヶ月以内に、
対日参戦を行う、ということを決めた時点で、アメリカの勝利は決定していたし、
そもそも日本は、
昭和天皇の侍従長を務めた鈴木貫太郎が組閣した内閣自体が終戦内閣で、
ソ連や、スウェーデンを通じて、ひそかに終戦交渉を行っていたわけだし、
もちろん、原爆の投下は、日本中にショックを与えたことは間違いない。
しかし、だからこそ、軍部からすれば、「徹底抗戦」と復讐に燃える意見もあったわけで、
一概に、それが終戦を早めたと、結論づけられ、
アメリカ世論にも、日本国の世論にも浸透していくのはどうかと思う。
要するに、アメリカの思惑としては、
ドイツの降伏後、ソ連との新しい冷戦がはじまりつつある中で、
すでに第三次世界大戦さえも、見据えた動きに入ってたわけだ。
つまり、「ポスト太平洋戦争」である。
よって、まずは、原子力爆弾の威力を世界に誇示することで、
イニシアチブをとる必要もあって、
また、実際の戦場で、原爆の効果を試さなくてはいけないという思惑で、
プルトニウム型と、ウラン型の原爆をひとつずつ、広島と長崎に投下し、
30万名近い、黄色人種(非キリスト教)の命を実験台とした。
そして、ソ連の対日参戦が迫っていたからこそ
火事場泥棒的に、ソ連が日本の利権を奪っていくことは、
甚大な損害を太平洋戦争でこうむったアメリカとしては認められるわけもなく、
つまり、今回の対日戦争の勝利の果実を、アメリカが独占するためにも、
原爆投下という事実は必要だと、判断したのではないかと思う。
ながく駐日大使を務めたライシャワーが批判しているように、
広島への一発目の原爆投下は、戦争終結を早めたという論理は成り立つが、
しかし、長崎への二発目の投下は論理が成り立たない、
まさしく、その通りである。
さて、話は変わるが、
明日、8月9日は、長崎にとっても65回目の原爆の日である。
しかし、広島と比べて、長崎の印象がどうしても薄いのは、
「原爆ドーム」にあたる、悲劇の象徴的な建物がないことも影響しているかと思う。
本来であれば、1958年に撤去され、1959年に再建された浦上天主堂が、
その役割を担うはずであった。
歴史的な天主堂の価値からしても、
アメリカの残虐な行いがキリスト教の精神に反していることからしても、
もし保存されていれば、
世界にも強い平和のメッセージを残してくれていただろうし、
原爆ドームと同様に、世界遺産に登録されたことも間違いないであろう。
だが、当初は「保存派」でありながら、
アメリカへの渡米後に、なんらかの圧力をかけられたのか、
一転して、アメリカが望むように、当時の田川市長は、浦上天主堂の取り壊しを決定した。
原爆で亡くなった被害者のことを考えると、
なんという罪深い決定を、市長はしてしまったのか。
己の命と引き換えてでも、浦上天主堂は守り抜くべきだったと思うが、
そのために、本来であれば、
キリスト教徒、いやアメリカ国民に強いメッセ−ジをおくることになっただろう
浦上天主堂は被爆した姿で、保存されなかったのである。
ただ、それでも、「被爆のマリア像」が数奇な運命をたどりながら、保存され、
1990年に浦上天主堂に戻ってきて、
今年は、バチカンでローマ法王に祝福されるなど、平和のシンボルの役割を果たしてる。
さて、私はこうした原爆についてのことをブログに書きながら、
よく考えるのだが、
それにしても、敗戦から65年たって、いまだに日本は戦勝国であるとはいえ、
アメリカに対して、原爆投下の謝罪すら、求めることは許されず、
「8月6日広島」というその日、その場所で、
当の菅首相でさえ、秋葉広島市長が訴えた「核の傘」からの離脱に対して、
核抑止力は必要、と記者質問に答えざるをえない、という惨めさである。
本来であれば、日本が核の悲惨さを世界に訴え、
いかに核の拡散が愚かしいことで、人類を破滅に導きかねないことか。
まず、原爆の悲惨さを、世界各国の国民に知ってもらうことによって、
「核廃絶」への人類の総意は動かせてきたはずである。
しかし、現実には、日本はこうした被爆国としての「責務を放棄」し、
なんのリーダーシップも発揮せずに、
アメリカの属国として、唯々諾々として、従うのみである。
オバマ大統領のプラハ演説が画期的だとして賞賛されるが、
しかし、彼の国であるアメリカは、
人類で唯一、核兵器を使用して30万人近い非戦闘民の命を奪った加害者の国であり、
本来であれば、アメリカではなく、日本のリーダーが、
核兵器廃絶に向けての訴えを、世界に向けて発信すべきなのであった。
われわれ日本人は、そろそろいいかげんに、
いつまでもアメリカの属国や、マインドコントロール下で生きるのではなく、
独立した国民として、自分の国のことは自分で決める
こいういう当たり前の普通の国として、目を覚まさなければいけない。
有史以来、日本が外国の属国状態に陥るのは、この戦後がはじめてのことである。
聖徳太子の時代にさえ、隋帝国に対し、「日出ずる処の天子」と、対等外交を求めた。
1959年9月、キューバ革命に勝利したゲバラは、広島を訪れ、
そして、原爆の悲惨さを案内する係員にこう訊ねたという。
「米国にこんな目に合わされておきながら、
あなたたちは、なおも米国の言いなりになるのか」
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