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平成22年8月2日(月)発売
小学館 (通知)
大反響!憂国リレーオピニオン 第二回 「言わずに死ねるか!」
●選挙の争点は「カネの話」ばかり
「愛国者」が政治家になれない国は日本だけだ すぎやまこういち 79 作曲家
毎年お正月の三が日、私は京都のマンションで過ごしている。当然、4階のベランダから日の丸を掲揚する。日の丸に敬意をはらうのは、愛国者としては当たり前だが、「愛国者」という言葉を耳にしたとき、日本人の多くは「右翼」をイメージする。メディアによる長年の刷り込み≠フ成果である。
メディアに洗脳された日本は、世界でもかなり異質の国だ。たとえば、国政選挙の開票番組で候補者の選挙事務所が映し出されたとき、日の丸が見えることはほとんどない。どんな国でも政治家のオフィスには国旗が掲げられ、その光景に誰も疑いを持つことはない日本人だけが「国旗掲揚」という自国を愛する行為に否定的な目を向ける。自分の国を素直に愛せない日本人───私にとってこれほど悲しいことはない。
どの国の政治家も例外なく「愛国者」だ。アメリカの共和党と民主党、イギリスの保守党と労働党──議会で激しく論戦を繰り広げる政党の議員も愛国者であることを自覚している。かってベトナム反戦を訴え政府を鋭く非難したフォークシンガーのジョーン・パエズも愛国者だった。アメリカやイギリスに「反米」「反英」の政治家はいない。ところが、日本にだけは「反日」の政治家がいる。それもかなりの数にのぼる。
愛国者のいない国など国家の体をなしていないも同然だ。私は日本を愛している。日本が「愛国者」という言葉を当たり前のように使える国にしなければならない。ましてや「愛国者=右翼」などという誤った認識は正していかなければ、いつの日か日本は間違いなく消えてなくなる。
右翼と左翼という両極は、イデオロギーが違うだけで全体主義であることに変わりはない。全体主義で指導された国家はかならず独裁政権になる。ミャンマーは右翼、北朝鮮は左翼の全体主義者による独裁政権であり、国民が塗炭の苦しみに喘いでいる。
私は右でも左でもない、真ん中の民主主義者だと自認している。民主主義者であるからこそ祖国である日本を愛するのだし、国家の安全と繁栄を担保する選挙の重要性を長年訴えてきた。
とくに国政選挙は国の行く末を決める大事な機会だ。
にもかかわらず、国家としての姿を語らずに、経済の事ばかりを主張する政党l政治家がじつに多い。7月の参院選でも、どの候補者も「景気回復」「財政再建」「消費税」といったおカネの話ばかりしていた。こうした流れを作ったのは、選挙前に「政治に何を望むか」といったアンケートで世論を誘導したメディアである。選挙の争点はおカネの話に矯小化され、国家の要諦をなす安全保障や外交は話題にもならなかった。日本が中国の自治区にならない保証はない。国家が存続して、はじめて国民は幸福を手にすることができるのだ。
しかも、民主主義の根底をゆるがす「一票の格差」の問題を取り上げる候補者はほとんどいなかった。アパートの階数で選挙区の線引きをするなど、他国では格差の是正に智恵を絞り真剣に取り組んでいることを知るべきだ。
政治家の怠慢は国民の政治的意識を低下させる。参院選の投票率は前回(07年)を約0・7ポイント下回った。投票率の低下は、一定の勢力の利益を代表する候補者が組織票で当選する確率を高める。国民一人ひとりの意見は選挙で投票することによってのみ伝わる。だから選挙は大事なのだ。
その点で残念だったのは、全国比例区で立候補した人気プログの筆者が大差で落遺したことだ。大手新聞など既存メディアの論調はリベラルに偏りがちなのに対して、ネットでは国家の大局に立った保守系の意見が多い。ネット言論が影響力を持てば日本が変わる可能性があった。落選はネットの影響力が投票行動に結びついていないことを証明した。しかし、だからこそ私は言いたい。「日本を変えるのは選挙である。何をおいても投票せよ」と。
すぎやま・こういち/1931年、東京都生まれ。東京大学卒。フジテレビで『ザ・ヒットパレード』などの番組を捜当。65年から作曲家として活動し、『亜麻色の髪の乙女』など多数のヒット曲を残す。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの全作曲を手がける
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