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素晴らしい訓示だ。
竹原市長のブログを編集して、阿久根市民にビラ配りしたら、
きっと、竹原市長は、何回でも当選するだろう。
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2010/08/05 (木) 平成22年7月13日課長会市長訓示(阿久根市長 竹原信一のブログ)
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/
社会づくりの最前線は、実は市町村なんです。
役所の動きは,国から県そして市へと、上から下に降りてきて、それを住民に伝えるというような発想でやってきているのではないかと思います。
そういう状態だと、住民の気持ちに鈍感になる。
それが一番いけないと思います。私たちは人間としての感性を取り戻さなければいけない。市役所での仕事がどのように影響を及ぼして市民の実際の暮らしががどうなるかをしっかり確認して、それをまた次の仕事に反映できるような動きを私たちはしなければいけない。市民の痛みを常に感じていなければいけないということです。
結果は市民のところにある。自分たち職員ではなく、市民の暮らしが全てだということを忘れてはいけない。職員がよく「自分たちは、言われたとおりの仕事をした、努力した。」等と言う。
市民から言わせれば「努力は必要ありません。結果をください」となる。結果とは市民の暮らし。公務員が「努力したから自分は評価されてしかるべきだ」などというのは通用しない。私たちはこんなセリフを言ってはいけない。努力は見えないところでやれ。結果が全てです。市民の暮らしを作っていく。国から言われる決まりが悪ければそれを変えていなかければならない。その努力もしなければならない。おそらく変えるべきは市民ではない、自分たち自身そして県や国の方です。
最前線、最終目的は、国民、市民の暮らしそのものです。私たちは住民のために仕事をしている。意識を180度変えてもらいたい。これまで、国の役人、県もそうかもしれませんが、
国の仕組みを使って自分たち職員の収入をより多く獲得しようという根性、傾向がある。それではダメなんです。私たちは市民によって支えられているということをひと時も忘れてはいけない。今までの政治家もそうです。どうにか多くの人をだまし、票を集めて、官僚組織の神輿に乗っかって波風立てずにやっていけばよい、そういうのが大多数ですけれども、それではいけない。
いつも市民の痛みや苦しさに敏感になることで、私たち自身の心の筋肉が鍛えられます。そういう精神性、ハートを鍛えていきましょう。
いきいきとした社会というのは、お金がたくさん動く社会のことではありません。一人ひとりが周りの人々と一体なんだという感覚で生きている社会ことです。
規則を理由に目の前の困っている人たちから目をそらすということがあってはいけません。
市民の痛みを感じることが私たちの仕事だと、使命だと思ってもらいたい。
お願いします。
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