http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/810.html
Tweet |
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/41744780.html
死刑のバーチャル化
2010/7/30(金) 午後 3:38
産経新聞の主張「1年ぶりの死刑 法執行は粛々とすべきだ」に違和感を覚える人は少なくあるまい。
人の死を「当然のことが当然になされたにすぎない」と傲然と伝える行間から、人権意識の荒廃が臭ってくる。人権派を「人権屋」と敵視するこの新聞ならではだが、閉塞的な社会状況に乗って拡散するから要注意である。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100730/plc1007300325001-n1.htm
死刑を支持する人は、原始的な報復感情が強い。歴史的には封建時代以前の公開処刑場で見られたもので、残虐なほど観衆は狂喜した。
人権意識とは反対方向の感情であり、死刑を支持する人が多いと言うことは、社会の未発達もしくは劣化を物語る。
死刑支持者にはしばしば、特有の屈折した理屈がみられる。被害者の人権はどうなる、死刑廃止論は被害者の人権軽視、というのがそれである。
これは論理のすり替えか開き直りである。差別意識も刷り込まれている。
人権には、王と平民の区別も、加害者と被害者の区別もない。衡平性、バランスの問題があるだけである。
2年目を迎えた裁判員裁判では死刑の判断も迫られるが、万が一にも死刑宣告が乱発されるようになれば、社会には殺伐たる雰囲気が満ちるだろう。
人間が人間を殺す死刑は、本質的に共食いと似ている。箱の中の蜘蛛の群れが最後に一匹になるように、国家権力による暴力である死刑が横行する社会は、統制と恐怖が支配し、怒りと憎しみに愛や寛容は隅に追いやられ、道徳は地に墜ち、急速に衰退に向かおう。
憂慮されるのは、死刑がバーチャル化し、安易に実務的に宣告され、執行されることである。
近代は公開処刑は非人間的として禁止されたが、一般人から死刑への実感を奪ってしまったことも否定できない。実感なき死刑制度の矛盾である。
それに警鐘を鳴らす意味で千葉法相が死刑に立ち会ったとしたら、評価してよい。産経主張は「裁判員に予断を与える」と立会いを非難したが、的外れである。
千葉法相は死刑のバーチャル化と衝動的な死刑判断を防ぐ上で一石を投じたと言える。
死刑に携わる人は現場に立ち会い、それがいかに野蛮で非人間的なものであるかを実感し、生涯を通して考え続けるくらいの責任を感じてしかるべきである。
人間一人の命はそれくらい重い。死刑囚だからとどこかのバーゲンのように軽く扱って許される性質のものではない。
産経主張は「内閣府が今年2月に公表した世論調査では、死刑を容認する意見が過去最高の85・6%に達している」と嬉々として挙げるが、これは悲しむべき現象なのである。
格差拡大やリストラなどで人間がモノ扱いされ、世界中で人が殺しあう昨今の世相と無関係ではあるまい。
例えば、米軍は世界中で戦争に従事し、無数の人間を「敵」として殺している。現場の兵士は人間が人間を殺す矛盾に直面し、精神病を患う兵士が続出している。
ところが、命令を出しているホワイトハウスの住人たちは、戦場とは無縁の日常生活を送り、宴会に興じ、生活をエンジョイしている。
死刑のバーチャル化と戦争のバーチャル化は、人権軽視、人命軽視で根底でつながっている。
悪の連鎖を断ち切る必要がある。
(新世紀人コメント)
惨傾などの購読者が少ない新聞の書くことには問題記事が多いのは当たり前であり、いまだに購読者が多いアサヒ、ヨミウリですらは出鱈目の占領情報御用達機関なんだから日本国民の本音からは乖離している。
河さんの擁護されるように千葉は、
「それに警鐘を鳴らす意味で千葉法相が死刑に立ち会ったとしたら、」…であったのかもしれない。
それは同時に自分自身の「思想の死」を見る積りでもあった? のかもしれない。
「死刑制度への議論が起こることを期待したい」との発言の裏にはそのようなものがあったのかもしれないが、真実は判らない。
しかし、千葉は自らが立ち会った死刑が自分を含めての菅内閣と菅民主党執行部の精神的死を表わしているものと知覚したのではないかと考える。(実体的死まで見ていたかは不明であるが)。彼女はその程度の感性は残しているだろう。菅ほどに目が濁ってはいない。
「死の内閣」によって運営されている日本国はまことに危うい。
私は今回の死刑執行について、そこに「菅内閣の死」を見ていた。
2 81 +−
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK91掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。