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http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100801/1280634820
2010-08-01 12:53
左翼はすぐに転向する。
菅直人首相、千葉景子法相、辻元清美議員の例を持ち出すまでもなく、政治家にしろ文化人にしろ、また学者や思想家にしろ、左翼とか左翼市民運動家というものは機を見るに敏で、時至らばいつでも転向するという体勢を整えている人種である、と僕は若い頃から確信していたが、その確信は、最近になって、いよいよ深まりこそすりれ、決して弱くなることはない。僕が自民党を批判し、民主党を擁護する言論を展開することが少なくないことから、「お前は左翼ではないのか」という批判を受けることがあるが、僕は、言うまでもなく自分の思想的立場を「左翼」と思ったことは一度もない。といっても、最近の「一億総保守」時代の、いわゆる「保守」バブルに便乗して一儲けしようと企んでいるわけではない。僕は、左翼全盛の全共闘時代にも自己意識としては「保守反動派」を自称していたし、それは、「一億総保守」時代を迎えた今でも変わりはない。むしろ、僕は、最近の右翼や保守を声高に自称し、にぎやかに天下国家を語り、歴史観や国家観、あるいは国益を論ずる連中に対して違和感と侮蔑感を禁じえない。そこには「左翼化された右翼」、「左翼かされた保守」しか見つけることが出来ない。僕が、ここで「左翼化」というのは、「イデオロギー化」とか「概念化」「理論化」というほどの意味である。さて、左翼は、何故、転向するのだろうか。そして、何故、右翼は、あるいは保守と言われるような人たちは転向しないのだろうか。むろん、現在、右翼とか保守と自称している人たちの中には、多くの元左翼が含まれているから、そういう左翼からの転向組であるところの右翼・保守は、再び、あるいはみたび、転向するかもしれない。かつて戦時中、思想弾圧と戦争ブームに乗って左翼から転向してきた右翼・保守思想家連中が、戦後の民主化の波に乗って、再び元の古巣の左翼(共産党)に転向していったように・・・。ところで、僕が「転向」に拘るのは、そこに左翼的思考様式の典型を見出すからである。吉本隆明に『転向論』という名著があるが、そこで吉本は、必ずしも左翼から右翼・保守への転向者を、その転向故に批判し否定したのではなく、むしろ、宮本顕治のように、「獄中○○年」を過ごしながらも、「転向しなかった」という連中をも批判しているが、その根拠を日本的な「大衆」との距離に求めていて、大衆との距離の自覚、あるいは無自覚こそが、人を転向させたり、させなかったりするのだと言っていた。つまり、吉本隆明の言うところの「関係の絶対性」が問題なのである。言い換えれば、左翼が簡単に転向するのも、また転向せずに教条主義に陥るのも、たとえば田舎に住む父親や母親、あるいは兄弟姉妹に象徴される日本的な下層大衆というものの存在を軽視し、無視・軽蔑しているからであり、逆に右翼・保守派といわれるような人たちが、なかなか転向しないのは、そういう田舎に住む下層大衆とともにあるからだ、と言うことが出来る。ところで、最近の陽気な保守思想家たちは、はたして「大衆の原像」(吉本隆明)なるものを思想的に内部に取り込んでいる、と言えるだろうか。
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