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昨日のエントリーをアップしてニュースを閲覧していたら、法相の千葉景子が死刑を執行したというニュースが目に飛び込んできた。私は死刑廃止論者であるが、このニュースを見て怒りを感じるよりも、改めて霞が関による独裁体制のタガの締め直しがものすごい勢いで進行していることを実感して溜息をついた。
死刑の執行というのは独裁体制を維持していく上で欠かすことのできない権力行使であり、つまりは霞が関の意志である。だから官僚は死刑執行に非常にこだわる。たとえ冤罪の可能性を指摘されても、自分たちは無謬であるという本来あり得ない前提に立っている彼らはそんな議論は眼中にはない。死刑が確定すれば、あとは執行することのみがミッションである。
もちろん、あくまで冤罪であることを主張した被告人が、長い努力の末に無実であることを証明できたケースもある。だが、これは霞が関にとってあくまでレアでイレギュラーなケースであって、だから彼らは決して反省しないし、頭を下げようともしない。ただひたすら、次の死刑執行に向けた段取りを行うだけである。
さてそこで千葉景子である。民主党政権初の法務大臣の椅子に座ったこの女性は弁護士の資格を持ち、しかも死刑廃止論者であった。小沢一郎との全面戦争を展開中の霞が関にとって、最初は麻生内閣で法務大臣だった森英介のように官僚の言われるがままに死刑を執行する(その結果、この男は冤罪の可能性がきわめて高い飯塚事件の久間三千年死刑囚を死刑台に送り込んだ)御しやすい人物ではないのではないかという不安もあったかもしれない。
しかし、ほどなくその不安は払しょくされたはずだ。なぜなら民主党の議員であるにもかかわらず、霞が関と小沢一郎の闘いがどういうコンテクストの中で行われているのか、まったく理解していなかったのだから。要するに千葉景子は無能だったのである。しかし、そんな千葉に対して官僚は一つだけ腹立たしくて気に食わないことがあった。それは千葉が死刑の執行にサインをしないことで、逆に言えば無能な千葉景子にとってそれだけが、後世に残る唯一の業績になるはずであった。
ところが、霞が関はその唯一の業績をも千葉から取り上げて、完全に自分たちに屈服させることに成功した。それはまさに現在の菅政権の象徴と言える出来事だろう。鳩山政権とは比べものにならないほど扱いやすい政権。霞が関の高笑いが聴こえる。
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