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2010/07/28
さて、久しぶりに当ブログっぽいエントリーを書きたいと思う。
まず、これまで私がずっと強調してきたことをここで改めて再確認しておく。
それは日本は民主主義国家ではなく、高度に洗練された、世界でもっとも優れた独裁国であるということ。しかもこの体制は、北朝鮮の金日成、金正日と続く血縁による、誰が見ても「独裁国家だナ」と思うようなヤワなシステムではない。始末が悪いのは(=この体制の優れているところは)、日本の独裁体制が一見、民主主義の仮面を被っていることである。
独裁の主体は霞が関(官僚)で、これは戦前も戦後も変わらない。だが、敗戦という大失敗を教訓にした霞が関は、「国民に適度な自由を与えることで民主主義国家を装う」という新たな手法を編み出した。つまり、国民をブロイラーのように管理するよりも(普通の独裁国家はこちら)、牧場の牛のように広い場所で管理することで見かけ上の自由を与えたわけだ。
そしてこのシステムを構築する上で重要な役割を担ってきたのがマスコミであり、自民党に社会党を加えたいわゆる1955年体制である。
55年体制下では自民党と社会党がつねに対立し、あたかも民主主義国の政治が行われているかのようだったが、実はすべてはあらかじめ官僚が描いた絵図通りの予定調和の対立で、実は共産党までもがそのシステムに組み込まれていた。
にもかかわらずこの国が独裁国家だと国民が気がつかなかったのは、官僚のコントロールの下でマスコミが巧みに世論の誘導と洗脳を行ってきたからである。
ところが、まず55年体制の一角である社会党が崩れてしまい、と同時に自民党という組織の耐用年数も限界に近づいてきた。これまでは自民党内が派閥単位で総裁の座を争うことで、擬似的な政権交代が起きているといわれてきた。だが、もはやそんなことでは国民の目はだませなくなり、また自民党内の人材が世襲制によって完全に枯渇してしまったからである。
そこで、霞が関は日本にも本格的な政権交代を起こすことを決意した(もちろん「本格的に見えるだけ」だが)。
もとより来るべき日を想定していた官僚は、いつ「政権交代」が起きてもいいように、野党である民主党の議員もしっかりとコントロール下に置いていた。
ただし民主党内には一人だけ霞が関のコントロール外にいる厄介な政治家がいた。それが小沢一郎である。
田中角栄の直系である小沢は、かつて自民党政権の中枢にいたが、その経験の中で日本が霞が関独裁国家であることを見抜き強い危機感を持った。そうして小沢はこの独裁体制を壊すことを己の使命として自民党を出た。
その小沢にとっても昨年の衆議院選挙は、長年にわたって抱いていた自らの使命である「脱霞が関体制」を果たす千載一遇のチャンスであった。だから、小沢一郎は総理大臣になる決意をした。
しかし、霞が関もまたその小沢の意図を十分に見抜いている。そしてここから小沢一郎と霞が関の凄絶な闘いが始まった。霞が関は冤罪をでっち上げて小沢の秘書を逮捕。マスコミを使って小沢の政治生命の抹殺にかかる。一方、小沢も必死に抵抗して自らの影響力を残しつつ昨年の衆議院選挙へとなだれ込んだ。
結果は民主党の圧勝。
それは霞が関にとっても小沢にとっても望んだ通りの結果だった。
となると問題はこの後にできる政権を、霞が関と小沢のどちらがコントロールできるかにかかっている。
そうして誕生した鳩山政権。
鳩山由紀夫のスタンスは実に微妙だった。さすがに宇宙人と呼ばれるだけのことはある。
しかし、鳩山は小沢の意図を理解して政権運営をしようとしたのだと私は思う。だが、そうなると官僚は抵抗する。肝心な情報を官邸に上げず、あらかじめ霞が関に仕込まれた民主党議員(そのなかには大臣もいる)によって政権を揺さぶる。さらに再び小沢の秘書の冤罪をでっち上げる一方で普天間問題の大混乱を意図的に引き起こし、ついには鳩山内閣を総辞職に追い込んだ。
そうして次に誕生した菅政権は見るも無残な霞が関支配政権だった。
実は私も菅直人には多少なりとも期待していた。だから当ブログでもその旨のエントリーを書いたのだが、今となってはその見方の甘さを反省せざるを得ない。
菅政権は菅直人自身がどっぷりと官僚に洗脳された、まさに霞が関が望んだ政権だった。したがって、その使命は当然、独裁体制のタガの締め直ししかない。
だから私は断じてこの政権を許容できない。
では、どうすればいいのか。
個人的には依然として小沢一郎に期待しているが、小沢がいるいないに関わらずもっとも重要なことは、「マスメディア、とくに新聞、テレビを叩き潰すこと」だと思う。
なぜなら、この世論操作装置こそが霞が関独裁の肝であるからだ。
そうして経営面から見るとすでにマスメディアの自壊は始まっており、それもかなりの部分まで進行している。
もちろん既得権益の持ち主というのは意外にしぶとい。だが、Webの登場によって虚業であったことがあらわになったマスメディアはいずれ必ず崩壊する。
だから私はまだ十分に希望はあると思っている。
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