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2010 年 7 月 26 日
先月29日、大阪地裁に行った。村木厚子・厚労省元局長の最終弁論を聞くためである。
弁護側は「村木被告は大阪地検特捜部の違法・不当な捜査、起訴の犠牲者にほかならない。検察官は、潔く『被告は無罪』との結論を認めることが、公益の代表者としての職責にかなうはずだ」と述べ、裁判所に対し「1日も早く正義を実現するために厳正なる無罪判決を下してほしい」と求めた。
この後、村木元局長が裁判長の前に立ち「私は証明書の偽造には一切かかわっておりません。一日も早く無実であることが明らかになり、社会に復帰でき、『普通の暮らし』ができる日が来るのを心から願っています」と最後の陳述をした。
彼女の声は少し震え、彼女の目には涙がにじんでいた。それはそうだろう。身に覚えのない罪で突然逮捕されたのが昨年6月。それから5カ月余の拘置所生活に耐え、ようやく無罪判決まであと一歩のところにこぎつけたのである。万感胸に迫るものがあったにちがいない。
公判では特捜部の捜査の悪質さ、杜撰さが次々と明らかになった。なかでも驚いたのは、特捜部が事件のキーパーソンである石井一・民主党議員の事情聴取をせずに村木元局長を起訴していたという事実だった。
検察側のストーリーは、自称障害者団体「凛の会」元会長が04年2月25日、議員会館に石井議員を訪ね、厚労省への働きかけを依頼したところから始まっている。
その依頼を受けた石井議員は厚労省の障害保健福祉部長に電話し、福祉部長が村木企画課長(当時)に便宜を図るよう指示。村木課長は上村勉元係長に偽の証明書発行を指示した―というのだから、石井議員への依頼の有無が事件の成否を左右するポイントだ。
ところが特捜部の検事が石井議員に接触したのは、村木元局長の起訴から2カ月後の9月11日だった。しかも「その事情聴取は、ほとんど事案の究明に至らない短時間の形式的なもの」(最終弁論)だった。つまり特捜部は「凛の会」元会長の「石井議員に依頼した」という供述を鵜呑みにし、当然行うべき裏付け捜査をしていなかったのである。信じがたい怠慢だ。
それだけではない。石井議員は検事の聴取の際、問題の04年2月25日のスケジュールを記した手帳を見せ、「凛の会」側の依頼がなかったことを話している。検事はその手帳をただパラパラと見ただけで、当日の石井議員の行動について具体的な質問をしなかった。
もし検事が手帳をよく読んで、議員の話に真面目に耳を傾けていたら、議員が問題の2月25日に東京から遠く離れた成田市のゴルフ場で同僚議員とプレーをしていて「凛の会」元会長と議員会館で会った事実がないことを確認できたはずだ。
結局、公判でストーリーの発端(議員への依頼)がなかったことがわかり、あとの検察側主張はドミノ倒しで崩れ去った。
私が思うに、検事たちは事件の真相を追求しようとしていない。彼らに関心があるのは、予め想定した筋書きに合致した調書をとることだけである。
当然ながら、「凛の会」や厚労省関係者たちも当初はそれに抵抗した。だが、検事たちは逮捕の脅しや早期保釈の利益誘導で、事実と全く異なる調書に次々とサインさせていった。ウソも上塗りを積み重ねれば本当に見えてくる。同じような特捜部の捜査でどれだけ多くの人が有罪宣告を受けてきたことか。
9月10日に言い渡される村木事件の判決は、これまで「正義の神話」に覆い隠されてきた特捜部の正体を仮借なく暴き出すだろう。
最終弁論を終えて記者会見した弘中惇一郎弁護士は裁判を振り返りながら「ここまで劣化した特捜部は自身の役割も含め、もう一回考え直さなければならない時期に来たのではないか」と語ったが、私も同感である。
「冤罪製造機関」に堕した特捜部はもういらない。(了)
(注・これは週刊現代「ジャーナリストの眼」の再録です)
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