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【高橋乗宣の日本経済一歩先の真相】
2010年7月23日 掲載
遅きに失した改革法
米国は、いよいよ黄昏の時代を迎えているようだ。100年にわたり世界をリードしてきたものの、進むべき道を見失っている。自由奔放型の金融政策は見直されることが決まった。それでも明るい未来がもたらされるわけではない。
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は、議会で「米経済見通しは異例に不確かなまま」と証言したそうだ。FRBは景気対策と金融緩和による景気回復シナリオを描いていた。しかし、巨額の景気対策を講じても、欧州危機を背景に株価は低迷、住宅市場は回復せず、雇用の改善も進んでいない。それでいて前代未聞のレベルにある政策金利を引き下げる余地は少なく、打つ手に困る状況だ。
米国にとって、これは未体験ゾーンである。前例がなければ経験を生かせない。政策の手詰まりは当然だがFRBはもうひとつの未知の領域にも踏み込まなければならない。21日に成立した金融規制改革法で、FRBは銀行と証券を一元的に監督する権限を与えられた。景気に配慮しながらも、野放図だった信用膨張にも目を光らせる。大恐慌後の1930年代以来、80年ぶりという大改革で、FRBは大きな責任を負うことになった。
米国の金融行政システムは長年、片肺飛行でやってきた。銀行にはキチッとした縛りを掛ける一方で、証券のやりたい放題は認めてきた。そのため、銀行と証券の垣根が低くなった1980年代から、銀行は証券業務という“裏口のアルバイト”でジャンジャン稼ぐようになった。
手数料を極限まで安くして顧客からカネを集め、巨額のマネーをデリバティブなどの金融商品やヘッジファンドへ投資して収益を上げる。そんなビジネスモデルは、08年のリーマン・ショックで破綻した。銀行が、規制のゆるい証券市場に参入するようになったときから、想定された事態である。
金融危機の再発防止は2300ページを超える米金融規制改革法に委ねられた。しかし、遅きに失した感がある上、銀行と証券の一体的な監理にも疑問が残る。銀行と証券は本来、別物であり、それぞれをキチッと監視するシステムが必要ではないか。
経済も金融も手探り状態の米国。残されたのは軍事力だけだから、なんとも不気味である。
【高橋乗宣】
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