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2010年07月25日(日)
菅首相と武村正義の会談をどう見るか
ついこの間まで猛り狂ったように水が氾濫していた日本列島は、梅雨の雲が去るとともに南から流れ込んできた熱波にすっぽりのみこまれた。
うだるような暑さという、月並みな形容では表現しきれない、べっとり体にまとわりつくような熱気が地面からたちのぼる。
参院選が終わり、30日開会の臨時国会まで政治部記者が夏休み体制に入ったのか、新聞各紙にこれといった記事はなく、テレビは暑さと熱中症にたっぷり時間を割いている。
それにしても意外だったのは、菅首相が23日に武村正義氏と昼食をともにしたことを、思いのほか、各紙ともあっさりとした記事で済ませたことだ。
武村氏といえば、細川非自民連立政権の官房長官で、小沢一郎氏とは反目しあっていたことで知られる。最近も、「小沢氏は政界引退すべきだ」とメディアで公言している。
菅・武村の会食を報じる産経と毎日の記事はほとんど同じ内容だ。
◇菅首相は23日昼、都内のホテルで、武村正義元官房長官と会食した。武村氏は「一国の最高責任者になったんだから、強い自信を持ってがんばれ」と首相を激励。武村氏が「党内ばかり見ていないで、国民を見て判断されたらどうか」と助言すると、首相は「わかりました」と応じた。(産経)
日経は「政権」という一面の連載のなかで、この会談について下記のようにふれている。短いが、産経、毎日よりは踏み込んでいる。
◇参院選の直後、枝野幹事長と国交相の前原誠司はたちあがれ日本の幹事長、園田博之、前衆院議員、渡海紀三朗らと都内で密会。23日昼には菅自ら元蔵相の武村正義と都内のホテルで向き合った。93年結成の新党さきがけ。その人脈もねじれの先を見越して動く。
この記事に出てきた面々は全員、かつての「新党さきがけ」メンバーである。そもそも、民主党そのものが、鳩山由紀夫、菅直人という「さきがけ」を離れた二人によってつくられた。
小沢一郎より一足先に自民党を離党し「さきがけ」を旗揚げした武村は、その後の民主党結成時に、鳩山の「排除の論理」によって合流を断られ、政界での力を失った。
高齢でもはや政界に影響力があるとも思えない武村に菅首相が会ったからといって、とくに大きな意味があるとも思えない。せいぜい、参院選に負けた傷心の癒していどと考えるのが妥当なところだ。
しかし、9月の民主党代表選が近づくこのタイミングに、小沢氏とかつて反目していた武村氏と会うことが、さまざまな憶測を呼ぶのはやむをえまい。
ふだんなら、各社とも「ふくらし粉」を入れて、「さきがけ人脈」の会合を、おおげさに書きたてたはずだ。
たとえば、菅が武村と会うことは、小沢一郎に挑戦状をたたきつけることを意味するとか、会おうと呼びかけても応じない小沢の懐柔をあきらめたとか、そんな感じの記事を書こうと思えば書ける。
ここで、小沢と武村の因縁を整理しておかねばなるまい。キーワードは「国民福祉税」と「北朝鮮」だ。
1994年1月に政治改革四法案を成立させ勢いづいた細川首相は2月3日未明、歴史的な大失敗をやらかした。
消費税を廃止し税率7%の国民福祉税を97年4月から実施するという記者会見で、細川が7%の根拠を説明できず「腰だめの数字」と言ったことが、連立政権内部に大混乱を引き起こした。
強硬に反対する社会党委員長の村山富市に、官房長官の武村が同調し、細川は発表からわずか1日で構想を撤回する醜態を演じた。
ここから「細川・小沢」vs「武村・村山」という対立構図ができあがり、のちに「武村・村山」ラインは自民党との連立、いわゆる「自社さ」政権に走る。
今も変わらぬことだが、何かよからぬ事が起きると、元凶扱いされ、バッシングの対象になるのが小沢一郎だ。
小沢は著書「日本改造計画」で消費税に代わる福祉目的税の導入を提起していたが、細川の深夜会見を画策したのは小沢ではなく、大蔵省だった。
政治改革法案の成立で細川政権の人気が高いうちに国民福祉税をぶち上げるべきだという判断のもと、大蔵省が細川をたきつけたというのがことの真相だ。
鳩山・小沢の辞任で支持率がX字回復した勢いがあだとなって、財務省が念願する消費増税に前のめりになり、自ら参院選惨敗を招いた菅首相の状況と酷似している。
もう一つのキーワード「北朝鮮」とは何か。当時、核開発をめぐり米朝間が緊張状態にあったことを頭に入れておいてもらいたい。
運命の深夜会見直後、2月10日に細川首相が訪米したさい、クリントン大統領側近からある疑惑が示された。これについては平野貞夫の「平成政治20年史」から引用する。
◇日米首脳会談は厳しいもので、クリントン大統領周辺から、「日本の政権の中枢に北朝鮮のエージェントがいる」と指摘される。日本の政界には与野党のなかに北朝鮮と関係の深い政治家がいた。戦前の歴史もさることながら、パチンコ業界などから支援を受けていた。(中略)米国側から疑われた人物は、かねてより北朝鮮側との交流が滋賀県知事時代から深い武村官房長官だと想定された。
米国から帰国した細川首相は小沢と相談して「大幅な内閣改造」を行うと発表した。むろん、狙いは武村更迭だ。
ところが、武村や村山の猛反対に遭った細川首相はこれについても断念してしまう。小沢は細川のたび重なる腰砕けの「お公家政治」に怒った。
「内閣の人事権は首相にある。首相が内閣改造を行うと発表して、反対があるからとすぐあきらめるとは何事だ」
このころ、水面下で自民党は亀井静香を中心に、社会党、さきがけ、民社党との連立工作を進めていた。
小沢はその動きを察知できず、まんまと騙されていたのである。
こういう過去のいきさつから下衆の勘ぐりを試みるとすれば、「党内ばかり見ていないで、国民を見て判断されたらどうか」という武村のアドバイスは、次のように置き換えてみることもできよう。
「党内、すなわち小沢一郎や小沢グループのことを気にせず、非小沢系、旧さきがけの枝野幹事長、玄葉光一郎政調会長をそのまま温存して突き進んだほうが、国民多数の支持が得られるのではないか」
しかし、たとえそうであったとしても、菅首相が武村の意見を受け入れるとは限らない。参院選後、議席を失った地方の1人区を中心に小沢復権への期待感が、党員、サポーターの間に高まっている。それを無視することは容易ではない。
菅首相にはさまざまな人物からの意見具申がある。
同じ旧さきがけメンバーの鳩山由紀夫前首相は、小沢氏、菅首相と相次いで会食し、二人の仲介役を買って出る動きを見せている。民主党を分裂させないため、菅続投を前提にトロイカの再生をはかろうとしているようにも思える。
いずれにせよ、菅首相が武村氏と会ったからといって、ただちに小沢氏との対決姿勢と断じるのはいささか早計といえよう。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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