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「ひきこもり」70万人、予備軍155万人
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/249.html
投稿者 天橋立の愚痴人間 日時 2010 年 7 月 24 日 10:31:10: l4kCIkFZHQm9g
 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100724-00000081-yom-soci

「ひきこもり」70万人、予備軍155万人
7月24日5時2分配信 読売新聞

 家や自室に閉じこもって外に出ない若者の「ひきこもり」が全国で70万人に上ると推計されることが、内閣府が23日に発表した初めての全国実態調査の結果から分かった。

 将来ひきこもりになる可能性のある「ひきこもり親和群」も155万人と推計しており、「今後さらに増える可能性がある」と分析している。

 調査は2月18〜28日、全国の15〜39歳の男女5000人を対象に行われ、3287人(65・7%)から回答を得た。

 「普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事の時だけ外出する」「普段は家にいるが、近所のコンビニなどには出かける」「自室からは出るが、家からは出ない」「自室からほとんど出ない」状態が6か月以上続いている人をひきこもり群と定義。「家や自室に閉じこもっていて外に出ない人たちの気持ちが分かる」「自分も家や自室に閉じこもりたいと思うことがある」「嫌な出来事があると、外に出たくなくなる」「理由があるなら家や自室に閉じこもるのも仕方がないと思う」の4項目すべてを「はい」と答えたか、3項目を「はい」、1項目を「どちらかといえばはい」と回答した人を、ひきこもり親和群と分類した。

 その結果、ひきこもり群は有効回答の1・8%、親和群は同4・0%で、総務省の2009年の人口推計で15〜39歳人口は3880万人であることから、ひきこもり群は70万人、親和群は155万人と推計した。

 ひきこもり群は男性が66%と多く、年齢別では30歳代が46%を占めた。一方、親和群は女性が63%を占め、10歳代の割合が31%と高かった。

 ひきこもりとなったきっかけは、「職場になじめなかった」と「病気」がともに24%で最も多く、「就職活動がうまくいかなかった」が20%で続いた。

(引用終わり)


気になっていた統計がでた。
遅すぎる、実に遅すぎる。10〜20年遅い。

20年くらい前までは、小中学校の生徒が主体であった引きこもりは、今や成人にまで蔓延しているのである。
統計の数は、高々5000人くらいの調査の結果の類推であり、何処まで実態をつかめているか解らない。
引きこもりの現象は社会問題化している。この調査は、全国くまなく徹底的にやる必要がある。
ここにも行政の不認識、怠慢がある。

さて、70万人という数字であるが、私の住んでいる集落(市に合併前の村)は2000人程度であるが、私の家の近所でも、2人の成人が引きこもり状態である。
子供も含めると10人くらいはいるのではないかと推測する。
誰彼が引きこもりの状態であったなどの話はあちこちで聞く。
これから1億2000万人を推定すれば、確かに50〜60万人はいる可能性がある(ただし年齢は10〜39歳とする)。

親にとって引きこもりは子供でも大変であるが、成人のそれは筆舌に現し難い悲惨なものである。
状態が酷くなってくると、自殺の恐れや暴力を心配しなくてはならない。
その子の将来を考えると死ぬに死ねない絶望に陥る。

日本には、こういう人を救済するシステムはない。
精神科へ行かせても安定剤をくれるだけ。カウンセラーなど何の役にも立たない。

成人の引きこもりのきっかけは、殆どが学生から社会人になったころ(1〜5年)くらいで発生する。
何かの理由で家に帰ってきて職場復帰しなくなる。

さらに統計は「親和群は155万人」と推計している。
これも実例を多く知っている。

まず、せっかくの大学、専門学校を中途退学する学生が多くいる。
彼らの多くは、進路が合わなかったと言うことである。
合わないならば進路を変えて挑戦するものは殆どない。

また学業を辞めて、正規の職業人になる様子もない(フリーターかパートで少々の金を稼ぐが大抵親の保護下に逃げ込む)。
卒業年次に到達しても、あれこれ理由をつけて就職せず親の仕送りで生活する(都会の生活を楽しんでいるだけ)。

さらには、一旦就職しても。早いものでは6ヶ月、大概は1〜3年でギブアップ、会社を辞めて親の元へUターンする。
そういう彼らの口癖は、上司が厳しかった、仕事が合わないということである。
当地は田舎なので、多くの親は細々ながら自営業をしているものが多い。
せっかくの仕事を投げ出して帰ってくる子供は、そういう家庭のものが多い。

結果は、従業員など必要もないのに家業を手伝って社会人の形を取っているだけ。
女の子の場合は、花嫁修業という隠れ蓑で比較的目立たずやっている。
その上に、安定した企業への就職を目指すことなく、手じかに自分を甘やかすことが出来そうな職場を求める人間もいる。

こういう連中も、確かに問題となる成人は100万人くらいいるであろう。
引きこもりも含めて、彼らは社会生活不適合症なのである。
厳しい環境(社会人として当たり前の)に自分を置けないのである。
これほど我が国の精神文化は劣化しているのである。

何回も言っているが、この一番大きな原因は小さい頃からの自主性教育なのである。
彼らの多くの判断では、社会生活に耐えられないのである。

子供の養育は、社会の現実に照らし合わせてやるべきなのである。
子供の自主性などは、それをやった余裕の分でやるべきなのである。

子供の頃から好き放題させておいて、社会人になったとたん、あれやこれやと規制を当てはめても順応できない人間が続出することなど始めから解っている。

そのそも自主性と称して何でもやって良いわけではない。
まず社会のルールを身につけさせて、その上でそれぞれに合った領域に進むべきなのである。

日本の教育機関も親も、自主性と子供の特殊能力を英才教育することと同じように考えている。
子供の能力を早くから発見し、英才教育を施すことは自主性教育とは関係ないのである。

こういう間違った教育方針が現在の我が国の精神文化を劣化させてしまったのである。
最も、これには情報過多及び物質的繁栄の現代社会の様相も関連していることも付け加えねばならない。

終わり

http://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=704
 

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コメント
 
01. 2010年7月24日 11:06:43: 7Fp8zUo1v6
投稿者は他人様をそこまで言える資格を持つ、よっぽど素晴らしい人物なんですねw

02. 2010年7月24日 11:06:53: FYfIaFfxnc
教育が、個性尊重でいくことは、憲法上も至極当然のことである。

社会の構造問題を個人に転嫁する論調はもはや許されない。


03. 2010年7月24日 11:10:37: FYfIaFfxnc
利権者の取り仕切る全体主義から脱却できない社会の構造の限界が数十年まえからはっきりしている。

個人の資質に問題をすり替えてはいけない。

戦後の日本の民主主義機能不全は深刻である。


04. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 11:26:12: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>投稿者は他人様をそこまで言える資格を持つ、よっぽど素晴らしい人物なんですね

私が著名な人間であれば話しを聞くと言うのかね、人の発言を、その人間の有様で解釈したいなら、こんな匿名の掲示板に顔を出さないことだ。

当事者になって、ものを考えろ。


>教育が、個性尊重でいくことは、憲法上も至極当然のことである。

憲法に個性の尊重など謳ってない。法の下に万民が差別を受けてはならない(貧富のことではない)と謳っているだけ。
その上に、国民は勤労の義務、納税の義務を負うとともに、国家は国民の労働権を保証するとなっている。

>個人の資質に問題をすり替えてはいけない。

人間社会の認識の問題。
システムがよければ全て旨く行くようなシステムは存在しない。

>戦後の日本の民主主義機能不全は深刻である。

と、思うなら、なぜか、どうすればよいかを考えるべき。


05. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 11:31:02: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>個人の資質に問題をすり替えてはいけない。

何でも、だれかがやってくれるという甘さが
引きこもりを生んでいるのだ。

失業者 500万人
引きこもり 500万人
の社会が来ることを御望みなら、捨てて置くことだ。


06. 2010年7月24日 11:35:44: NjM94nhavA
個人の資質(精神の腐敗)じゃなくて、職がないだけじゃないの。一方的に中傷してるの見ると、気分が悪くなる。

07. 2010年7月24日 11:51:13: FYfIaFfxnc
天橋立の愚痴人間

は 悪いのでけれど、 教育や憲法をもっと勉強してから出直したほうがいい。

社会の大きな閉塞感に個人が敏感に反応しなわけがない。

既得権者で覆われた、日本の社会で多くの庶民が生活していくのが困難になっている。

個人に「変われ」「適応しろ」でだませた時代は過ぎ去ったのである。


08. 2010年7月24日 11:52:27: FYfIaFfxnc
憲法の全文すら読んでいないのかということだよ。

09. 2010年7月24日 11:53:00: FYfIaFfxnc
前文でした。

10. 2010年7月24日 11:56:18: FYfIaFfxnc
日本国憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。」

11. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 12:07:53: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
どうも解らない人たちが多いようである。

職業の面で、グローバル化した現代では、幾ら個人が努力したところで働き口はみつからないことは、市場主義経済体制と、科学技術の発達により大量生産が可能になった状況からくるシステムの問題で、これを解決する手段はシステムを切り替える以外にはないのは自明のこと。

これと、働き先がありながら、個人的、精神的な理由で職場を放棄することとは別の側面も含んだ問題である。

ひきこもりは直接的には個人の精神的崩壊と言う形で現れているが、
こうした状態を招いたのは、教育方針の間違いであるとシステムの責任に言及しているのが何故理解できないのであろう。

最も、システムの問題と、それを構成する個人の問題を全く別のものとして取り上げるような論理的瑕疵がわからないようでは話にならない。



12. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 12:11:35: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>日本国憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。」

個性を尊重するなどと書いてないであろう。
憲法と言うものは、そんなに微にいり細にいり規定しているものではない。

なお、法令にもそんなものはない。


13. 2010年7月24日 12:24:08: FYfIaFfxnc

>子供の養育は、社会の現実に照らし合わせてやるべきなのである。
>子供の自主性などは、それをやった余裕の分でやるべきなのである。


教育は、現実主義 日和見主義で行うものではない。現実がどうであろうと人類普遍的価値をしっかり教えることが根底にある。

その上で実学など自己の進路に向かった進むよう設計されている。

日本が、いつまでたっても個人主義、国民主権尊重のできない社会であるのは、
マスゴミの世論誘導もあるし、全体主義に浸りこんで自分の頭で考えられない長いもにまれろ的な人間が多いからである。


14. 2010年7月24日 12:32:46: FYfIaFfxnc
ぶれぶれの利己的個人が日本を悪くしたのである。

日本国憲法は他の法規群の元になるものであり当然。

具体的法規を読み込むしかない。


15. 2010年7月24日 12:50:41: FYfIaFfxnc
全体主義的な社会では、個性とは不要か、むしろ害になるといってもいい概念である。しかし個性を認め得ない社会は、アリなどの昆虫の群れに等しく、変化や発展に限界が存在する。というよりは、完全に個性をなくし、全体化した状態の社会はそこで固定化され、変化など生まれるはずがない。社会学的に見れば、常に変化は個人から集団に伝播し、やがては大きな革新へと発展する。つまり、個性がありすぎれば社会の維持にとって害になるが、個性がなければ社会の進展もありえない。
個人が個人である必要が無いのであれば、往々にして個人の価値は、消耗品以上にはなり得ない。欠損した故人の椅子に、誰か代わりを持って来れば、集団のうちに何割かが稼動できれば良い、という状態を維持できるわけで、人命は極めて軽んじられる。

16. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 13:10:20: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>教育は、現実主義 日和見主義で行うものではない。現実がどうであろうと人類普遍的価値をしっかり教えることが根底にある。

それこそ現実は、そんなに余裕のある教育はやってこなかった。

随分と昔において、教育とは国のエリートを育てる目的で行われた。
日本における藩校はそれに該当する。

また明治後の新生教育は富国強兵のための下地つくりであった。
その成果は見事に実った。

また江戸時代の寺小屋と称される庶民の教育は、読み書き、そろばんを教えることが主体であり、実学そのものであった。

現代社会には社会が要求する要素があるはずで、教育のための教育など、理想論としてあっても現実には、それ以前にやらねばならないことがある。


17. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 13:17:16: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
「個性命の方へ進呈する」


1億人のソクラテスが
1億の国家を語り
百家争鳴の中にある。

そのとき、国もなく、家もなかった、
正義もなく、希望もなかった。
人生を庇護したのはだれか、社会を包んできたのは何か。
人々の謙虚さはどこにいったのか、あの心はどこに。

無限の自由は不自由となり、
無限の欲望は希望を奪い、
かの唯一者は、息なく呼吸し、
人々の心には何も存在しなかった。

全世界は混沌におおわれ、
正義もなく、悪もなかった、
自由もなく、拘束もなかった、
新しい創造がどこから生じるかを、だれが宣言するのか

そのとき、おおいの中に隠れていたもの、
かの(唯一者)が灼熱の力によって生まれる。

これから出て、はじめに現れたのが、
心を求める叫びであった。
有の根底を無のなかに見いだしたのは、
心の動きにしたがい、探し求めた啓蒙であった。

・・・


解るかな ?

http://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=39


18. 2010年7月24日 16:47:45: YwNcAr7SKk
ええと


高度成長時代からの経験を今の情勢に合わせて語るのは無理だと思います><


19. 2010年7月24日 16:55:14: fgm1McgQfY

現憲法はいずれにせよ、多少の改正はあったものの基本的にはマッカーサー草案が
基本になっているんじゃないだろうか。

戦後、その流れに沿って、自由、平等、国際主義等、
良くも悪くもそれ以前の日本のさまざまなよい部分、悪い部分も含めて

いろんなことが否定もされただろう。

そう考えたとき、あながち、現憲法がこうだからと言えるのだろうか。

Wikipedia-日本国憲法でも

>日本国憲法の制定過程において瑕疵があるか否か、また、その瑕疵があるとして、これがため憲法自体が無効とされるか否かについても議論がある。

とも言われているし、実際私ももちろん戦後生まれですが、学生時代にはよく、
日の丸、君が代論争がさかんで子供心に「今は自由だ平等だ、日の丸、君が代反対だ」などと考えていたが今では逆に日本民族としてそれらに特に疑問を覚えたりしません。むしろ、アメリカがおしつけたさまざまな弊害のほうが

この例にもいえるのではないだろうか?

社会が、特に間違った方向にあるとき、社会は個人レベルまでにも
十分影響を及ぼすのでは...


20. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 17:09:45: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
日本国憲法は安全保障の面でとやかく言われているが、相対に国民にとって優しいものである。

それよりも、法令の方が憲法の精神に違背しているものが多いのと、行政、特に司法が憲法の精神を遵守していないことが大変問題である。

ドイツなどでは「違憲立法審査権」の発動が、10年くらい前までに500件近くされている。
我が国のそれは、当時において6件にとどまっている。
これは憲法が完全であるというよりも「違憲立法審査」を受け付けない行政の身勝手さの故である。


21. 2010年7月24日 17:24:22: fEYiVE3nvI
これも小泉・竹中の作り出した結果です。
非正規雇用、日本弱体化の一環です。

22. 2010年7月24日 18:00:50: 6wDinu5GBM
引きこもりたくなる気持ちはよく分かる。
本当に馬鹿な上司とか馬鹿な教師とかいるよ。
そういうのが野放しになっている社会で、いくら頑張っても自分が追い詰められていくだけだからね。
日本中が既得権益にがんじがらめになっていて、頑張りようのない硬直した社会になっている。教育を現実社会から切り離して論じることはできないと思う。

個々の人達には何とか社旗復帰してもらいたいと思うけど、社会の閉塞感を打ち破らないと解決には至らないのではないだろうか。

それにしても、政治の無策がこの状況を作ってしまったのだということは間違いの無いことだ。


23. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 18:38:08: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>非正規雇用法令

立派な違憲法令ですね。
公務員共済年金の支給が一般の厚生年金よりも5割方多いシステムも憲法のしたの平等の精神に違背しています。

良く注意してみておかねばならないことは、常に話題に上がっている人権擁護法案にしても、現在の法令では憲法の精神を守れていません。
セクハラなどが最近は法令で罰せられるようになったでしょう。
これは人権擁護関係の法令にセクハラの細目がかかれていなかったのを20年くらい前に書き込んだ結果なのです。

障害者自立支援法で、障害者の保護者の収入によって支援の多寡を決める場合、今までは両親に限られていたものを、同居する親族(兄妹など)へ拡大しました。
これも権利、義務と言う観点で憲法の精神にそっているといえましょうか。

気がつかないところで行政の身勝手(憲法無視)が随分と行われています。
憲法改正論議より先に行政の姿勢を糾弾すべきではありませんか。

大体において、憲法とは、行政、権力側の人間が統治において守るべき指針を示しているのです。
国民は憲法を守ることを留意するのではなく。憲法に照らし合わせて行政を監視する必要があるのです。


24. 2010年7月24日 18:39:09: SBztI6XWSY
21氏 22氏がいいこといいますね。

22氏が本質の一つと思われます。

あと僕的に
つけたすならば
、ひきこもりの多くは、内向型であると思われます。
内向的に人でも務まる、もしくは発揮できる職種への紹介とかが
不十分なんでしょう。
内向的な人間が務まる職種・受け入れ可能な企業を紹介してやればいいのです。
別に難しい問題ではないのです。

コミュニケーション能力いわれますが、確かにどの職種でも必要でしょう。
でも度合いの落差はあるのですよ。

経理マンより接客サービス業の方がより高く求められるでしょう。
内向型は、攻撃的なふるまいの人間が苦手で大嫌いです。
その典型がヤンキーです。だからヤンキー現役ヤンキー・チンピラ崩れ
DQNの多い職場になじめるはずがないのは、想像に堅くありません。

ひきこもりに自分で仕事探して来いとか、仕事を選ばなければ
何でもあるなというのは、逆効果なんですよ。
それに慣らすための訓練とかいって簡単な軽作業やらせてますが
ほとんど無意味です。似た物同士でゆるい仕事が慣れたとして
DQNヤンキーの多い工員・肉体労働は、勤まりません。

内向的な引きこもりにワタミや白木屋で働けったってムリです。
居酒屋もファーストフードも明るい元気が欲しいのですから。

こういう人でも務まる仕事や職種はたくさんあるのですが
社会が凝り固まった固定観念でなかなか引きこもりの青年に対して
勤まる仕事を開放してくれないんですよ。

彼らは、音楽・芸術・オタク的センスは持ち合わせてる場合が多いです。
そういった方面を目指すのがよりよいんですが
当面すぐできそうなのは
実は高齢者が独占してる職種が実はひきこもりには向いてる仕事が多いんですよ。

ボイラーマン・今はなくなりましたが燈台守・夜警(警備ではなく夜警の爺チャンっていたでしょ)・駐車場の守衛、ビルの管理(蛍光灯の交換ガス検針他)他
こういったのをひきこもり青年にも開放してやればいいのです。
それ程高いコミュニケーション能力は、必要とされません。
ただ現状は、高齢者が独占してるのです。
いわゆる高齢者助成枠ってのがありまして、ハロワでもよく募集してるんですが
助成枠の関係上、逆年齢差別があるんです。
巷では、年齢が高いと断られるてのが多いんですが
若いからお断りっていう募集なんですね。
この枠にひきこもりを追加すればいいんです。
引きこもりでも勤まるんだから
ひきこもり認定された青年は、採用してやればいいんです。

ひきこもりは、若者らしい仕事が不得手で大嫌いなんです。

だってさ、灯台守なんてひきこもりみたいなもんでしょ。
暗い部屋に一人だまっているなら
ビルの夜警なんてぴったりじゃないですか。
若者は、若者らしく元気明るくはつらつこういう発想が糞なんですよ。

ひきこもりに高齢者助成枠の職種をまず解放してやること。
そこで自信をつけながら、芸術おたく的能力磨いてもらって
グラフィック関係のよしやすさん・COCCOさんみたく自己実現してもらえば
いいんです。
だってさ、COCCOさんだって、OLとか居酒屋ファミレスとかのサービス業
なんて勤まりそうにないでしょ。



25. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 18:53:51: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>ボイラーマン・今はなくなりましたが燈台守・夜警(警備ではなく夜警の爺チャンっていたでしょ)・駐車場の守衛、ビルの管理(蛍光灯の交換ガス検針他)他
こういったのをひきこもり青年にも開放してやればいいのです。

そうして貴方は、2000万人くらいの引きこもり集団社会を作ろうというのか。
内向的で引きこもっていても、身体的共謀性まで引きこもってくれるとお思いか。

ついでに社会についてこれないものを集めて生活させればどのようになるのかね。
きっと、殺し合いが始まるであろう。外部の人間とね。

そこで考えられるのは軍隊を派遣して常時封鎖することである。
そういう社会を
貴方はお望みか!


26. taked4700 2010年7月24日 22:42:34: 9XFNe/BiX575U: tC8f2oPwcc
一種のいじめの構造と社会構造がかぶってこういった問題を作り出している面がありますね。

日本人の全体に合わせようという気質というか、自分であまり考えようとしない態度がすべての原因になっている面もあります。

もう一つは、高校・大学の中退問題があります。大学の中退はともかく、高校の中退がまだ年に7万人以上出ていて、この人たちの問題も大きい。

引きこもりについては、子供社会が成立していないことが大きいと思っています。子どもはあくまで大人に従属した存在ですから、子供社会と言っても独立したものではなく、あくまで一般の社会の小断面として成立しているのですが、最近はというよりこの20年近く、子供社会と言えるものがほとんど成立しえなくなっていると思います。部活はほとんどと言っていいほど教員が監督としてつき、子供たちだけで自主的にやるものではなくなってしまいました。自分が中学や高校時代、教員が運動部に出てくることは週に一度あるかないかぐらいでした。まあ、部活によって違う面もあったでしょうが。ともかく兄弟が少なくなり、近所に同年齢の子供も少なくなり、しかも、多くが放課後塾などに行くようになって、ほとんど友人とのなかでいろいろなことに取り組み、失敗を重ね、それでもまたお互いに絆を結びあっていくという経験がほとんどない人たちが多い。

中退についても、子供社会の非成立が影響を与えています。純粋に経済的な問題で中退する生徒も数多くいると思いますが、そうではない問題で辞めていく生徒も数多い。多分、昔だったら、仲間内で学校をやめさせないような動きが出たと思うのですが、この20年ぐらいは全くそういった動きは出ないように思います。背景には友人関係の浅さがあると思います。

ただ、大人になってからの引きこもりの原因を子供時代に求めても解決にはならないので、現に引きこもりになっている場合は、ともかく社会との接点を探すしかないと考えています。ただ、一年以上引きこもってしまうと、あとはなかなか回復できない様子です。ですから、引きこもりがひと月続いたら何らかの手が入るようなシステムが必要だと思います。家庭内のことですから、まずは一般的に父兄の方に引きこもりの初期対応についての知識を持っていただくことですね。中学の父兄から始めておくべきだと思います。

社会との接点については、いろいろな試みもされ、また、更に他にも方法があると感じています。


27. 天橋立の愚痴人間 2010年7月24日 23:13:42: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
26 さん、始めて期待したコメントをいただきました。

「子供社会がなくなった」と言う表現をされていますが、全くその通りで子供は子供なりに切磋琢磨して過ごさねばなりません。

それは幼児期の遊びから始まると思います。
その仮定で子供は社会と言うものを身体で覚えるのだと思います。
当然いじめなども度々経験するでしょう。
いじめる側もいじめられる側も少しづつ体験し、ルールとまでは行かないでもやってはならない限界なども身につけるでしょう。
それが純粋培養のように育てられる結果、一旦こじれると見境がなくなります。

そんな青年が社会にでて、環境に順応する力をなくしていることは容易に想像できます。
ところが教師を含めた大人達は、子供の発育過程に鑑賞しすぎます。
その根拠に、表面的な、または流行の自主性を重んじるとか、平等とかの概念を用います。

これがまた、子供に遮眼革(馬の目隠し)をつけているようなもので、自主性という名の方向性を強要してるのです。
そうではなくて、子供の頃は、横を見たり後ろを見たりして、恐る恐る自分を見つけるべきものであるのです。

結局、親や教師達は、子供を指導しようとして、極、狭い了見の競走馬を仕立てているようなものです。
それでは、子供は一旦道を誤ると、何処へ行ってしまうか解りません。
高校生や大学生に自主性を強要するのは解ります。
小中学校に行く間は、子供は子供らしい世界に放り込んでおくのが良いのでしょう。


28. 2010年7月24日 23:58:41: P1Exzi7MsI
>24
の方の意見に近い。
職業を開放するとかしないではなく、その人達に対する理解の仕方と言う点で。

200万人の引きこもり集団社会が実際できてしまうかどうかは分からないが
彼等たちも彼等なりに苦しんでいるのだろう。
もし彼等がうまく社会に対して一歩踏み出せる機会が有るのなら其れを
利用すべきではないかな。

人間はきっかけが有ると変わってくる可能性が大いに有るからそこを見落としては
いかんと思うよ。


29. 天橋立の愚痴人間 2010年7月25日 00:18:46: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
28 さん、こんばんわ。

>2000万人の引きこもり集団社会が実際できてしまうかどうかは分からないが

これは単なる言葉の上の絡みで、そんなことはありえないでしょう。

>彼等たちも彼等なりに苦しんでいるのだろう。

これが問題でして、普通の人間が悩むという意味で考えたら間違いになります。
何となれば、本当に悩んでいるのなら、その状況を脱することが出来るでしょう。
他人のアドバイスにも耳を貸すでしょう。

私もある人間にアクセスして指導を試みました。私などは言葉においてはかなり自在に話せる方ですが、彼を立ち上がらせることはできません。
苦しむのではなく、ただ逃げているのです。


ですので多くの場合に、

>人間はきっかけが有ると変わってくる可能性が大いに有るからそこを見落としては
いかんと思うよ。

これは通用しないのです。
そのきっかけを待っている間に、年齢を重ね、周囲の事情も変化して行くのです。
それでは追いつくことが出来ません。

引きこもりになった人は、それぞれ時間をかけて対応することとして、引きこもりを多く出さないような社会の対応を考えねばならないのではないでしょうか。



30. 2010年7月25日 00:34:40: KVupSxtwQc
引きこもりになった人たちは競争社会に疲れた人だと思う。

元々日本は競争社会(中国社会・学歴社会)じゃなく、共生社会(大和社会・和気社会)。

競争社会への社会変換についてこれなくなった大和人が、人間関係を強制的に断絶しただけだと思う。またそれは自己を守るために必要かつ正しい行為だと思う。

このまま競争社会へと突き進むのなら、引きこもりになる人はなくならないと思う。

誰もが「和」気藹々と暮らせる社会を我々は目指すべきではないのかな、と思います。


31. 天橋立の愚痴人間 2010年7月25日 00:57:12: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>引きこもりになった人たちは競争社会に疲れた人だと思う。

そうではなくて競争する前にリタイアする人を引きこもりと言うのです。


32. 2010年7月25日 01:05:39: KVupSxtwQc
>>31

学校に通ったら否応なくテスト重視(結果重視)の競争をさせられますよ。

受験社会が子供の頭と心を壊していると思います。


33. 天橋立の愚痴人間 2010年7月25日 02:24:21: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>学校に通ったら否応なくテスト重視(結果重視)の競争をさせられますよ。
>受験社会が子供の頭と心を壊していると思います。

不登校の生徒の問題は、そうでしょう。
そういう子供達は競争が怖いというよりも、負けることが怖いのです。
仰るとおり成績重視の環境では、成績で負けることは自らの否定を意味し、仲間からはずされると思い込んでしまいます。

それは必ずしも劣等生に対することではありません。
比較の問題で、成績がある程度良くても、その生徒のターゲットは、成績が良い連中にあるので同じ事になります。

ですが、ここで問題になっている成人(15歳以上)の引きこもりの場合は成績だけではなく全人格的なものです。

共通する要素は、仲間と同じでなければ不安を感じるのです。
学校ではともかく、社会へ出るとそんな環境はありません。
各自が独立独歩、それぞれの立場で勝負しなければならないのです。

社会で出てから何か特別の困難に直面した時、こういう環境に耐えられず逃げ出すことになるのです。
要するに、それまでは運動会の徒歩競争でも順位をつけるのは平等ではないなど(本当に実例があるのです)、余りにも浮世離れした環境で純粋培養されてきた精神が破綻するのです。

行過ぎた平等教育の例として、ある小学校ではクラスの皆に同じような点数を取らせるために。テスト前に問題と答えを黒板に書き出したあと、テストをしたような信じられない教師もいるのです。

人間形成にとって一番大事なこの時期に、こんな教育が全国でやられているのです。
文部科学省の教育方針と、現場教師の質が、こういう状態を招いているのです。


34. 2010年7月25日 02:38:42: 6DDCx1tsSo
この問題の答えが一つや二つなら社会問題にはなってないと思いますよ。

競争する前にリタイヤする人が引きこもりなのかどうか?実際は競争する環境さえ与えられなかった人や競争して勝ち残っても見返りが少なかった人など、世間一般では意外と優秀と見られる人が引きこもる傾向が少なからずあるようです。

偏差値教育も原因の一つだと思います。偏差値が恒常化すると、偏差値を上げることが目的となってしまい、その先に何があるのかはあまり考えないでしょう?結果、目標が全くない無気力人間の増加に繋がっているように思えます。

オタク的センスに触れた方がいますが、伝統工芸などの職人的製造業従事者が多ければ問題は大きくならなかったはずです。黙々と良い物を作る環境は極端に少ないですし、大量生産の流れ作業でも正規社員として誇りを持った従業員の割合は減ってますからね。例えば、トヨタの工場で正社員として働く人は仕事もキツイですし人間関係も複雑でしょう。ですが、仕事を辞めて引きこもる人の割合は少ないのではないでしょうか。一方、派遣社員としてトヨタ工場で一定期間働いた人の引きこもり率は高いと思いますよ、具体的な数字は無いですけど。


35. 2010年7月25日 03:29:41: KVupSxtwQc
>>33

物事には主従関係があると思います。

私は競争(勝ち負け)は否定しませんが、競争を主とした考え(第一目的)をすることは否定します。

人間は負けること、それ自体は恐怖しません。負けることにより仲間から外されることに恐怖します。特に競争社会へと移行する日本の文化ではそれが顕著です。

このことを勘違いしているのが、仰るとおり左派の偽善的な完全平等教育です。官僚を頂点とした体制側の完全学歴競争教育への反動だとしても、あまりに低レベルな反動です。競争は絶対になくなりません。人間は比較する生き物ですから。

問題は仲間(群れ)に対する「気」持ちです。和気を大切にしない仲間(群れ)には日本人(大和人)は興味ないのです。

ちなみに日本文化は中国文明の一部ですから、引きこもりは人間関係を断ち切る仙人思想と同じだと私は考えています。競争社会、競争好きな人間の完全否定です。


36. 天橋立の愚痴人間 2010年7月25日 05:30:54: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>>35 さん、はじめまして。

>問題は仲間(群れ)に対する「気」持ちです。和気を大切にしない仲間(群れ)には日本人(大和人)は興味ないのです。

>ちなみに日本文化は中国文明の一部ですから、引きこもりは人間関係を断ち切る仙人思想と同じだと私は考えています。競争社会、競争好きな人間の完全否定です。

だんだんと本質に迫るコメントをありがとうございます。
「仙人思想」と言う言葉を記憶させていただくことにします。

我が国のこういう土壌の中で、西欧個人主義を手本にした教育が合わないと言いますか、教師自身がその意味が解ってないところに悲劇があると思います。

こうして妙な教育が行われ、ますます子供達は自我の未発達のまま成人を迎えるということでしょう。

おかげさまで、現代教育の根の根の部分の問題点に迫ることが出来ました。


37. 天橋立の愚痴人間 2010年7月25日 05:48:16: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
>>35 さんへ。
ついでに以前私が書きました教育に関する小文の一部を転載させていただきます。
全文は下記にあります。

http://www.kyudan.com/toukou/amano03.htm

広辞苑を引きますと「平等」とは「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」その用例としては「・・・に扱う」とか「男女・・」のように、あるものとあるものの関係において平等の概念を当てはめることが正しい使い方であり、また「平等に分ける」の場合のように、平等の概念が適用できる対象について可能な言葉であります。

しかるに、我々人間の能力・環境など、それ自体が平等になりえないものに、平等の概念を適用しようとする行為は、愚劣を通り越していて、このような概念を教師が持っているとすれば、直ちに矯正すべき内容であります。 我々人間は、与えられた環境・身体・能力に応じて精一杯生きてゆく事が大切なのです。

年少者の教育の場での神様になるような教育は、子供達が長じて社会生活に入って行く上に、大変な弊害をきたす以外のなにものでもありません。 頭の良い子はそれを生かし・身体の頑丈な子はそれを利用するもよし、成長と共に、自分に応じた生き方を身に付けさせること、自分の長所を認識させることが義務教育時点での重大な課題ではないでしょうか。

民主主義の世の中で、機会とか情報とか、社会的各種差別に対して平等を主張するのは結構ですが、人間自身が平等に生きられると思い込ませかねない教育は、この世ではやって欲しくないものです。

同様に「自主性」について、広辞苑では「他人の干渉を受けないで、自分で決定して事を行うさま」とあります。 子供でも、成人でも、自らを成長させるにおいて、一番大切な心がまえは、見習うことです。 その昔、我々老人の時代には、親は生活に追われていて、我が子の教育などは、ただ叱り付けることでした。 その中で子供達は、やってならない事、善い事を自然に習ってきました。 成人に達してからも、先輩達の仕事を盗むようにして覚えていったものでした。 年少のころから、少しずつ確実なものを身に付けて、それが自信になり、判断力の根拠となって、他の人からも信頼されるようになりました。

自主性などは、その過程で無意識のうちに醸成されてゆく、責任感を伴った自我に基づくものでなければなりません。 自我とは、これも広辞苑によりますと哲学的には「認識・感情・意志・行為の主体を外界や他人と区別して言う語」、また心理学的には「意識や行動の主体を示す概念」、精神分析の世界では「イド」(注)から発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをする」とあります。 自我の発育は心理学で言っておりますように、思春期に反抗期を伴って顕著になってくるものであり、個人の心的体験等によりそれぞれに差異があるものです。

発育途上の子供に対して、択一的に、他動的に、まず先に、自主性の概念を教え込む等の手法によって、正常な自我を醸成させることが出来ると思っているのでしょうか。 自主性と言う言葉を自我と置き換えて考えればそんなに単純に、教えて身につけさせられることではないはずです。 自我の未成熟のまま自主性の概念のみが発達した、能力も責任感もない多くの人間が社会に出た時、社会の秩序が崩壊するのは目に見えております。

教育の場で「自主性」を云々するのは、如何にして正当な自主性を身に付けさせることが出来るかを、教育者自身が己に問う問題であり、子供に自主性を安売りするものではありません。 まして、事例を与えて子供に実験させて悦に入っているのみの教育現場のあり方は、もってのほかの状況と考えます。 「自主性」にたいする考え方が逆立ちしている様です。

最近発表された教育基本法のなかにも「自主性を育てる教育」が方針として盛り込まれておりますが、その抽象的概念をかかげるだけで、教育現場の現状に対して余りにも無責任な対応といえます。 子供の内面を伴わない自主性の意識を発揚させる教育が、それだけが全てと申しませんが、やたらと親や教師に反抗し、物事に責任を取れない子供が氾濫している原因となっていると思います。

以上、申し上げました様に、多くの教育関係者様におかれましては、広辞苑等をひも解かれまして、まず自らの語学力の再教育をされた方が、よいのではないでしょうか。 従来の認識を変えられたほうが、自らの教員生活にゆとりも出来、崇高なる職業意識の満足にも効果のある事と、御提案申しあげます。

(注) id = 精神の奥底にある本能的エネルギーの源泉。快を求め不快を避ける快楽原則に支配される。 エス(es)ともいう。 精神分析の用語。


38. 2010年7月25日 19:29:46: KVupSxtwQc
>>36

初めまして。といいますかファシズムの投稿や他の投稿で何度かコメントのやりとりをしております。遅くなりましたが、ハンドル・ネームはユナイトです。

氏の仰る通り、親を含めた教育者の知的水準の劣化が著しくなってきています。特に西洋思想を理解せずに、表層だけを取り入れるのは止めるべきだと思います。

敗戦により判断基準を失った今の日本は空気を読む社会です。判断基準を取り戻すために「教育は何のためにあるのか?」これを大人は今一度考えるべきだと思います。

子供たちに何よりもまず教えなければならないのは、平等思想(と言いながら本質は歪んだ平均思想)ではなく、対等思想(イコールの思想・本物の平等思想)だと思います。自分で自分の生活を支えて初めて、大人と同じ対等として扱われる、という思想です。円卓(ラウンド・デーブル)の思想の流れです。つりあう者だけを自分と同じ人間だと認め尊敬しあう、という思想です。

判断基準を教えていない自主性は危険です。分かりやすく極論を書きます。人を殺してはいけない、その判断基準を教えず自主性(やりたいようにやる)に任せたら、人を殺すかもしれません。

手っ取り早く自主性を育てる教育を目指すなら、尊敬できる人を探させることです。そして尊敬している人の判断基準を真似させることです。カリスマ教育です。

学歴と平等という相反する判断基準以外教えていない今の学校教育では、自主性を子供たちに任せても、子供たちは困惑しているだけだと思います。

社会にでた人なら分かると思いますが、会社などあらゆる共同体(組織・群れ)には上下関係(命令系統)があります。下の人間は自分の判断基準があっているか必ず上に尋ねます。上の人間は下の人間の判断基準の正否を出さなければなりません。正しければ、行動の許可を出します。間違っていれば、考え直させます。

上の人間が判断基準の正否を考えることを面倒くさがり、下の人間に勝手な行動をさせれば、共同体(組織・群れ)は崩壊します。このことが一番重要なことなのです。

書きたいことだけ書きましたので、文脈が変ですが、発想のきっかけになって頂ければありがたいです。


39. 天橋立の愚痴人間 2010年7月25日 19:49:40: l4kCIkFZHQm9g: QssqyHlD52
ユナイト さん、こんにちは。

>判断基準を教えていない自主性は危険です。

この言葉の使い方、教えていただきました。

同じような発想をされる貴方を知って、力をいただきました。


40. 2014年2月18日 13:43:45 : Un6heX4IUI
54: 名無しさん@社会人 2008/05/24 20:29:59

そう言えばムーブで宮崎てっちゃんも、ひきこもりがなぜ男性に偏重してるかの分析で男性だけが逃げ道がないからだと言っていたよ。
女性で就職できなくても、別に全然悲壮感や焦燥感がないのは、社会が女性には正社員総合職であることを求めない。
一般職でも、派遣でもでもなんでも認められる。その上男性がなる総合職になっても逆にすごいと誉められる。
ほぼどんなレベルの生き方も許される。女でありさえすれば。
厳しいレールから外れたからって、社会的に迫害的な目線を受けない。
「結婚して養ってもらったらいいんだからそんな頑張って一家の主みたいな職につかないでもいい」と言う意識があるから。
だから正社員経験がなくても、将来的にも傷にならない。
バイトや派遣なら職歴関係なく一生チャンスがある。

しかし逆に、男性が女性の生き方をすることは決して許されない。
社会が大学卒業後「正社員総合職」に滑り込めることを「一人前の大人」の前提条件にされてる。
30まで正社員総合職経験がなかったら、それだけで社会不適合者扱いされて、アルバイトや派遣の面接ですら拒否される。
同じ10年ものの無職でも、片方専業主婦という肩書きで10年家にこもって楽してても、さも10年間総合職と同等に働いてたかのように振舞える。
男性はニートの怠け者扱い。

男女共同参画になりました→貴重な正社員総合職を男女で取り合うようになりました
→公務員なんか意図的に女を半数近くまで増やそうとしました
→男性で正社員総合職・公務員になれない人が当然増えました
→でも社会は働く女性に男性を養う責任は全く求めませんでした
→しかも社会は、依然男性には今までどおり狭き門になった
 正社員総合職であることを求め、そうじゃないと人間否定を続けました

そりゃ男性だけがひきこもるし、自殺するでしょ。不思議な現象でもなんでもなく、社会の差別構造上当然の帰結。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1198136474/


41. 2015年4月29日 16:54:44 : emaZofLD3A

反社会学講座
第9回
ひきこもりのためのビジネスマナー講座
http://pmazzarino.web.fc2.com/lesson9.html

<略>
今回のまとめ

メラビアンの法則は都市伝説です。
研修屋が教えることの55%はウソで、38%はハッタリで、真実は7%だけです(マッツァリーノの法則)。
若者はいつの時代も失礼でいいかげんです。
おじさんはいつの時代も自分が使いこなせない新しいものを否定します。
お客様の心臓を保護しましょう。
社会に出ると面倒くさいルールが多いので、ひきこもっていましょう。



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