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◇次期首相にふさわしい人物のアンケートの結果である。
渡辺喜美 11.4
菅直人 10.8
舛添要一 8.7
前原誠司 7.9
岡田克也 6.6
小泉進次郎 5.2
石破茂 4.3
谷垣禎一 3.4
小沢一郎 2.7
枝野幸男 2.0
石原伸晃 1.6
仙谷由人 1.0
亀井静香 0.7
与謝野馨 0.7
樽床伸二 0.2
分からない 32.9(敬称略、数字は%)
これを見るように大衆と言うものは殆ど、自らにとって本当に大切なものは何かが解っていない。
下記に挙げるヘレニズム社会(紀元1〜3世紀)の批評家の一言を度々例に出していますが、
「現代に生まれた人間の精神生活の癌の一つは、精神的緊張の低下であって、ごく少数の選ばれた人びとを除き、我々はみな、弛緩した日々を送っている。仕事においても、気晴らしにおいても、我々がもっぱら目標にしているのは、人気取りと享楽である。全心を自分のしている事に打ち込み、本当に手に入れる価値のある承認を勝ち取ることのうちに見いだされる、真の精神的財宝を得ることに、少しも関心をもたない」
現代に生きる人々の間でも精神の弛緩があるという面があります。
また上記のヘレニズムの批評家が対象としているのは、ある程度余裕のある階層の人々であると思います。
現代でも、2000年も前の人々でも、その日の生活にあえぐ人々は、精神の弛緩など贅沢病にかかっている暇はないはずです。
衆愚とは辞書によると 「多くの愚かな人々」とあります。
衆愚政治とは、
多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても、判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。
ここにありますように、衆愚政治とは、無知とか暗愚故に起きる現象ではないのです。
判断できる人間、判断すべき人間の怠惰やエゴにより発生するのです。
また「現代革命考」スレッドで書きましたように、エスタブリッシュと言われている階層には衆愚は起きません。
底辺で生活にあえいでいる階層にもこれは起きないことは自明のことです。
何となれば、彼らは判断を誤ることすなわち死を意味するからです。
突き詰めれば衆愚の発生、及び衆愚の責任は中間層にあるということです。
我が国の場合について検証すれば、彼らはある程度高等教育を受けて、社会的にそれなりの位置に属し社会の恩恵を受けている階層が衆愚の巣窟と言うことになります。
翻って、彼ら衆愚の階層を作ってきた源は、戦後教育にあるといえます。
そうして戦後教育の特徴は、第一に子供の自主性を重んじると言うことでした。
学校で教える知識などは、殆ど衆愚を防止する力にはなっていないのです。
判断力は、知識とは比例しないことを認識しなければなりません。
何故、早期の自主性教育がいけないかと言えば、子供が勉強以外に遊びなど身体を使った生活の中で判断力(自主性)を陶冶する環境にあればまだしも、受験などを第一目標にした生活の中で、殆ど頭だけの自主性の概念ばかり植えつけられていると言うことです。
結果、成人してからの彼らの判断力の根拠として、始原的な生活感から遊離した論理の世界で判断をすることになるのです。
そういう階層が、改まって何かを判断する場合、まずは周辺の情報を探ることから始め、それに頼り切ってしまうのです。
ヘレニズムの衆愚は、人間そのものの頽廃でした。
現代人はそれほど思い上がっているとは思いません。
それなのに、この衆愚は如何なものか。
その理由の一つには、日本人の民族性が挙げられる。
個人の権利意識が強い欧米の民族は、置かれた環境がどのようであれ。まず己自身の権利を主張する。社会のルールはその次にある。
我が国ではどうかと言うと、民主主義の中で個性を尊重すると言いながらも「大和こころ」なるものが、それでも残っていて、個人の主張よりも社会正義のほうへ思いを寄せる性癖が強い。
共生のためには、そのことは好ましいのではあるが、あにはからん、社会正義の判断に失敗するのである。
そんなことなら、なまじ自主性教育など受けなくて、生まれたままの欲望をぶつける方が、よほど判断に間違いがないことになる。
もはや我が国は立派な衆愚政治の時代と断言できる。
それでは、衆愚と言う、使いたくない言葉に目をそむけず、皆が「衆愚とは何か」と問い詰める必要がある。
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