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2010.07.23 08:45
中曽根康弘の目が黒いうちに「大勲位」の権威を失墜させよ
私は、70年代末から80年代初頭にかけて、政治への関心が旺盛だったものの、思い描く方向に政治が進むどころか、その逆方向に進んでいくのに失望して、1984年頃から次第に不活性化していった人間である。
途中、90年代末から2000年にかけて、当時全盛を極めていた「グローバル・スタンダード」に対する対抗言論が勃興し始めた頃、政治への関心を取り戻した時期があったが、私の全く好まない小泉純一郎政権が異様な人気を博したのを見て、再び「世捨て人」的なスタンスに戻ってしまった。その小泉がついに自滅するかと期待し興奮した2005年の「郵政総選挙」では、解散当時誰もが予想した自民党の下野が起きるどころか、逆に、小泉自民党の圧勝を許してしまった。これはとんでもないことになると、危機感を本格的に強めたが、それでもものぐさな性格ゆえ、翌2006年4月になってようやくブログを開設した次第である。
私の手元には、小野善康著『景気と経済対策』(岩波新書、1998年)(http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/4/4305760.html)がある。見ると、レシートがはさまっていて、2000年1月4日の日付が感熱紙に印刷されている。つまり、コイズミが異常人気を博して私が政治に失望する前の年の新年早々に買ったのだった。同じ日、私はナベツネ(渡邉恒雄)の論説をまとめた『ポピュリズム批判』(博文館新社、1999年)(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E6%89%B9%E5%88%A4%E2%80%95%E7%9B%B4%E8%BF%9115%E5%B9%B4%E5%85%A8%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0-%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E6%81%92%E9%9B%84/dp/4891779810) を購入したことを覚えているが、これは「敵」が書いた本として読んだ。一方、小野善康氏の本は、考え方の指針を得ようと思って買ったのだった。もっとも、ナベツネの著書と同じ日に小野氏の著書を買っていたことは、本にはさんでいたレシートに昨日気づくまですっかり忘れていた。
この本については、当ブログの一昨年(2008年)10月3日付エントリ「ようやく『脱コイズミカイカク』を打ち出した毎日新聞の社説」(http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-751.html)で取り上げたが、この本で小野氏は、不況期にこそ財政出動をせよ、不況期の財政赤字は余剰資源の有効活用ができるからかえって好ましい、不況期に必要なのは、政府が民間では吸収し得ない余剰労働力を積極的に使って、意味のある公共財を供給することである、国債発行は将来世代の負担になるというが、この議論自体にも多くの誤りがあり、特に不況期には負担にならないなどと主張している。
さらに小野氏は、「官から民へ」というスローガン(中曽根以来の新自由主義政権が使い続けた)を痛烈に批判する。以下引用する。
不況期には、「官から民へ」といわれ、官が介入せずに、自由に民間活力に任せよといわれる。しかし、需要が不足し、民間に活力が生まれないからこそ不況になったのであり、ただ民間活力を使えといっても使いようがない。そのため、余っている貴重な生産資源を有効活用するには、官が介入せざるを得ないのである。そのとき、官から民へと騒げば、官は何もしないことになり、失業が放置されてかえって無駄が発生する。
(小野善康 『景気と経済政策』 (岩波新書、1998年) 195頁)
「政府の借金」と「国の借金」を混同するな、国債発行によって財政赤字が累積することは、政府部門の民間に対する負債がたまっていることを意味するのだ(前掲書84頁)と、菅直人首相のブレーンたる小野氏は言っているのだが、菅首相は惨敗した参院選に向けた演説で、「日本をギリシャにしていいんですか」と有権者を脅した。こりゃダメだ、参院選では負けるだけ負けろ、と私は匙を投げた。
本来の小野理論では、不況期に景気を刺激するためには、「需要側」の考え方に立って、働くインセンティブよりも使うインセンティブを促進する方が重要だ、不況期には供給が過剰なのだから、高給取りのやる気を削ぐ最高税率の引き上げなどをやって、高給取りにはむしろやる気をなくして余暇をとってもらい、お金を使ってもらった方が良い、逆に好況期には(供給が足りなくなるから)最高税率を下げて高給取りの働くインセンティブを促進すればよい、とされている(前掲書113〜116頁)。先月、読売新聞が課税最低所得の引き下げによる課税対象の拡大を行えと社説で主張したが、これにも小野氏は「低所得者から高所得者に対して、所得の再分配が行われる」と批判している(同114頁)。小野氏は「需要側」に立つケインジアンであり、読売新聞、というよりナベツネは、「供給側」に立つ新自由主義者なのである。ただ、社会正義の観点から再分配を推進せよというのではなく、景気を制御するために、「不況期には」累進性強化を行うという処方箋を提示する点が、小野氏が高福祉高負担の社会を目指す神野直彦氏と異なるところだ。
小野氏で批判されるべきは、最近のテレビ番組出演などで、「政府が雇用を創出するための財源としては所得税と消費税のどちらがよいか」と聞かれた時に、「所得税が望ましいが、消費税でも良い」と答えて、菅首相の消費税増税政策を後押ししたことだろう。実際に「日本をギリシャにするな」と叫ぶ菅首相が消費税の増税分を何に使おうとしているかは明らかだが、少なくとも「需要側の経済学」の視点から「供給側の経済学」一辺倒の自民党政府(当時)の政策(やマスコミの論調)を批判した、もともとの小野理論には見るべきものがあると思う。
問題はやはり菅首相自身にあって、ケインジアンのブレーンの思想をつまみ食いしながら、菅首相の周囲を固めている新自由主義者(民主党議員、官僚、財界人など)の気に入るような政策に換骨奪胎してしまう。最初に余分な期待を抱かせるだけ、ゴリゴリの新自由主義者よりたちが悪いと思えるほどだ。
ここ最近でいちばん失望させられたのは、菅首相が伸子夫人に対して、「中曽根康弘元首相の政権運営を参考に『本気でやり遂げたいのは、財政再建の糸口をつかむことだ』と決意していると明らかにした」らしいことだ。
このことを私は、「枝野は金持ち増税論者。小沢の方が新自由主義?+小沢との面会+菅夫人が本出版」(http://mewrun7.exblog.jp/12981620)と題された、『日本がアブナイ!』の記事で知ったのだが、菅伸子氏の著書に書かれていることらしい。
これを読んだら小野善康氏はがっくりと肩を落とすのではないかと思った。『景気と経済対策』で小野氏が批判しているのは、中曽根康弘が実行に移した、「供給側の経済学」に立脚した経済政策だったはずだからだ。
中曽根康弘に関する包括的な批判としては、『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事「開発独裁強化とアメリカ従属深化を確定させた中曽根康弘さんの大罪」(http://hiroseto.exblog.jp/12986002)(7月22日付)と、同記事からリンクされている、同じ著者(さとうしゅういち氏)による『JanJan』掲載の記事「『民主勝利なら大混乱』と中曽根康弘さんに言われたくない ─ 彼こそが現在の格差と貧困を生み出したネオコン政治の源流である」(2009年7月6日付)(http://www.news.janjan.jp/government/0907/0907036246/1.php)をご一読されることを、読者の皆さまにおすすめする。
中道左派を出発点とした総理大臣に、「中曽根康弘元首相の政権運営を参考にする」と言わせるほど中曽根康弘の権威は絶大だし、マスコミ界ではナベツネの主張には誰も逆らえない。それではいけないのだ。
幸い、中曽根康弘も渡邉恒雄も健在だ。つまり、彼らが生きているうちに、彼らにレッドカードを突きつけ、これまでの人生において彼らが犯した誤りを反省してもらうチャンスは残っている。
中曽根康弘の目が黒いうちに「大勲位」の権威を失墜させよ。そうすれば、中曽根康弘はこれまでの人生を虚心坦懐に振り返る機会を得て、大往生を遂げることができるのではなかろうか。ナベツネについても同様である。
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