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『鈴木邦男をぶっとばせ!』2010/07/19、「日本的〈美学〉があったね、昔は」より抜粋して転載します。
原文はかなり長いので、全部読みたい場合は、下記URLよりご覧下さい。
(以下転載)
日本的〈美学〉があったね、昔は
@かつては全共闘にも美学があった
学生時代は、「いい敵」がいた。全共闘だ。我々、右翼学生は少数派だから、いつも全共闘に論破され、殴られ、ボコボコにされていた。でも、卑劣なことはしなかった。例え、乱闘になっても、堂々と闘った。「弱い者いじめ」はしなかった。僕ら右翼学生は巨大な敵・全共闘と毎日、闘っていた。全共闘だって僕らのことを「弱い者」と思わない。「弱い者いじめ」ではない。「敵」として正当に認め、全力で潰しに来た。
もう40年も昔だ。今となっては、懐かしい思い出だ。清々しい闘いだった。だから今、会っても、「やあやあ」「懐かしいね」と会うことが出来る。40年前の良き時代の、「いい敵」とは今、話し合えるし、左右を超えて、同じ〈時代〉を闘った「戦友」のような気がする。
(中略)
40年前の、乱闘に明け暮れていた時代を考えると、今、どんな事があっても動揺しない。保守派グループに、「北朝鮮に帰れ!」と言われても、ハンドマイクで殴られても、何とも思わない。どんどんやってくれよ、と思う位だ。学生時代は、こんなもんじゃなかったぞ、と思っている。
それにしても、最近は「いい敵」がいない。こんな形で闘うなんて、自分も不幸だと思う。昔の「敵」が恋しい。再生してくれよ!と思う。全共闘は卑劣なことはしなかった、と言った。卑劣な手段を取ってまで勝とうと思わなかった。「手段」「方法」も、重要だ。それを人々は見ている。
たとえば、成田闘争だ。開港を阻止するのなら、国民に空港を利用させなければいい。そのための一番「効率のいい事」はスカイライナーを爆破することだ。成田にはそれしかアクセス手段はない。怖がって、国民はもう乗らない。成田にも行かない。
しかし、全共闘はそんな卑劣な「手段」を取らなかった。それだけは「禁じ手」だ。禁じ手を使ってまで闘争に勝利しようと思わなかった。少々過激で、荒っぽくても、でも国民に支持される「手段」を選んだのだ。
もっと前なら、60年安保の時の、ハガチー阻止闘争だ。当時のニュースを見ると、ハガチーの車はデモに完全に囲まれている。全く進めない。そのうち、学生たちは車の上に乗ったり、車を揺さぶったりする。窓ガラスも割れた。だったら、中にいるハガチーを引きずり出し、ボコボコに出来た。殺すことだって出来た。でもやらない。そこまでやったら「オワリ」だ。あれだけ「群衆心理」で狂気になっているのに、やらなかった。そんなことまでやって「勝利」したくなかったのだ。
A今は効率万能主義だ
その点、最近の保守市民運動の暴走は酷い。「反日」映画を潰す為なら、「手段」を選ばない。弱い映画館に押しかけて攻撃する。映画館の支配人の家に行って、何の関係もない年老いたお母さんを脅す。これは、「禁じ手」だ。ここまでやったら「オワリ」だ。闘いに〈美学〉がない。何でも勝てばいいのか。
嫌がらせの電話やFAX、メールを集中させて、脅す。それで、3つの映画館は恐怖にかられて、上映中止した。「我々の勝利だ!」と狂喜している。しかし、こんな汚い手を使って、脅して、それが「勝利」なのか。美しくない。空しくないか。
単なる、嫌がらせ、単なる妨害だ。それなのに「日の丸」の旗や「旭日旗」を持って行く。旗だって迷惑している。「日本人の闘いはこんな卑劣ではなかった。堂々としていた」と嘆いている。「日の丸」が泣いている。その泣き声を私は聞いた。
正しいことなら、1人でやればいい。一千万人といえども我行かんで、闘えばいい。それなのに、数を集め、衆を頼んで、圧力をかけ、恐怖を与えて、上映を阻止しようとする。日本人の闘いではない。左翼の全共闘や全学連の方が、ずっと「日本的」だった。闘いに、「日本的美学」があった。
「氷雪の門」7/17より公開殴られたから文句を言ってるのではない。あんなことは、いくらでもあった。全共闘と闘った時は、もっともっと酷かった。こっちもやった。でも、それで警察に訴えたことはないし、警察に守ってもらうこともなかった。「殴った。それがどうした」と思っていた。
今の保守市民運動も、「反日分子だから殴った。当然だ」と言ったらいい。それなのに、「やってない。鈴木が勝手に突っ込んで来て、ハンドマイクにぶつかったんだ」と弁解している。見苦しい。こんな連中と闘っていたのかと思うと、自分まで恥ずかしくなる。
40年前、全共闘と闘ったのは、自分の〈誇り〉だ。しかし、最近の闘いは、自分の〈恥〉だ。悔いている。
私も愚かだったと反省している。今まで、どんなに考えの違う人とも、話し合って来た。考えが違い、反対だからこそ、かえって興味を持ち、話を聞きたいと思った。それは「飲み会」の席もあったし、雑誌の「対談」もあったし、テレビの「激論」番組もあった。対決しても、とてもかなわないと思ったことも多かった。しかし、一つも断ったことはない。負けてる方が多いだろう。しかし、その中で、多くの友人・知人を得た。それが私の財産だと思う。
話し合い、対談、対決を拒否したことは一度もない。私の人生の中で、それだけは唯一誇れると思う。「愛国者」と自負したことはないが、それが日本人の美学だと思った。いや、人間として、当然のことだと思った。
「こんな左翼と話せるか」「こんな悪党と対談できるか」と言って、断ったことは一度もない。ましてや、「反日!」「売国奴!」というレッテルを相手に貼って、「逃げた」こともない。逆に、レッテルを貼られて、追い返されたことは多い。対談を拒否されたことも多い。「こんな右翼とは対談できない」「天皇主義者とは同席できない」と、対談、座談会を断られたことは無数にある。心の狭い人だと思った。悲しかった。
B政党にも、警察にも頼らなかったよ
昔は、「言論の場」が全くなかった。今もないが、作ろうとは努力している。どんな人とも話し合いたいと思っている。どんなに反対の運動をしている人とも「言論の場」で闘い、そのことによって、彼らの運動を「美しく」しようと思っている。
「いらぬ世話だ!」と言われるかもしれないが、勿体ないだろう。単なる嫌がらせ、妨害と思われては。その「思い」「思想」を伝えられるように努力しようと思った。そして、少しはやれたと思った。
赤軍派や、日本赤軍、連合赤軍、オウムなど、「敵」だった人々と、知り合いになったし、「友人」になった。これは自分の歴史の中で大きかったと思う。「ただ、左翼にすり寄っただけじゃないか」と言う人もいる。まあ、何と言われてもいい。
だから、今回も、必死で努力した。ただ、言っておきたいが、「言論の場」に引きずり出して、騙し討ちにしたことはない。「話し合おう!」と呼びかけると、「鈴木の挑発に乗るな!」と言う。でも、「2時間のうち90%以上をそちらに喋ってもらう」「そちらは何人でもいい。こっちは自分1人でいい」と、あらゆる条件を呑んで、話し合おうとしたがダメだった。
「ニコニコ動画」でも出てくれなかった。ロフトにも出てくれなかった。又、チャンネル桜でも、ダメだった。
(中略)
C自立自尊の精神がなくなった!
「学生運動の時代」が終わってからも、この姿勢は変わらなかった。かつての活動家は、マスコミや労働組合や、市民運動に散っていった。そこでも、「政治家、なにするものぞ」「政治家に頼らない」という気概があった。
たとえば、元気のよかった雑誌、週刊誌、テレビ番組でも、そうだった。『朝日ジャーナル』『現代の眼』『流動』『情況』…と変革的・革新的雑誌のどれもが、在野の思想家・運動家に書かせていた。決して政治家などは出て来ない。
「朝まで生テレビ」や、あるいは、大阪、名古屋でもあった激論番組でも、政治家なんて出なかった。「政治にすり寄るのは邪道」だと思っていたのだ。「権力にすがる」あるいは、「権力に頼ろうとする」ことが「美しくない」と思われていたのだ。これも、「日本的美意識」かもしれない。
「朝生」の初期は、数々のタブーに挑戦していった。「差別問題」「天皇問題」「原発」「右翼」…と。そのどれもが、政治家は出ていない。「政治家に頼るもんか」という気概があった。政治家に頼み、法律を作ってもらい、それで「人民をコントロールする」という発想に、嫌悪感を持っていたのだ。拒否していたのだ。やるのなら、我々の力でやろう、そう思っていたのだ。雑誌も、テレビも、討論番組も、「政治家お断り」だった。
ところがいつからか、どこの番組も、政治家ばかりになった。左の運動もなくなり、右も弱くなったからか、「俺たちが政治を変えるのだ!」という気概を持った人々がいなくなったからだろう。これは悲しむべきことだ。
そして今、人々は、政治家にだけ、頼っている。「政治が変わらないと何も出来ない」と思っている。情けない。そして、「この党こそは」「この人こそは」と空しい夢を見、数ヶ月後には裏切られ。そして、又、新しい「夢」を見ようとする。そんなに政治に頼ることはやめよう。自分で変えることを考えるべきだ。そう思うが、違うだろうか。
我々の国と生活の全てを政治家だけに預けてしまっていいのか。彼らにだけ頼ってていいのか。政治が変わらなければ、何も出来ないのか。そんなことはないはずだ。
40年前、変革に燃える左右の学生達は、誰も政治家なんかに頼らなかった。「オレたちがこの世の中を変える。政治家は後からついて来い!」と思っていた。その気概が今、必要ではないのだろうか。
(転載終了)
『鈴木邦男をぶっとばせ!』
http://kunyon.com/index.html
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※鈴木 邦男(すずき くにお、1943年8月2日 - )は、日本の政治活動家、新右翼団体「一水会」最高顧問、プロレス評論家、予備校講師。
また、格闘家としては、合気道三段。(いわゆる富木流)合気道から柔道に進み、柔道も三段。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%82%A6%E7%94%B7
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