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2010年7月16日 (金)
東京第一検察審査会 小沢氏不起訴不当議決。その背後にある闇にもっと目を凝らせ。
検察審査会という制度自体にある欠陥をもっと恐れよ。
検察審査会のHPを見てみると2009年に起訴相当議決が11件、不起訴不相当議決が113件出ている。しかし、どのような事件に対し、誰が審査を申し立て、結果どのような結論に至ったかは全く不明である。メディアが注目する事件についてのみ議決要旨が明らかにされ、あとは一切闇のなかである。
新たな冤罪が生まれているのかどうかも、一般国民は知る術もない。
審査申し立ては告訴、告発した人のみならず、「犯罪により害を被った者」(検察審査会法第二条2)も申し立てができる。
例えば、自分が全く関与していない事件の容疑で警察に引っ張られ、連日の長時間に及ぶ取調べで自白調書に署名をしてしまう。ここで、マスコミは警察リークの犯人視報道で被疑者の社会的生命を抹殺する。
しかし、警察はどうしても犯罪を立証する他の直接証拠を見つけることができない。検察は嫌疑不十分で不起訴処分とする。本人は嫌疑が晴れ、失った社会的信用を取り戻そうと活動を始めた矢先、犯罪被害者から検察審査会へ審査の申し立てがされ、受理される。
抽選で選ばれた、たった11人の「善良な市民」が完全な密室のなかで審査を行う。そこで行われていることは誰も知ることができない。憲法で保障されているはずの不利益処分に対する当事者への「告知と聴聞」も行われることは無い。
不起訴不相当議決が出れば、検察は再捜査を行う。またやってもいないことについての聴取やガサ入れが行われる。検察は、今度は、自白調書のみで起訴する。被疑者は被告人となり完璧に社会的生命が抹殺される。
国選弁護人は全くやる気が無く、情状酌量で執行猶予を取りにゆく。仮に執行猶予がついてとしても、その記録はいろいろなところに出回り、仕事も無く、賃貸アパートも借りることができず、路上に放逐される。
マスコミ報道は検察審査会自体の欠陥については一切報じない。
検察審査会法第一条 で 「公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため」と謳いながらも、「検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項」にのみ民意を反映させてやるが、検察官の「起訴すべきではないのに起訴をする」という処分については「民意」は一切手を出させないという不当性を指摘する声はない。これほど冤罪が多発し、捜査の不当性が暴かれているにも関らずだ。捜査の可視化も全く進まない状況下、この全くの片手落ちの制度が極当たり前のこととしてまかり通る。
しかも、この審査は全くの密室で行われる。憲法で保障されているはずの不利益処分に対する当事者への「告知と聴聞」も行われることは無い。憲法違反の可能性が高い制度であることも誰も問題にはしない。
そして、どんな議決がされているのかも一般市民は知る由も無い。有名事件の議決要旨を報道で知ることができるだけだ。
その議決要旨を見ると、今までの刑事司法での枠組みを「善良な市民が」軽々とぶち壊し、不当に犯罪事実の拡張を図っていることがわずかに垣間見える。
刑法にも規定されていない「共謀共同正犯」。それ故、裁判所は共謀の事実の「厳格な証明」を求めることにより、かろうじて判例法理として成立させてきた。スワット事件で、「厳格な証明」を「黙示的意思連絡があれば足りる」ということに不当に拡張したが、この法理適用は反社会的勢力、ヤクザの親分に限定するということで、ここでもかろうじて法理として認められた。
小沢氏の起訴相当議決では上記法理が一緒くたにされ「誰もが、共謀の事実を厳格に証明しなくても」「共謀共同正犯」は成立するという破壊的な法理を創り出した。意外なところで「共謀罪」が復活したのである。罪刑法定主義、刑罰の謙抑性など、公権力が恣意的に国民を弾圧する手段として刑罰を行使してきた長い歴史の反省に立って磨き上げられてきた、刑事司法の原則が、抽選で選ばれたたった11名の匿名の「善良な市民」によって粉々に打ち砕かれた。(詳細は当ブログ5月26日 5月27日のエントリーをご参照ください)
刑法学者や憲法学者や法曹が色をなしてこれに続々と抗議をしたという報道は無い。
そしてこのような欠陥制度のむちゃくちゃな運用により、小沢氏という国民から選ばれた政治家の手足が縛られている。
小沢氏が良い、悪い以前に、こんな酷い制度で政治家が拘束されること、民主主義の破壊を許していることを問題にしているのはごく一部の人々、大部分の人々にとっては検察審査会制度はすでに所与の前提となっている。自分がいつその罠に嵌るのかという危険には無頓着に。
小沢氏の今回の不起訴不当議決でも同じ報道が繰り返される。そして、不気味な沈黙を保つ民主党執行部、閣僚の面々は9月の代表選後に先延ばしされそうな第五検察審査会の2回目の議決にほくそ笑む。落選議員の千葉を法相に留任させた効果を噛み締めているのだろう。
起訴相当の議決が拘束力を持ったのは、もっぱら小沢氏の政治生命暗殺のためであるという陰謀論も、この検察審査会の制度欠陥、それを所与の前提としているマスコミを見ていると、あながち間違いではないと思えてくる。それほど酷い。
今日の朝日の社説を見てみると良い。市民の感覚を騙る検察という権力の恐怖に対する批判など微塵もない。治安維持法下、特高警察と隣組の「善良な市民」が同衾してどれほどの悲劇が生まれたかという、歴史への眼差しの片鱗さえない。
そして、予算案の策定は粛々と行われ、国民生活の破壊は今この時点でも進行し、絶望した多くの人々が自ら命を絶っている。
2010年7月16日 (金)
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