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参院選の勝者は誰? 実は官僚・検察・マスコミとあの国だった(いかりや爆氏の毒独日記) 2010-07-14 21:41:36
昨年8月30日の衆院選の結果は、植草氏によれば『日本の歴史上、初めて「民衆の力による無血革命」』が成就したのであると評価していた。
私は戦後のアメリカ支配からの脱却への一歩が始まるという高揚した気分があった。しかし、鳩山前首相の突然の辞任と共にその思いはガラガラと崩れてしまった。
そして後任の菅首相は、こともあろうに昨年夏の衆院選の最大の功労者を「しばらく静かにしていただきたい」と冷たくあしらった。
今回の参院選の勝利者は誰だろうか、自民党は38→51議席、公明11→9議席、みんなの党は10議席獲得した。民主党が敗北したことは明らかだが、自民党が過半数を獲得したわけでもない、勿論「みんなの党」が政権を握ったわけでもない。党派別にみれば、どの党も勝利を治めたわけではない。
実は、勝利したのは「官僚・あの検察とそれに同調したマスコミだった、そして背後にいたあの国だった」、検察は「してやったり」と笑いを噛み殺しているに違いない。この見方は、うがち過ぎだろうか。
そもそも今回の民主の敗北は、昨年3月3日の小沢氏秘書大久保隆規氏が逮捕されたことに始まった。この一年余りの間、小沢氏は民主党代表を降り、幹事長も辞任して遂に一兵卒になってしまった。挙句の果てに菅新首相に「小沢さんはしばらく静かにしていただきたい」と言われる始末である。
事の始まりとなった昨年3月の大久保秘書の逮捕は、殺人事件のような具体的事件が発生していたわけではない。無論、具体的な被害者がいたわけでもない、具体的証拠があったわけではない。検察側の単なる推測もしくは憶測による恣意的な逮捕であった。
検察が警察と違うところは、「検察は、そこに犯罪ありと思料すれば、裁判所の形式的な手続きを踏むだけで、具体的な証拠がなくても誰でも逮捕できる」、つまり司法当局がグルになればどんな取調べも可能な状況を創り出せる、それが冤罪を生みやすい、そうではなくともその人の人格を傷つけ評判を貶めることが可能になる。
今の検察は、表は正義面(ずら)しているかにみえるが、少なくとも一連の小沢秘書逮捕を巡る検察の捜査は「主権は国民にあり」とする民主主義の規範に反している。
民主主義の基本は国民主権であり、たとえ検察と言えども、予断に基づく捜査は許されるべきではない。しかしそれが現実には、まかり通っているのが今の日本の司法(検察)である。鈴木宗男氏によれば「(検察に)狙われたら誰でもやられる 」というのが現実である。
はっきり言えば検察の小沢氏に関連する一連の捜査は明らかに検察の政治への介入であり、間違っている。昨年3月3日の大久保秘書逮捕で、一時国策捜査ではないかと疑われた。政府は彼の逮捕が正当なものかどうか「具体的な証拠は何か、逮捕根拠を明らかにするよう」検察に説明責任を求めるべきであった。結局、司法への介入などと非難されることを恐れて鳩山首相が一歩も二歩も引いたがために、非人道的且つ反民主的捜査がまかり通った。
司法の独立性の乱用を許せば、官僚(検察)がこの国を支配することになり、日本は民主主義国家とは言えなくなる。
小沢氏の言う「日本に民主主義を定着させたい」という彼の本音は、官僚(検察)改革ということだったに違いないが、今回の民主党の敗北で遠のいた。また当面の9月の民主党代表選挙を前にして、民意という検察審査会の判断(障害)が待ち構えている。
検察審査会11人の民意が何十万人かの選挙によって選ばれた小沢氏への民意が弄ばれる。民主主義の規範からすれば、検察審査会の11人の民意は政治家に対する事件にはなじまないと思うがどうだろうか。一体誰が何の目的で検察審査会の民意を政治家にまで適用するようにしたのだろうか。
一方のマスコミも本来の仕事は、権力(検察)に対する批判と社会の木鐸であることを放棄し、それどころか検察とねんごろになって「根拠なき政治と金」で小沢氏を徹底的に貶めた。彼ら自身が持つ「官僚機密費」という毒饅頭問題には一切触れることなく、勿論懺悔も反省もなし・・・。
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