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ベーシックインカムを導入しないという選択は、
逆ピラミッドの上部に位置する大量の高齢者に
少数の若者が搾り取られるだけの社会になります。
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ベーシックインカムと普遍的な所得保障
岡部 耕典/早稲田大学文学学術院准教授 博士(社会福祉学)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/gover-eco_100712.htm
ベーシックインカム(Basic Income:BI)とは、すなわち「無条件・一律・継続・個人単位の所得保障(現金給付)」のことである。「基本所得」「基本配当」などの訳語もあるが、現在ではこのカタカナ語が一番流通している。マスコミや新党日本のマニフェストに取り上げられたことでこの言葉を知った人も多いと思う。
このベーシックインカムを社会保障の新たなアイディアとするとき、その最も魅力的かつ批判も大きいのが「無条件の現金給付」であるというところである。現在の日本の社会保障制度で無条件の現金給付は存在しない。たとえば、国民年金は「個人単位の継続的な現金給付」ではあるが、年齢と年金保険料の支払いが受給要件となるし、生活保護の受給に至っては厳しいミーンズテスト(資産調査)が課せられる。また、いわゆる社会手当には障害や母子/父子などの受給要件があり、加えて多くの場合世帯単位の所得制限がある。所得制限がないことで賛否両論のあった子ども手当も中学生以下限定なので、「だれにでも無条件に」というわけではない。
「無条件・一律・個人単位の現金給付」という点でベーシックインカムに最も近いのはかつての(悪名高き)定額給付金だろう。しかし大きく異なるのは、定額給付金が景気対策を目的とする一回限りのものであるのに対し、ベーシックインカムは継続して給付される所得保障であり、毎月5万円〜8万円〜15万円以上までと論者によりある程度異なるが想定する給付額もはるかに多いところである。
ベーシックインカムに関心をもつヨーロッパの研究者・活動家たちがBIEN(Basic Income European Network:現在ではBasic Income Earth Networkと改名)を結成したのは1986年であり、その議論や運動には長い歴史がある。日本では2000年代半ば以降急速に注目を集めるようになったが、その背景としてグローバリズムの進展のなかで急速に拡大してきた格差と非正規雇用の顕在化を見逃すことはできない。ワーキングプアが常態化するなかで、障害・高齢・生活保護などの対象を限定した選別的な所得保障ではカバーできない人々をも対象とし得る普遍的な所得保障システムに関心が集まるのは、ある意味でごく自然の成り行きかもしれない。
ただし、近年の関心の高まりに対して社会保障や労働経済学の専門家の多くは「思考実験として理解は示すが、現実の制度化には距離を置く」というスタンスである。つまり、「行き過ぎた格差社会は問題であるが、すべての国民に相当額のベーシックインカムを提供するためには膨大な給付財源の確保が必要であり非現実的である。また、無条件の所得保障は福祉への依存を高める懸念が高い。ゆえに問題の解決は、期限付きの現金給付に職業訓練を義務付けるワークフェアやアクティベーション(*)により行うべきである」というのが最大公約数的な見解といえるだろう。
また、貧困問題に取り組んできた社会活動家たちや自らの所得保障問題に取り組んできた障害当事者たちの多くもベーシックインカムには懐疑的である。その背景にあるのは、金持ちにも働ける者にも「無条件の給付」を行うのかという感情的な反発というよりも、真に対応が必要な「貧困問題」から目が逸らされ、生活保護や社会手当などの既存の選別的な所得保障制度が普遍的所得保障によって代替/縮小されてしまうのではないか、という警戒感のほうがより強くあるように思う。
一方で、マクロの政策状況では、年金保険というシステムと家族と企業というフレームに依拠してきたこれまでの日本の社会保障の基礎構造が大きな転換期を迎え、新たな所得再分配の構想と施策に対する期待がかつてない高まりを見せている。紆余曲折はありつつも所得制限のない一律の子ども手当が実現し、高齢者に対する最低保障年金も参議院選の民主党マニフェストに残ったことなどにもそれは現れている。しかし、注意しなくてはならないのは、「失われた10年」が生んだロスジェネ世代はまたしてもその枠組みから取り残されている、ということである。現在のベーシックインカムを求める議論の高まりを社会保障における「〈非〉既得権益者」の言挙げとして確認しておく必要がある。
消費税か所得税・相続税か、はたまた企業減税を許すべきかということもあるが、そもそも財源確保が必要という「社会保障」の範囲が暗黙のうちに高齢者中心の年金・医療・介護の範囲に限定されていることの是非はほとんど議論されてはこなかった。給付付き税額控除導入の議論が急浮上したのも消費税率アップのための「対策」に過ぎず、少なくとも現在のところでは「ワーキングプア層を含めた普遍的な所得保障」という視点は欠如している。
このような時代背景において、福祉国家の閉塞を超え「(再)分配する最小国家」と「自由の平等」を実現する手掛かりとなることがベーシックインカムに期待された使命であると思う。現在の子ども手当や最低保障年金、給付付き税額控除を巡る議論はそのための試金石であり意味前哨戦ではないだろうか。また、生活保護や障害年金等の現存する選別的な所得保障の縮減を食い止めなくては、普遍的な所得保障もまたその足掛かりを失うことは確実である。意義ある「思考実験」は現実的な「運動」の延長にあり、その逆もまた真だろう。
(*)ワークフェア(workfare)とアクティベーション(activation)
どちらも社会保障と労働を結びつける社会政策の考え方であるが、ワークフェアが 勤労を条件として公的扶助を行うべきであるとするのに対して、アクティベーションは保育所や職業訓練などの公的サービスを通じて就労を支えようとするもの。
参考
「関係性構築の消費/自由を担保する所得」のページ
岡部 耕典(おかべ・こうすけ)/早稲田大学文学学術院准教授 博士(社会福祉学)
【略歴】
東京大学文学部社会学科卒業、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。専門は、社会福祉学、福祉社会学。ディスアビリティ・スタディーズ。パーソナルアシスタンス、ダイレクトペイメントなど、人と社会の関係の閉塞をひらく「新たな福祉のかたち」に関心がある。障がい者制度改革推進会議総合福祉部会構成員。知的障害/自閉の子どもの父。
主要著書として、『障害者自立支援法とケアの自律 ―パーソナルアシスタンスとダイレクトペイメント』(2006年、明石書店)、『ポスト障害者自立支援法の福祉政策 ―知的障害者の自立支援―』(近刊、明石書店)、『良い支援?―知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援』(2008年、生活書院、共著)、『ケア その思想と実践3 ケアされること』(2008年、岩波書店、共著)、『概説 障害者の権利条約』(2010年、法律文化社、共著)など。
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