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苦さ加減」の選択を受け入れよ佐々木 毅 政権運営能力の劣化、リーダー不在、財政危機……
http://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/490.html
投稿者 gikou89 日時 2010 年 7 月 13 日 12:19:16: xbuVR8gI6Txyk
 

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100712-00000303-chuokou-pol

政権運営能力の劣化、リーダー不在、財政危機……
「苦さ加減」の選択を受け入れよ(その1)=佐々木 毅
 
相次ぐ首相交代と「悪さ加減」の選択

 昨年八月の衆議院選挙で四八〇議席のうち、民主党が三〇〇を上回る議席を獲得して、社民党と国民新党との連立によって政権交代が実現した。九月に発足した鳩山政権は国民の大きな支持と期待によって迎えられたが、それからわずか八ヵ月後には退陣することになった。
 二〇〇七年以降、自民党の安倍、福田、麻生、そして今回の鳩山政権と、評価をする前に次々と退陣していくので、われわれがよいか悪いか判断する暇さえ、あるいは政権を味わう時間さえなかった。短期間にこれだけトップリーダーが交代するというのは異例の事態である。
 鳩山前首相は、自身と小沢前幹事長の政治とカネをめぐる問題によって国民の不信を招いたこと、沖縄の普天間基地移設問題と社民党の連立離脱が退陣の理由であると述べた。こうした直接的な理由だけでなく、この四年間の短期間による政権崩壊から見えてくるのは、政権運営能力の劣化である。
 民主党が政権交代にあたり掲げたのが「政治主導」だった。つまり、脱官僚主導ということだったが、実際、与党として政権運営をする段になってみると、はたしてその能力が備わっているのかが大きな問題として浮かび上がってきた。野党の経験しかないことが危惧されたが、残念ながら鳩山政権の八ヵ月間を見ると、その一部は的中したような結果になった。しかしながら、その一方で戦後長期にわたり政権の座にあった自民党も弱体化している。
 やはり政権運営能力あるいは統治能力と、選挙をするという活動は、同じ政治活動であっても異なる活動であって、異なる感性、異なる感覚が必要とされる領域である。だから、とにかく選挙をくり返し行えば、政治がよくなると考えるのはよろしくない。それは市場経済であれば何でもいいと考えるのとある意味同じことだ。
 国民・有権者にとってはどこを見ても、それほど期待感を膨らませる要因がなくなってきているといえるかもしれない。
 福沢諭吉はかつて論説で「万能の善政府」を求めるのではない。「本来政府の性は善ならずして、注意す可きは只その悪さ加減の如何に在る」と書いた(『時事新報』一八九三年九月二十日)。その言葉を丸山真男は講演「政治的判断」(一九五八年)で引きながら、政治的な選択とは「悪さ加減」の選択であると述べている。
 われわれは人生の局面において、ベストの選択ができるわけではなく、だいたい「悪さ加減」の選択をして生きている。だから、政治の世界にだけ「良さ加減」の選択を求めるというのはバランスを欠いた話でしかない。どうしても「悪さ加減」の選択ということにならざるをえない。
 六月に鳩山前首相が辞任を表明し、一緒に小沢前幹事長も辞任することになった。この民主党のトップ二人の辞任には、国民の両者に対する不信という世論の反映があるとも考えられる。毎年首相を代えるのはよくない。しかし、鳩山・小沢体制がそのまま続くこともよくない。世論の一番のベースには「悪さ加減」のより少ないほうを選択するという意思があったのではないか。おそらく、これは政策の中身というより、政権の姿について、国民のそうした気持ちが、最後になって表れた形になった。
 
高支持率の政権はいらない
 多くの国民は、昨年の政権交代から現在までの経験によって、新政権に対する過剰な期待感がそぎ落とされて、そこそこの水準で冷静に見極めようという意識になっていると思われる。
 ここ数ヵ月、国民は期待感の修正を続けてきているといってよい。そのスピードはかなり遅いけれども、耳に心地のよい話ばかりではないということが国民の意識に浸透しつつある。実際、政権が代わったところで、日本を取り巻く環境が変わったわけではなく、すばらしい話ばかりが次々に出てくるわけでもない。
 自民党と民主党に違いがあるとしても、国民が以前考えていたほどには大きくないことを、感覚的に理解してきている。もちろん、政策の細部を見ていけば違いはあるかもしれない。しかし、大同小異にすぎない。特にいま大きな課題である財政問題を見ればわかる。基本的には、社会保障をどうするか、国民に負担を求めるかといったような課題は、「ない袖は振れない」という世界の話であり、そこでは苦い選択をしなければならない。
 前述のように、福沢・丸山は「悪さ加減」の選択といったけれども、それを私流にいい換えれば、「苦さ加減」の選択である。政治における選択というのは、つねに苦いものである。ましてや統治の主体にとっては、「あれも、これも」ではなく「あれか、これか」であり、「何を切り捨て、何を実行するか」という苦い選択の連続なのだ。そういう意味で、政権を運営するということは苦いものであり、また国民にとって「苦さ」がそれなりに残るような形であっても、とにかく取り組まなければならない課題については取り組む、そういう姿勢が徐々に表れつつあると感じている。
 しかしながら、選挙が近づくと、どうしても「苦さ」ではなく「甘さ」が頭をもたげてきて、また有権者の期待を煽るようなことをいう者が現れ、期待感だけを高めてしまう。
 例えば、小泉内閣以降、発足時の内閣支持率が六〇%超ぐらいの高支持率のケースがあったが、あまりに高いのも過剰な期待の反映であり、実は不安定で危ない。もちろん、二〇%台ではどうしようもないが、不支持を上回っていれば、四〇%台であっても、一回でも二回でも多く予算編成ができる程度であればいいのではないか。あまり高い支持率の政権はいらない。
 
与党に求められる新たな転換 −−政治主導の実行を
 鳩山前首相から菅首相への交代劇は、ぎりぎり最後のトライアル、最後の実験であり、政権運営能力の有無が問われる非常にシリアスで、かつ後がないテストではないかと思って見ている。そういう意味では、鳩山政権の八ヵ月の経験は民主党にとって反省し、学ぶべき点が少なくない。
 野党だった政党が政権を握った場合、必然的に新たな転換が求められる。それまでは政権党に対して要求を主張していればよかったのが、立場が逆転し、自ら政策を実現しなければならなくなる。つまり、それまでやってきたことを延長すればいいという単純なものではなく、新しい感覚によって活動のあり方を組み立て直さなければならない段階に入ったということである。
 ところが、これが非常に難しい。多くの方が指摘しているように、マニフェストの内容はもちちん、その扱い方、あるいは政治主導の内実、党と政府の関係などさまざまな点で見直しの必要が生じる。
 民主党はこれまでの自民党政治を見直さなければならないということでやってきた。その気持ちはよくわかるが、ただ見直せばいいというものではない。しっかりと機能するようにしなければならない。どうすれば新しく機能する政権ができるかを、今後見せてもらわないといけない。
 自民党政治の見直しの大きな柱が、官主導から政治主導への転換である。では、政治主導とは何か。わかりやすくいえば、政治家が互いによく相談する体制である。つまり、出処進退をどうするかというときだけでなく、さまざまな場面で首相と幹事長は、政策についてよく相談する。あるいは、各閣僚と官房長官がよく相談する。つまり、いままで首相や幹事長、あるいは閣僚間の意見調整のかなりの部分を官僚に委ねてきたのを、政治家自身がよく相談をして、物事の具体的な方向づけを行っていくということだ。
 しかし、鳩山政権では、お互いに話し合った形跡があまりなかった、あるいは政務三役同士の関係に縦割り的な要素がなくなったようにはあまり思えないなどといった指摘もあり、つなぎ目が非常に弱かった。その点で、国家戦略局が設置できずに戦略室のままであるというのは、まさに重要な課題であるにもかかわらず、今回も法案が通らないかもしれない。
 さらに、党と政府の関係も機能分担だと思っていたら、機能分断になっていたというところもある。この点も修正すべきであることがはっきりした。
 では、これからどうするか。修正をどの程度できるのか。一種の政権運営の方式についてのガイドラインなり、常識なりをある程度共有する必要が出てくる。
 菅政権に代わって違うのは、幹事長と総理の連絡が取れていて、政策実現に向けて政権が動いていくという当たり前のことをやっていることだ。それが政治に安心感を与えることにつながる。また、閣内に政調会長を入れたが、その玄葉光一郎大臣が、政策の問題というよりも、政権運営の不具合の是正という点で、はたしてどのような機能を果たしてくれるのか興味深く見ている。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100712-00000304-chuokou-pol

政党はリーダーを守り、支えよ
 日本では戦後、長期政権の後はしばらく短命政権が続いている。吉田茂、佐藤栄作、中曾根康弘、そして小泉純一郎の後はみな短命政権だ。
 なぜこうなるのか、私にも合理的な説明はむずかしいが、ある種のリズムがあるのではないか。長期政権の後は、難しい課題や処理しなければならない課題が山積し、政権の寿命が非常に短くなる傾向がある。
 自民党時代の後半から、リーダーがある意味でスタミナ切れを起こすようになった。いままでは、首相は絶対に権力だけは手放さないと誰もが思っていた。しかし、体調不良その他、理由はさまざまで、スタミナ切れは個人の資質の問題であるという意見もあるけれども、同時にシステムの問題でもあり、表れ方が人によって違うだけではないか。
 ただ、近年その原因として注目すべきは次の点である。政党にはポテンシャリティ(潜在能力)として非常によい機能が含まれている。特に政治のプロがプロを評価するというセレクションの仕組みを内部にビルトインしていることが大きい。しかし、この仕組みが近年ほとんど機能しなくなっている。政治のプロたちが同僚に対する鑑識眼を失いつつあるということだ。
「選挙に勝てるかもしれない」という基準によって、一年しかもたないトップリーダー(総理)を相次いで選んでみたり、メディア露出の多い県知事を連れてくれば何とかなるだろうという話になったりしている。政党自体が自分たちの抱える人材に自信をもてなくなっていることが、外から見て、ありありとわかるということは、相当深刻な事態といわざるをえないのではないか。
 政党はまず選挙で勝てるか勝てないかではなく、自分たちの人材のセレクションにおいて、それなりの根拠に基づいて「これこそがわが党のトップである」という人物を選んで、国民・有権者の前に提示することが必要だろう。だが、自分たちの鑑識眼に対する自信のなさから、トップ選びの投票権を拡大したり、党内の民主化・開放を唱えてみたりしている。そのこと自体は必ずしも悪いとはいえないが、それだけでうまくいくのかといえば疑問である。そもそも総裁・代表選挙の候補者自体がどのように選ばれているかということも含めて、国民にはかなり見透かされているところもありはしないかと気づいてもいい。
 実際、こうしたことが二〇〇七年以降のイージーな首相交代とセットになっている。だから、少しでも世論調査で支持率が下がると、すぐに代えようとなる。ポピュリズム、あるいはある種の支持率政治の弊害という議論も、もちろん出てきている。
 しかしながら、支持率に波があるのは当然のことであり、それでも頑張れるというのが政党である。つまり、政党というのは個人ではなく組織だからこそ、トップを組織として守り、支えられる。そういう意味で、政党政治とは組織政治なのである。
 だから、組織として守るなら守る、支えるなら支えるということをやらないといけないが、その点があまりにも中途半端な状態になっている。
 例えば、支持率が五〇%から四〇%に下がったけれど、ここは何とか乗り切ろうという頑張りが利かないような状態になると、政党政治の意味があるのかという話になりかねない。
 
新党現象はあまり評価しない
 政党政治は組織政治であり、何百人もの所属議員が連帯責任を負う政治である。それには、その連帯責任を負うにふさわしいトップを選ばなければならないし、それにふさわしい政治をしなければならない。そういう意味で、現在は政治のガバナンス(統治能力)が弱体化している。政党自体を統治できない、あるいはうまく運営できないから、政権運営もうまくいかないのではないか。
 さらに政策面の課題が山積していることと、統治能力の弱体化は相互に連動しあっている。官僚の弊害をいいながらも、公務員制度改革はほとんど進んでいないし、国家戦略局も設置できずにいるが、戦略局ができれば、足元の課題の整理ができるという簡単な話でもない。
 しかし、衆院で三〇〇議席以上もっていながら、結局、何もできないのかという話にもなり、ましてや、国民にとってきわめて大事だと思われる経済の成長にかかわる施策にしても、ようやく案が出始めた段階だ。
 前政権は、どの課題から順番に片付けていくかについてプランがなかったように思える。だから、マニフェストにいろいろ盛り込んだけれども、どのように実行計画を練り直すのか、そこが非常に弱かったように、私には見受けられる。
 政策の優先順位をどうするか、財源をどうするか、経営でいえば、いわゆる事業計画が立てられていない。やはりリーダーに大きな組織を運営した経験がなく、ここ何代かの首相は主要閣僚の経験も少なく、トップのキャリアパスという問題も見えてくる。基本的にはトップリーダーの中に大局観が稀薄になっている。
 とにかく、一つの政権が頑張れば、野党も頑張る。これは与野党互いに影響する。一方がだらしないと、他方もだらしなくなる。だからこそ、現政権党にもしっかりしてもらわないといけないし、前政権党も頑張らないといけない。与野党の役割は時々代わったほうがいいとは思うが、それにしても双方とも水準が低い。継続性と協力関係によって、1+1=2以上にするという要素があってこそ、政党政治であるといえるけれども、現在、そのメリットが見えにくくなり、さまざまな批判もある。
 とはいえ、私個人は新党現象をあまり評価していない。政党というものが一晩でできるようなものになると、逆に一晩でなくなるものでしかなくなる。実際、今回の選挙では存在するが、次回の選挙のときにははたして存在するのかというレベルだ。そんな恐ろしい話をされたのでは政党政治がもつわけがない。
 ただ、いずれにしても新党を含めていろいろな動きが出てくるのは、この間、大きな変化があったということであり、当然といえば当然の結果であろうと思っている。
 
アジェンダを絞り込み、目測能力を高めよ
 いま日本は政治に限らず、ビジネスも国際競争において厳しい状況にあり、一定程度ペシミズムを受け入れざるをえないのは事実ではないかと考えている。つまり、何もかもがないというほどのペシミズムになる必要はないが、何かがあると思っていた水準が想定より大幅に低いということについて、日本全体として認識を共有する必要があるのではないか。
 二〇年前、日本の経済力は国際的にも大きく、日本人は経済力という竹馬に乗って、そこから世界を眺めていい気分になっていた。しかし、もはやそういう時代は終わった。リーダーが立つべき拠点がなくなってしまったのが、いまの日本であると思う。政治であれ経済であれ、リーダーとおぼしき層に、横並びで同じく衰弱が見られる。
 こういうとき、奇跡のように現れてくるリーダーはデマゴーグである可能性が高いから、待望はやめたほうがいい。期待値が異常に高いときに現れるのは、危なくてしょうがない。とにかく、しばらく我慢して、こつこつとリーダーを養成していくしかない。
 苦節十年といわないまでも、しばらくはリーダーに対して甘い態度をとることはないが、最大限のことではなく、「最低限これだけはやってくれ」と要求することで、政治としっかり付き合っていくというのが、一つの付き合い方である。そうすることによって、彼らの本当の力を試せばいい。
 あれもこれもではなくて、財政であれば財政、社会保障であれば社会保障と、一項目でも二項目でもいいという形で、メディアを含めて争点を集約していく。そして、政治をその方向へと向けていく。いまはそういう段階に入っている。実際問題として、小泉政権以後はどの政権もそうすべきだったけれども、結局、曖昧なままで終わってしまった。
 つまり、システムのキャパシティには限界があって、その中で争点を拡散させずに、「最低限これだけは」という課題を、政治がどれだけやりきれるかがポイントになる。例えば、大勢に影響がないものは意見が対立したところで大したことはない。だから、税制や社会保障に争点を絞って取り組めばいい。具体的にどういう方向にするかはわからないが、そういう意味で、本当は、政権はよりアジェンダを絞ってやるべきだ。
 それは、つまり、自分たちの政権は何を実現できるのかという目測能力を高めることだ。この目測能力は政治にとってきわめて肝要なもので、前政権では、特に普天間基地移設問題で目測能力の低さが際立ち、「自損事故」のような形で政権が立ちゆかなくなったことを忘れてはいけない。
 要するに、野球でいえば、エラーの数を減らしていくことだ。野村克也楽天名誉監督がいっているように、勝つときはよくわからないが、負けるときは、原因がはっきりしている。それと同じで、とりあえずエラーを少なくしていくしかない。そして、それから勝つための方策をオンしてプラスしていく。
 結局のところ、どの政権であろうと、とにかく落ち着いてリアリティのある政策を実現してくれる状態にまでしないといけないのではないか。トップを代えて、目先を変えることでは国民は誰も相手にしなくなる。
「あれだけ総理が代わっても、日常生活には少しも差し支えがありませんね」とよくいわれるが、実際、そうだろう。しかし、かといって、総理が代わると日常生活に差し支えるような国が素晴らしいとも思えない。総理が代わると、銀行のATMが止まってしまうというのでは困る。
 そういう意味では、日本社会はある種の社会的安定感がある、抜群の社会である。とはいえ、政治は日本を対外的にも代表するセクターであり、課題が山積していることもわかっているセクターだから、もう少し、らしい政権をつくり、らしい政権運営をやってもらうということが、おそらく国民共通の希望ではないか。
(了)
 
ささきたけし=学習院大学教授  

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コメント
 
01. 2010年7月13日 15:48:38: FTsXsV0ndw
自民党と民主党の背景(マスコミ・対官僚・対米)は違う。
同じ背景で議論すると、考慮が浅はかになる。

02. 2010年7月13日 16:06:15: 05UhnFBHRM
民主党が駄目なわけではない、鳩山が総理になった時点で私は駄目だと思いました。原点は首班指名のとき嫌々周りに託されてを立った時!!
してはいけない人間が総理になったこと。
マスコミ誘導で小沢氏が辞めたことも国民の悲劇!!

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