http://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/379.html
Tweet |
本国憲法第1条
<天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く>
――ここに示された≪国のかたち≫とは何であるか。それこそが学校教育の空白部分であり、憲法改正論議の重大な錯誤、なお時の内閣の致命的な認識の欠落である。原点を見失った政治の動揺と混乱に、小沢一郎がタブーを恐れず、敢えてそこを衝く。
1. 憲法と天皇の本質を問い直す
――政治指導者たちの言葉が非常に無責任に飛び交っている。この1年を振り返った印象はどうか。
小沢 典型的なのが総理大臣の言動だね。現代のすさんだ世相を、無責任な風潮を地で行っている。小泉さんが内閣総理大臣であることは、一日長ければ長いほど日本の社会をだめにすると思います。
――政治家は今何をいうべきか、その真価が問われている。その一つに、憲法改正への動きがある。与野党にメディアも加わって、何か憲法を改正すると、明日にでも日本が生まれ変わるかのような論調で、「憲法改正論に乗り遅れるな」式のファッション化した印象を受ける。
小沢 まさに、今の軽佻浮薄な風潮そのものだと思う。憲法が非常におかしな、歪められた、特殊な立場や観点から論じられている。マスコミも憲法改正を軸にして政党が再編成されるんじゃないかという言い方をしているが、そんなことはあり得ない。
――改正論議は何故か最も重要な第1条に触れない。日本国憲法は第1条から始まり、そこに国のかたち、政治、社会の仕組みの根幹が規定されている。国のかたちを変えるのか、変えないのかは誰もいわない。
小沢 日本は大日本帝国憲法から日本国憲法へと、古い言葉でいえば国体が変わった。ただし、現憲法は明治憲法と同じ君主制を実質的にも引き継いで、立憲君主制なんですね。そこを抜きにして、例えば首相公選制がいわれる。いわゆる大統領制ですが、高名な政治家でさえも、象徴天皇制の論議を全然しないで、直接選挙の大統領制にしたほうがいいという話を平気でしている。
第1条の持つ意味は、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として、日本国民にかわって、あるいは日本国民の名においてという言い方もできるんですが、国の基本に関わる国事行為を行なうことにある。
――憲法第6条によって天皇が内閣総理大臣、最高裁判所長官を任命する。
小沢 私はこの国の形態に関しては、大日本帝国憲法と日本国憲法とでは基本的に変わっていないと思っています。
大日本帝国憲法が歪められたのは、「天皇は陸海軍を統帥す」という条項があって、軍人は統帥権は独立していて、政治とか内閣とは関係がないという論理で無茶を通したからです。しかし明治憲法にも、天皇大権について「内閣の輔弼の責任」と明確に書いてあった。現在の日本国憲法でも、国事行為は「内閣の助言と承認」となっている。
だから、明治憲法も、統帥権を含めて天皇大権はすべて内閣の輔弼の責任であると、もう少し具体的に書かれていたなら、統帥権の問題も生じなかったし、現在の憲法と同じだった。もちろん、基本的人権などその他の部分は違うけれどもね。戦前の軍人による悪用は別として、立憲君主制とは、国民が執行者として選んだ内閣の責任において、天皇が、戦前でいえば天皇大権を、戦後の日本国憲法でいえば国事行為を、国民の名において行なうという政治の仕組みです。それが厳然としてある以上、立憲君主制をやめて共和制にするというのであれば、また全然別の議論だけれども、それを除いてこの国の形態を、特に政治の仕組みを論ずることはできない。
――7月末に臨時国会が召集されたときに、岡田克也・民主党代表がアメリカに行っていて国会開会式に出席しなかったことに、あなたは異例とも思える怒り方をしたが。
小沢 それは、憲法上の天皇の地位という観点からの問題に加え、政治的には民主党が年金改悪廃止法案をその日に提出することにしていたからです。参議院選挙の比例で第一党の票を得られたのは、年金問題で国民から支持されたからですよ。その廃止法案を出すというときに党首が不在でいいのかと苦言を呈した。
より本質的な第1の点についていえば、国会の召集とは、天皇陛下が国民にかわって開会するわけですね。僕は天皇陛下がいらっしゃるときに国会の庭でお出迎えすることを、30数年ほとんど欠いたことがないんだけれども、それは天皇陛下に対する親近感からではなくて、国民が国会を召集するという意味においてそうしている。天皇陛下は国民の象徴、統合の象徴なのだから、主権者である国民そのものが国会に来るのと同じことです。だから、国会議員が開会式に臨むのは当然ではないかと僕は思いますね。
――メディアは“小沢の岡田いじめ”とからかっていた。
小沢 そういう、憲法上の天皇の地位についての全くの無理解はいけない。それから次元は違うが政治的な無感覚もいけない。僕はその2点を指摘したつもりなんだけどね。
――それは議会人としては当然のたしなみでもある。
小沢 そうですね。政治家もマスコミも、国民主権というものの認識がなさすぎる。立憲君主制と主権在民は矛盾するみたいに思う人もいるけれど、そうではない。天皇は憲法上は一私人ではなく、主権者たる国民そのものと認めているわけだから、主権者が来て「これから国会を開く。その責任を果たせ」というときに、議員が国会にいないのはおかしい。
昭和天皇「終戦の詔勅」に学べ
――逆の意味で、国民統合の象徴である天皇は、国民が何に喜び、何に涙し、何に怒っているか、一つ一つに反応すべきだということではないが、そういうことに理解を示されて、その地位に国民が敬愛の念を抱く存在でしょう。
小沢 それが帝王学というものです。自分の立場、地位、身分をわきまえていなければならないし、その言動はすべて、国民の代表者たる内閣の責任においてなされるということが帝王学の基本ですね。
――04年5月に皇太子が雅子妃について、「その人格とキャリアを否定する動きがあった」といわれた。日本中を驚かせたその発言に対して、総理大臣をはじめ責任ある政治家が触れたことがない。どう思うか。
小沢 天皇陛下も皇太子も、あるいは皇室として、何かあるなら内閣に対していわなければならない。帝王学の道からいうと、(皇太子発言は)ちょっとどうかなと思います。内閣にいうべきことです。一般の記者会見でいうことは私は賛成できません。一方では、宮内庁はじめ政治家も役人も、余りにくだらなすぎる。
――くだらないというのは?
小沢 余計な陋習にとらわれたり、内閣がいわなければならないことをいわない。(立憲君主制は)昔ながらでありながら、現代風に歪められた皇室の環境を整備しようとしない。そういう状態に追い込んでいるのは内閣の責任です。内閣がその責めを負わなければならない。基本的に皇室の言動については、内閣が全部責任を負うんです。ただ、クラウンプリンスとしては、天皇陛下とも相談して内閣総理大臣を呼ぶか、それに準ずる内閣に意の伝わる者を呼んで、いうべきことをいわなければいけないと思います。
秋篠宮の意見(※)はそのとおりだと思います。ただ、それは正論だけれど、皇室の中で意見の違いがあるという話は国民のシンボルとしては決してよろしくない。これもきちんと皇室の中で意見を統一して、こうしてほしいということがあれば内閣にいうというのが、日本国憲法の示す立憲君主制のあるべき姿ではないかと思います。
――(皇太子は)記者会見ではなく内閣にいうべきだと?
小沢 そう。もっと大きな問題を例にとって天皇と内閣との関係を考えてみると、昭和天皇は内閣の意思を無視して、もしくはそれに反して、いわば形式的な権限である天皇大権を活用して終戦の詔勅を出したわけです。しかし、昭和天皇の言動をみると、それはやってはいけないことだと教わってきたはずだね。天皇はあくまでも内閣の意を受けて行動しなきゃいかんと思われていた。それが民主主義、立憲君主制、立憲民主主義の筋道であるということを、昭和天皇ほどよくわかっていた人はいないのではないか。
しかし、昭和天皇は敢えて、その筋道に反する行動をとった。それで日本は、国が焦土となるのを避け、何百万人もの国民の命を守ることができたけれども、その決断は大変悩まれたと思う。大きな国の命運と国民の状況を考えた、すばらしい決断だったと思いますね。
立憲君主制の筋道からいえば、天皇がそういう決断をしてはいけないんだね。内閣が事態を収拾できず、その結果、国民全員が死んでしまおうが何しようが、国民が選んだ内閣の責任なんです。天c陛下はそういう政治的な責任を負う必要はない。戦時中の内閣が果たして、国民の総意を受けた内閣かということもまた問題があるから、いろいろな意味で大いに評価される終戦の詔勅だったと僕は思う。
――皇太子は自らの発言について、後に文書で「個々の動きを批判するつもりはなく、現状について皆さんにわかっていただきたいと思ってしたものです」と釈明されました。しかし、それでは国民に不満をいったことにもなりかねない。
小沢 いけません。天皇陛下も皇后陛下も含めて、(皇室は)私人のように自分の意思云々といってはいけないんですよ。だからこそ象徴なんです。ほかの人では象徴になれない。万世一系の天皇だから象徴になるわけですよ。それは確かにしんどいと思いますけれども、その重みと役割を、天皇陛下も含めてここで考えないといけないでしょう。それは昭和天皇に学ぶべきです。そういう意味で、それこそ内閣の責任なんだ。
――総理大臣自ら混乱を収拾する責任がある。
小沢 それが総理大臣の責任ですよ、本来。(皇太子が)ああいう発言をされたら、本当は内閣総辞職だ。
――総辞職!?
小沢 そりゃそうですよ。立憲民主主義の大原則です。ところが、小泉内閣には内閣の責任であるという意識が全然ない。日本のシンボルたる皇室で意見の対立があったというのに内閣の責任という感覚がまるっきりない。
「靖国は本来の姿に戻れ」
――靖国参拝問題がある。反中国感情など、国民全体に情緒的なぶれの大きさが目立つ。小泉首相は国会答弁で、「(A級戦犯の合祀について)日本では亡くなった人の罪は問わない。中国とは死生観が違う」と述べた。一見誰もが反対できない国民感情を利用して政治的に正当化しようとする、非常に危険なレトリックじゃないかと危惧する。
小沢 総理としての資質と見識の問題と、靖国神社の本質は何かという問題、その二つがあるね。靖国参拝問題は、まず靖国神社の本質から考えなければいけないと思う。僕は9月に中国に行ったとき、そのことを唐家旋(前外相)に話した。靖国神社は、そもそもは明治維新の官軍の将兵の招魂社として建てられた。戦いで倒れた将兵を祀るところだから、戦いで倒れた人以外は祀っていない。例えば、有名な乃木大将は戦いで死んだわけではないから祀られていない。
唐家旋が「A級戦犯」というから、僕は「戦争犯罪人という言葉は勝者が敗者を一方的に裁いた結果のことだから絶対受け入れられない。それは本来、日本国民が自ら裁くべき人たちだ」と反論した。そのうえで、「靖国は戦場で倒れた将兵を祀るところであり、それ以外の理由で、政治的理由で命を失った人たちは靖国に祀られるべきではない」と述べた。どうしてもその人たちを顕彰したければ、乃木神社みたいに別なものをつくって祀ればいい。
――(A級戦犯の)合祀は78年、昭和53年。
小沢 53年か。その前までは天皇陛下も総理大臣もみんな参拝していた。合祀以来、参拝が政治問題になったが、それは本来の靖国の主旨とは違う。僕はそう思っていると、唐家旋にいった。戦死者を供養したり無名戦士の墓に参拝したりするのは、どこの国だってやっている。「それ自体は悪いことではないだろう」といったら、彼も「それはそのとおりです」。だから、靖国神社が本来の姿でちゃんとやれば、天皇陛下も行けるし、総理大臣も行けるんだよね。中国から文句をいわれることもない。
――あなたは靖国神社に参拝に行ったことがあるか。
小沢 何度も行っている。
――一人で? 国会議員と?
小沢 集団で行くところじゃないよ。先祖の霊を弔うも戦死者の霊を弔うも、お国を愛するも何するも、それは個人の問題です。小学生を連れて歩くみたいに国会議員がぞろぞろと行くのは、僕は賛成じゃない。
――“小沢総理大臣”になったら参拝するか。
小沢 まず助言して直す。宗教法人に強制できないから。
――直さない限り行かない。
小沢 それは本来の靖国神社ではない。
2. 戦略なき外交は国を亡ぼす
――米陸軍第1軍団司令部(ワシントン州)がキャンプ座間に移転するとか、横田の第5空軍司令部をグアム第13空軍司令部に統合するという。自衛隊のイラク派遣とその延長、北朝鮮の日本人拉致問題。中国は原潜の領海侵犯や東シナ海のガス田開発などで日本を刺激している。国際政策がご都合主義に思える。
小沢 日本自身に世界戦略が全くない。今の小泉政治は結局、人気取りだけ。すべてそこに原点がある。人気を上げるためにはどうしたらいいかしか考えていない。サプライズという言葉が象徴しているように、もう政治じゃないね。すべては自分が総理大臣の座にとどまるための人気取りであり、それに終始しているところに小泉政治の最大の問題があるね。
――アメリカの戦略の変更に伴う日米安保の変質なのか、あるいは改めて新安保体制へと移行していくことなのか。
小沢 アメリカはアメリカなりの世界戦略でやっているが、日本はどういう戦略のもとに自国の平和と安全と繁栄を築いていくのかという、グローバルな政策を考えなければいけない。それがあって、アメリカの主張に対しては、それは受け入れるとか受け入れないとかいうのならわかるけれども、根本の戦略が全然ないわけでしょう。アメリカから要請されると、どうも日米安保条約の極東条項じゃ都合が悪くなっちゃうんじゃないか、だからそこはちょっと変えないとつじつまが合わないんじゃないかとか、その程度の話なんだね。全く政治になっていない、日本は。
――99年に周辺事態法、アフガン支援ではテロ対策特措法、北朝鮮のミサイルを視野に入れて有事関連3法、それからイラク支援特措法。その都度法律をつくってつじつま合わせをして、アメリカの行くところはどこでもくっついていくというところへはまり込んでいくのではないか。
小沢 それは役人の不見識ですよ。もともと小泉さんには何もない。役人のいうとおりにやっているだけだ。僕は特に、外務省があまりにも不見識すぎるといっている。根本のことは何もしないで、都合のいい場当たりの法律をつくって、法律ができたから何してもいいじゃないか。そういう論理なんだね。
――小泉首相は「自衛隊が活動する地域が非戦闘地域だ」といった。それなら、自衛隊が世界中の紛争地域に行けばみんな平和になるのか。
小沢 全く理屈にも何にもなっていない。そこいらのチンピラの開き直りみたいな言葉のごまかしがまかり通っている。国会でだよ、国政の場でだ。それを批判しないメディアの責任はものすごく大きい。
――外交的にも国としても、筋目を通さなければならない問題としては、北朝鮮の拉致問題がある。2度にわたる日朝首脳会談で進展したようなパフォーマンスは繰り広げているけれど、実態は全く違う。それでいて、援助のプランだけは進行している。
小沢 小泉さんが最初に取引を約束したから、どうしようもない。自分のパフォーマンス、人気取りのために、8人帰してくれれば100億だか200億出すと約束したんだ。人気取り、政権維持のために国民の税金を100億も200億も使うというとんでもない話です。だから拉致問題の解決につながらない。
――北朝鮮政策を経済制裁論も含めて政権維持に利用するやり方は、最近の中国の挑発活動に対する対応にもつながっている。雲行きが怪しい。
小沢 亡国への道ですよ、こういう政治は。戦前と全く同じだね。要するに、政治家がきちっとした理念と原則と戦略を持たないから、結局、その場その場で勝手な開き直りをしながら、言葉だけどんどんエスカレートしていっちゃう。私は中国のやり方は非常にけしからんと思うし、中国自身の政治もかなり危ういところまで来ていると思ってはいるけれども、それはまた別の問題だ。今の日本では、ただ中国けしからん、今度、原子力潜水艦が入ってきたら撃沈しろというたぐいの情緒的な議論ばかり増えている。今きちんとした主張と詰めをやっておけば、将来に禍根を残さないで済むものを、今トラブルを起こすのが嫌だからといっていいかげんにしておけば、やがて国民の間に不平不満がたまって、いずれ爆発してしまう。政治が全く機能しないときにこういう情緒論がどんどん拡大していくのは非常に危険だ。
僕は中国の人たちにもいっているんですよ。「あんたスちもいい気になっていると、とんでもないことになりかねない。日本人はカーッとなるとどうなるかわからないからだ。早く、本気にざっくばらんに話し合う二国間関係にならないと本当に危ういよ」と。
――中国首脳たちの反応は?
小沢 彼らは日本をまだまだなめ切っているね。日本はどうせ何もできない、おれたちのほうが今は強い、というくらいの感覚じゃないかな、特に軍人は。
――向こうも危うい。
小沢 そうなんです。中国の原子力潜水艦が日本の領海を通っても、政治的には中国に何もプラスにならない。それを(中国首脳部が)押さえ切れなかったのは、やっぱり軍人が相当政権内部で力を持っているからでしょう。一方、日本の場合は政治がいいかげんで危ういということだね。その結果、情緒的な、へんちくりんなナショナリズムがどんどん膨らんでいく。これは非常に危うい。
3. 虚ろなる小泉改革の正体
――“改革”という言葉の遊びが跋扈している。年金改革は悪ふざけなんていうもの じゃない。郵政民営化も、小泉首相は「民のことは民に」というが、結果として生まれるものは、形は“民営”になっても、政府が持ち株会社を通じて支配権を持つの だから、何のことはない、巨大な国営銀行と、巨大な生命保険会社と巨大な宅配会社ができるだけのことではないか。三位一体改革なるものも、「地方にできることは地方に」といいながら、実際は補助金を削るだけの数字合わせ。
小沢 彼のいうことは全部ウソっぱちだね。ところが、いまだにそれに気付かない人が多い。もはや、国が滅ぶときにはこういうものかというぐらいのレベルになってきちゃったね。
――外交のでたらめさが外務省のその場しのぎの知恵だとすれば、郵政民営化、三位 一体、年金改悪は財務省か。
小沢 一番は大蔵だろうけどね。官僚機構がみんなして手をつないで守り合っているんです。役人もある程度はしようがない部分もある。今までのシステムをどう改革して、どうするのかというビジョンが全くないわけだから。結局、役人は既得権を守ろうとする以外に方法がない。だから、役人だけ責めてもしようがない。政治がだめなんだ。
――民主党は“小泉の池”で泳いでいるだけではないのか。
小沢 それは、民主党が自分自身の結論を明確に出していないからです。お前のほうはどうなんだといわれると、もう詰まっちゃう。わかりやすく明確に、基本政策だけでもいいから早く確立しなければならない。
――旧自由党は年金改革の理論と政策を持っていたが。
小沢 連合も自由党案に大賛成ですよ。
――年金はお上が国民にお恵みするものじゃない。国民自身の権利として受け取るも のだというのが旧自由党の理念。どっちの視点に立つかで年金改革はがらりと変わる。
小沢 そうです。我々の考えでいうと社会保険庁は要らなくなる。役割そのものがなくなるから。ところが、(民主党は)そんなこともいえないんだね。逆に自民党が、言葉だけは社会保険庁なんかやめろなんていい出した。実際はそんな気全然ないんだけど。
――社会保険庁を独立行政法人にするという。
小沢 それこそ役人の思うつぼなんだけれど、言葉だけは解体しろとか、要らないとかいう。特殊法人、独立行政法人はすべて廃止するのが一番わかりやすいが、民主党はまだ古い体質が残っていて、「全部廃止」というところまで脱皮できていない。
――三位一体改革で最後までもめた義務教育費の国庫負担を削減する問題はどうか。
小沢 義務教育は、国が最終的に責任を負うべきだね。教職員の身分と、身分の背景となっている財政の責任は国が負うべきですよ。義務教育は国民の権利であり義務ですから、国が責任を持ってやるべきことです。財政の都合でどうするとかいう話ではない。
――小泉首相は「私の任期中は消費税を上げない」という。これが一番のまやかしではないか。自分の任期は06年までだから、07年に上げるという形で準備を進めている。
小沢 でも、小泉内閣は任期までもたないね。
――小泉政権が行き詰まって崩壊すると、あなたの出番がくるか。
小沢 それはあり得ない。自民党は首をすげかえて政権を維持しようとする。そうやってもあまりもたないだろう。
――理論上も政権交代はないのか。
小沢 大連立になった場合に、誰がどうするのかという話ではあるね。
――その可能性はあるか。
小沢 それは自民党が事実上、政権を投げ出すときだ。僕は大連立論者じゃないんだよ。大連立の場合、こっちへ政権をよこすならいいが、自民党首班の大連立だったら、補完だけさせられる。ごめんだね。
〈コメント〉
スサノオは高天原に滞在するが、そこで粗暴な行為をしたので、天照大神は天の岩屋に隠れてしまった。そのため、スサノオは高天原を追放されて葦原中国へ降った。
出雲へ降ったスサノオは、その地を荒らしていた八岐大蛇に食われることになっていた少女クシナダヒメと出会う。スサノオはクシナダヒメの形を変えて、歯の多い櫛にして髪に挿し、八岐大蛇を退治する。(wikipedia)
神話は転写し、歴史は繰返されるという、大本の出口王仁三郎は、スサノオは冤罪で
万神の罪を背負い天上界から追放されたとスサノオ無罪論を主張した。
検察とメディアの攻撃から冤罪で幹事長辞職をした小沢氏は、出雲大社、熊野古道を散策し英気を養い復活を誓ったが、9月の代表選ではたして復活はできるのか?
クシナダヒメは田中真紀子となって、小沢氏をバックアップするのか。
米国(外資)、政治屋、悪徳官僚、メディア、財界、宗教(統一教会、創価)、国民(反国家団体、既得集団)の八岐大蛇を倒し、草薙の剣を天照(天皇=国民)に献上できるのか?
大本の出口王仁三郎は座談会で明治維新についてこう語っている。
明治維新のあの大業でも五十人くらいでやったんだが本当にやった人間はタッタ二十人ほどしかなかったのだ。あれは全く団結がよく出来ていたからなんだ。その二十人の力が徳川三百年の礎を破ったのだから。
西郷南洲が二十人の者を一つにしたためや。あの四十七士と、この二十人だけが歴史にのこっているもので団結のために仕事をやり通したのみで他には一つもそんなのはないのやでよ
「西郷隆盛は一等星だった。しかしそれ以降政界に一等星は出ておらん。今こそ総理大臣に一等星をすえなきゃならん時なんじゃがのう」。
小沢氏は、はたして一等星の政治家となりえるのか?スサノオの転写を受け、国民の原罪をうけるのか?
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK90掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。