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2010年07月08日(木) 06時26分58秒
在日米軍の撤退を目指した重光外相の腹上死
申し訳ないです。
まだ、まったく自分の中で整理されていないテーマについて書きます。
しかし、これはものすごく重要なテーマである気もしていて、
話題喚起の意味もあって書きたいのです。
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アメリカによる戦後日本の間接統治の仕組みが完成したのは、
冷戦が激しさを増す、1950年代後半ということになる。
すでにアメリカのCIA文書で明らかになっているが、
サンフランシスコ条約の調印、独立を回復した日本が、
鳩山政権の誕生で、ソ連との国交回復や、自主外交の宣言など、
独立色を強める中で、
アメリカとしては、CIAのエージェントとなっていた
政界、マスコミ界の協力者を利用して、
日本政府の傀儡下ということを進めている。
もちろん、その傀儡政権の中心となったのが、
自由民主党で、とくに岸信介から、コイズミ純一郎にいたる清和会の系列であるが。
いずれにしても、
政界でいけば首相となった岸信介や、緒方竹虎、
マスコミ界でいけば、メディア王の正力松太郎、日テレの柴田専務、
裏社会でいけば、右翼の元締めだった児玉誉士夫(本人も後年、認めている)らが、
ある者はA級戦犯からの無罪釈放と引き換えに、
ある者は地位や、利権、カネをもとに、
CIAのエージェントになったということだ。
このあたり、マスコミ首脳自体が、名前が出ていないので、
一般的に報じられておらず、知られていないが、
いずれも、アメリカのCIA文書ですでに明らかになっている話である。
で、当時のアメリカの目下の目的としては、
共産主義化の脅威にさらされるアジアにおいて、
原爆のトラウマが残る日本に核ミサイルを配備することが目的であった。
それが正力松太郎の「原子力はクリーンエネルギー」ですというキャンペーンにもつながるし、
自主外交を目指した石橋湛山が三ヶ月で、突然、病気を理由に、
首相の座を岸信介に譲ったことにもつながるし、
また、その岸が大部分の国民世論の反対を押し切って、日米安保改定を強行したこと。
さらには、ウワサされるとおり、
国民的人気の高かった社会党の浅沼委員長が、右翼少年に刺殺されたことも、
なんらかの意思が働いているだろうということだ。
沖縄返還での密約も、返還後の沖縄の核ミサイルの扱いについて、
ウラ取り決めがされていることだろう。
今も沖縄の米軍基地には核兵器はあるんだろうと私は思っている。
いずれにしても、この時に構築されたアメリカによる間接統治の仕組みが、
その後のロッキード事件で嵌められた田中角栄の時代や、
己の権力保持と引き換えにアメリカの忠実なポチとなったコイズミ政権、
そして、最近では、やはりアメリカの既得権益打破に動いてつぶされた
小沢、鳩山の国民政権や、
菅直人の突然の、既得権益派への転向などにつながってくるというわけだ。
さて、本題だが、
いずれにしても、私たちは、
CIAのエージェントであったことが明らかになっている正力松太郎の世論操作、
そして現代にもつづく読売のナベツネや、
クロウリーファイルに協力者としての名前があがった
朝日新聞の船橋洋一にいたるまで、
戦後ずっとつづいてきた、アメリカ寄りの世論工作の結果もあって、
たとえば、日米安保はいかなるものかを問われると、
それは、戦後、不十分な自衛隊の戦力しかもたない日本の
事実上の平和を守ってくれた条約であり、岸信介の決断は正しかった、
というのが一般的であるし、
そもそもマスコミは、そのようにしか、まず報道はしていないはずだ。
安保反対闘争のことも、歴史の事実としては報道をするが。
しかし、日米安保が本当に、日本の安全を守っているかというと、
私なんかはかなり疑問があって、
たとえば、戦後のアメリカによる日本の属国化政策の、
大元のところは、安保を理由に、米軍が首都の東京をはじめ、
日本各地に、軍隊を駐留させていることであり、
また、日本国内でも空虚な安全保障論しかでてこなくなったことであり、
たとえば、もし今、第二次朝鮮戦争が勃発すれば、
間違いなく、日本は、
北朝鮮から、生物兵器テロや、原子力発電所の爆破、
またはノドンミサイルを打ち込まれるなどの攻撃に直面するが、
それは、韓国を防衛するための拠点が、在日米軍基地であり、
結局、日米安保条約があるがゆえに、
戦争の危機をいつでもはらんでいるといえるのだ。
そして、当の韓国からは2012年にアメリカ軍は撤退すると、
なんともむしのいい話か。
その韓国防衛のつけなら、在日米軍基地にまわってくる。
ここで私がいいたいのは、もちろん友好国の韓国を守る守らない
という話ではなくて、
結局、国民的な議論も何もないままに、
いつのまにか、アメリカの都合よく、
日本の国土は、危険にさらされてしまって、
それで、そこに関しての国民的な議論も許されてこなかった、
という話である。
閑話休題、あらためて本題。
昨日、私は、ツイッターで岩上安身の北方領土に関するツイッターを読んでいて、
もちろん、アメリカが意図的に、
日本が近隣諸国と対立する構図をつくったということは知っていたが、
それでも、具体的に、国後、択捉の問題を領土紛争化させたのは、
ダレスの指示だったということは知らなかった。
転載させていただくと、
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北方領土問題が、現在のように4島一括返還論に傾いたのは、
56年、重光外相に対する、ダレス国務長官の強い圧力によるもの。
米国は、日本に対し、ソ連(ロシア)との間には北方領土を
強制的に「設定」するなど、周辺諸国と友好関係を結べない状態を
作り出し、安保面では米国一国に徹底的に依存、
従属するように仕向けていったのです。
日本の独立を志向した重光葵は、
のちに湯河原で不審な突然死を遂げます。
重光葵の死がどのようにもたらされたのか、
私にはわかりませんが、日本の独立を求めてダレスと
死闘した結果なのだとすれば、それもまた、
男子の本懐。かくありたしと、思います。
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もし日本が、あのまま、日ソ共同声明どおり、
歯舞、色丹の返還ということで、決着をしていれば、
アメリカとしては困ったわけだ。
そうなると、日本はソ連と接近するし、
今度はアメリカだって、沖縄を返還しろ、という話になってくる。
ああ、なるほど、こういう経緯を見ていると、
あらためて、日本に外交の自由なんてなかったんだなと思うし、
それに重光葵である。
ポツダム宣言の調印者としても有名であり、
また、腹上死でもある意味有名であるが、
確かに、その湯河原での腹上死が、
暗殺である、という推測は自分もこれまで考えたことがなかった。
そして、時を同じくして驚いたのが、
外務省の外交文書公開でわかった
日米安保に関してのこの記事である。
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相互防衛、米軍撤退を提起=ダレス氏一蹴、幻に−鳩山一郎内閣
憲法改正や再軍備を志向した鳩山一郎内閣が
1955年7月にまとめた日米安全保障条約改正の試案が7日、
外務省が公開した外交文書で明らかになった。
対等な相互防衛条約とし、日米のいずれかが武力攻撃を
受けた場合の共同対処や、在日米軍の撤退を盛り込んでいる。
しかし、試案は米側から「時期尚早」と退けられ、幻のまま終わった。
試案は、安保条約を「武力攻撃に抵抗するための
個別および集団的の自衛能力を維持し、発展」させるものと
位置付け、「西太平洋区域」で武力攻撃を受けた場合は、
憲法上の手続きに従って「共通の危険に対処する」と明記。
条約発効とともに、旧安保条約に基づいて
駐留する在日米軍は撤退を開始するとしている。
ただ、日本の防衛能力が整っていなかったこともあり、
米側の反応は冷ややかだった。
同年8月の日米外相会談の記録によると、
当時の重光葵外相が「現在の一方的安保条約に
代わる相互的基礎に立つ新防衛条約を締結する機運が熟している」
と提起したが、ダレス国務長官は
「新条約についてまじめに交渉する時期ではない」
などと一蹴(いっしゅう)。
重光外相が「失望を禁じ得ない」と不満を述べた。
(2010/07/07-21:09)
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つまり、CIAのエージェントでもあり、
アメリカによる属国固定化的な日米安保を推進した岸信介の案では、
米軍の駐留固定化がなされたわけである。
しかし、それ以前に、自主独立派の鳩山一郎政権では、
米軍の日本撤収を念頭において、対等な日米関係を志向していたといこうとだ。
いずれにせよ、鳩山一郎政権は短命に終わり、
重光外相も湯河原で腹上死というおかしな最期を遂げる。
このテーマについては、私自身、まだ考えが整理されていないが、
戦後から現代いたる日本史を考えるうえで、
またアメリカによる間接統治の構造を考えるうえで、
ものすごく重要なテーマだと思ったので、話題の喚起の意味もあり、ブログで取り上げた。
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