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本日、ある政党のチラシがポストに入っていて、その内容に大いに賛同してしまった。
@法人税を40%から25%に下げろという財界の要求に政府も応じている。これでは消費税増税ぶんのほとんどが、大企業減税で消えてしまう。
A日本の法人税は見かけほど高くない。「研究開発減税」などで、税金を大負けしてもらっているからである。税金と社会保険料をあわせた大企業の負担は、フランスの7割しかない。
Bギリシャではこの10年間に法人税を40%から24%いまで引き下げ、国の税収に大穴をあけた。これが財政破綻の大きな原因になった。菅総理の増税路線はギリシャの二の舞になりかねない。
なるほどなあ。まったく、その通りだ、と思う。消費税にかんすることは、この政党の主張に、全面的に賛同できる。しかし・・・。この政党を支援する気には、ならない。太陽が西から出て東に沈むようなことがあっても、この政党に票を入れることは、ない。なぜなら、この政党が、日本共産党だからである。
どんなに、耳障りの良いことを言おうとも、この政党の政策が、実現することはない。何ひとつ、実現能力のない政党に票を投じることは、できない。また、この党が、反体制のポーズをとりながら、旧勢力から一定の役割を与えられた存在であることも、看過できない。旧勢力は、真に「己が敵」と認定する勢力には、徹底的に潰しにかかる。小沢一郎氏に対する、容赦ないバッシングが、そのことを示している。
然るに、共産党がそういう攻撃を受けたことはない。それは、旧勢力に利用価値を認められていることを示している。このことに関しては、いずれ、もう少し、深い考察をしてみたいと思っている。ともあれ、共産党が、検察・マスコミと一体となって、小沢攻撃に邁進したことは、絶対に忘れることはできない。
2010.01/30 [Sat]:反権力の牙を抜かれた日本共産党
「朝まで生テレビ」を朝まで生で観ていたせいで、睡眠時間3時間。午前中の仕事は、眠気と頭痛で大変だった。「激論!小沢幹事長VS検察 ド〜なる?!最終決着」まあ、こういうテーマだから、一度、観始めると、止めることができない(笑)郷原信郎さんの鋭い発言がやはり突出していた。
若狭ナントカという、各ワイドショーで特捜の代弁をしまくっていた、髭面のヤメ検弁護士との激論は見ものだった。「政治資金規正法違反」を「実質犯」であると言い切る若狭某に対し、「実質犯と形式犯の二面がある。石川議員の場合は形式犯」と郷原氏。秘書の判断で収入を少なく記載したことが「悪質な実質犯」であり、その「共犯」として政治家が辞任を要求されるならば、国会議員は半減してしまうのではないだろうか。と僕も思う。
そのことはさておき、今日のエントリでは、あるひとつの政党に絞って、話題をすすめていきたい。番組中にこういう場面があった。
日本共産党・穀田恵二議員「国民は(小沢幹事長の蓄財に対する道義的な)説明責任をもとめている、犯罪か犯罪じゃないかと問うているわけではない」「真実は何かということ。疑惑にあの方が説明責任を果たしたかどうかということが問われている」(ニ、三のやりとり)民主党・辻惠議員「『知らない』ということについて、一方的に『おかしい』と言うのは、悪魔の証明を求めるものだ」(中略)
大谷明宏氏「(穀田氏に)検察権力が必ずしも正しいことをやってるかどうか・・・あなたたち共産党がね、検察権力のチェックをしないでどうすんだよ!いつからそんな共産党になったんだよ!」
山際澄夫氏「穀田さんの言うことはまったく正しい・・・(そのあと声が大きいだけの粗雑で感情的なアジテーションをがなりたてる)」
小林節氏「小沢氏を疑うのは検察の勝手だが、事実が客観的に証明されていないのに、『ウワサ』だけがひとり歩きして、本人が『やっていない』と言っているのにやってないことの証明をしろと言ってる。やってないことの証明なんてできないですよ。今の時点では、小沢さんは疑いをかけられている一個人。権力は検察です」
青木理氏「(前略)(穀田氏が)この流れの中で、小沢氏の蓄財を云々するのは、検察権力の尻馬の乗っているとしか思えない」
共産党の常任幹部会委員が、サンケイ出身の極右ジャーナリスト山際某(チャンネル桜キャスター)に褒められ、自民の電波芸者議員・平沢勝栄と3人で、番組内で共同戦線を張るという、珍妙な光景が現出したわけだ。本当に、大谷さんではないが、共産党はどうしてしまったのか。この党が、戦前・戦中に、どんな苛烈な弾圧を受けてきたか、まさか知らないわけではないだろう。
別件逮捕や見込み捜査、密室での拷問的取調べやデッチあげ・・・これら検察の常套手段は、すべて戦前の特高警察に淵源があると言っても過言ではないのではないか。プロレタリア作家・小林多喜二は、1928年3月15日の国家権力による共産党大弾圧を題材に「一九二八年三月十五日」という小説を書き、特高警察の惨烈を極めた拷問の実態を生々しく描いた。
結局、これが引き金となり、1933年2月20日に逮捕されたとき、丸裸にされ、ステッキで交互に殴られ、虐殺されるに至った。これは、調べというよりも、報復的なリンチ殺人だった。その偉大な先輩の系譜を引き継いでいるはずの、日本共産党中央委員会常任幹部会委員が、「検察権力」の横暴を疑うこともなく受け入れ、尻馬に乗ってひとりの政治家を叩く。
たしかに、あの時代、軍部ファシズムに屈することなく節操を貫いた団体は、日本共産党と、創価教育学会だけである。凄まじい弾圧のもと、故・宮本顕治元共産党議長は非転向を貫き、牧口常三郎創価教育学会会長は、国家神道への屈服を拒否して、獄中で亡くなった。そのふたつの勢力が、今になって、検察権力の尻馬に乗り、なおかつ手を貸しているということは、偉大な先人の業績に泥を塗っているにひとしいと言わねばならない。
「政治とカネ」に対する、十年一日のごときワンパターンな言動を見るにつけ、共産党もまた、旧勢力の構図にうまく組み込まれた組織であったのだ、とつくづく思う。共産党は、これまで、不満層の『受け皿』として機能してきたのではないか。そういう位置を権力に与えられ、役割を振られて、存続を許されてきたのではないか。穏健な選挙戦術は、民衆の抵抗精神を取り込み、吸収して、無力で無意味なものに変換してきた。
今日の「朝生」を観て、そういうことを考えざるを得なかった。三里塚闘争で現地農民に敵対し、部落解放闘争では被差別部落大衆を分断しようとした共産党の、組織エゴという「癖」は、こういう形でもあらわれてくるようである。
鋭い質問:青木理氏が、平沢氏と穀田氏に問う。
「国民の負託を受けて選挙に勝った議員が国会が開会する3日前に司法権によって身柄を拘束されてしまう。あれはたぶん、国会が開かれたら逮捕許諾請求しなくちゃいけないからでしょう。(中略)そういう暴挙を国会議員が唯々諾々と受けていいのか。」
そうなんだ。
党派を超えて、国会議員の身分が、検察権力の恣意的な捜査によって毀損されているということに、議員ぜんたいが怒るべきなんだ。そして、議員を国会に送り出した国民も怒るべきなんだ。不逮捕特権は、決して議員のためにあるのではない、議員を国会に送り出した国民のためにあるのだ。
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