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技術者のウィークポイントは、身につけた技術が世間で必要とされなくなった時あるいは時代が変わった時、技術者生命も終わるということだ。古くは炭鉱技術者、最近ならば農水省のほ場整備や干拓事業の技術者である。技能が個々の技術者に残っているのにそれを生かす場所がなくなり、技術体系とともに消えてゆくのだ。
残念ながら技術者とは、一芸を極めればそれで一生飯が食える「職人」とは質が違う。技術者であるうちは、古い技術を捨て新しい技術を身に付ける作業を片時も止めるわけにはゆかない。それが土木技術者であろうと看護師であろうと消防士であろうと、逃れることはできないのだ。
仕事に疲れて「ちょっと一休み」などすれば、流れから取り残されてしまう。それでも逃れたくて事務系の職務(たとえば管理職だ)に変えてもらっても、初めから事務の仕事をしていた「事務屋さん」に敵うわけがない。かくして最終到達点は常に文科系が占め、「汚れ仕事は技術屋さんに」と陰で言われる。
「ぬえ」のような事務職は、姿かたちを変えて自在に生き残れる。だから職種にこだわりがなければ、事務職で就職したほうが息は長いかもしれない。「一芸に秀でる」ことはお客の好みが変わった瞬間、即失業を意味する。
しかしそれでも技術者はいなくてはならない。日本中から配管工が消えたらどうする? 看護師がいなくて、医者だけで病院が運営できるか? 災害だらけの日本で、土木技術者がいなくなってかまわないのか? これだけ自動車におんぶしている国で、修理工が絶滅してもいいのか? 農産物を生産する技術者(農家)が日本にはいらないのか?
数からいえば、事務屋の数十倍の技術屋が生活には必要なはずである。手の指先である技術屋さんがいてこそ、物事は具体化するからである。事務屋さんが書類をいかに精緻に書き上げようとも、所詮は紙の上のこと。トップの事務屋さんが数多のプランをひねり出しても、実現させるのは末端の技術屋の仕事なのだ。大将や下士官だけで戦争ができるか? できるのは机上演習だけだ。それなのに「空気のような存在」でしかないのが悲しい。しかし技術屋は己のなした行為が形に残るから、失敗の責任を免れることはできない。
最後に、パソコンの普及が事務屋さんの需要を駆逐しつつあるようだ。事務所内と本庁がLANで結ばれ、例えば給料の明細書が個人のパソコンに送られ現金は自動的に銀行に振り込まれる。給料やボーナスの手渡しなどは昔の夢だ。たとえ給料日を忘れていても、誰も教えてはくれない。書類の回覧もパソコンの画面上になりつつある。はたして事務屋さんは、手間を省いたと素直に喜んでいるのだろうか? もしかすると地方公共団体の事務職の減少スピードは、技術屋を上回っているかもしれない。「ぬえ」を退治するにはシーリングの方法が有効だからだ。
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