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◆「一度も植民地になったことがない日本」 デュラン・れい子:著
p29.ともかく自分の意見を述べたがるのがアメリカ人。これが民主的ということかと聞いているこちらが感心するくらい、バカバカしいことを積極的に話す場面に何回も遭遇した。反面、ヨーロッパ、特にイギリスは、日本人の感覚に似ていると思われる。その問題に関して自分が十分な知識がないとわかっている場合、日本同様、黙っている人も多い。ただし「言うべきときに自分の意見をはっきり言う」ことをしないのは、ヨーロッパ人には日本の不思議のひとつと映ってしまう
p33.アングロ・サクソンが単純という根拠の(こういうことを言うとイギリス人やアメリカ人に袋だたきになるかもしれないが、一般的にヨーロッパの人々はそう思っているから申し上げると)象徴は、あの「カウボーイ」である。ハリウッド映画の例を出せばどなたも納得されるはず。腕力で勝負を決めたいアングロ・サクソンのイギリス、アメリカに、とことん議論し合うことをよしとするラテンのフランスが抵抗している今回のイラク戦争は、この対比の好例ではないかと思う
p80.「でも、それが戦争というものではないでしょうか。日本が戦争を仕掛けたのはよくないし、また勝てると思ったのもバカだったと思います。でも、あの頃の日本は経済封鎖されていたことも事実なのです。なにしろ日本は資源がなくて…」
p81.「それはそれは、本当に不幸でした。もしあなたがインドネシア人が書いた本を読めば、または日本人の書いた本を読めば、考えが変わるでしょう。人間は限られた情報で他人を判断しがちですから」
p90.「ゲスト・ワーカー。つまり外国からの労働者。オランダ国籍を持っている人もいるし持っていない人もいるけれど、特に旧植民地からの人たちのことですよ」ガーンと頭を殴られたような気がして、ため息が出た。オランダに住むようになって、「なんてこの国の人はインターナショナルなことか!」と感激したものだ。なぜならオランダでは、私が学生時代にロンドンで体験したような人種差別を受けることがまったくなかったから
p93.信長に続く日本の為政者たちがキリスト教を恐れたのは正しい判断だったと思う。もしキリスト教布教を認めたら、日本はスペインかポルトガルの植民地になっていたに違いない。ローマ法王の名において政治が動かされていたヨーロッパに比べ、そのころの日本はすでに政教分離がなされており、格段に進んでいたのである。そのうえ、日本に上陸したバテレンたちが驚いたのは、日本人の清潔さであったという。
バテレンたちはアジアの端の端に、今まで征服してきたアジア、アフリカ諸国とはまったく違う、大文明国を発見したというわけだ。そのころのヨーロッパは不衛生極まりなかった。このあとの17世紀に建てられた、今でも壮麗なヴェルサイユ宮殿さえトイレは少なく、華やかなイメージで語られるマリー・アントワネットやポンパドゥール夫人も、おまるで用を足し、それは宮殿のまわりにぶちまけられていたという。体臭をカバーするために香水が発達し、優雅に結い上げたヘアスタイルの中はシラミやダニでいっぱいだったと聞けば、日本人なら誰でもあきれてしまう。
バテレンたちが日本人の清潔好きにカルチャーショックを受けたことは容易に想像できる。そのころのイエズス会のリーダーは、部下の宣教師たちに「日本人と会うときは風呂に入り、体を清潔にしろ」と厳しく命じたという。「そのころだって、汚れた体で体臭の臭う宣教師たちの話など聞きたいとは思わなかったろうな」と想像して、ニヤニヤしてしまう私なのだ
p96.当時の日本人は、バテレンたちのもたらしたヨーロッパ文化にコンプレックスを持たなかったばかりでなく、自分たちと異なる文化としてのみ興味を持ち、敬意を表した。それは「地球は丸い」とバテレンたちから聞いた信長が、即座に納得したという逸話からも窺える。さらにおよく知られているエピソードだが、バテレンたちが献上した黒人奴隷を見た信長は、家来に言いつけてタライに水を張りゴシゴシ洗わせたという。ところがその黒い肌の色が落ちなかったのを見て「あぁ、世界にはこういう人間もいるのだ」と納得し、その後は森蘭丸などと同じ近習の一人として召しかかえ、「ヤスケ」という日本名をつけて連れ歩いたという。
この時代の日本は白人崇拝も黒人蔑視もしないばかりか、奴隷制度さえなかったというのだから、このあと、アメリカへ奴隷輸出をはじめるヨーロッパに比べ、何という文化国家であったことか! この歴史をヨーロッパ人が知らないのはしかたないとしても、日本人で関心のない人が多いのは残念というしかない
p106.独断と偏見だが、南蛮文化が日本に伝わったとき、日本は中国とサヨナラしてヨーロッパを選んだのではないか。「感性」という観点から見て日本といちばん近いのは、ヨーロッパの中でもフランスかもしれない。両国とも女性的嗜好が強いからである
◆『一度も植民地になったことがない日本』 2007年10月24日 団塊バカ親父の散歩道
ある時、著者はアムステルダムの画廊で版画の個展をすることとなり、オープニング前日も閉館時間を過ぎても準備に追われていた。そこに、掃除の女性が現れる。昔のオランダの植民地、南米のスリナムから来た中年女性である。
彼女から、こんなことを聞かれる。
「あなたは日本人ですね? あなたのようなアーチストは日本にたくさんいるのですか?」
「ええ、いますけれど」と答えるのだが、彼女はポツンとこう言った。
「スリナムからアムステルダムに来て、この画廊で働くまで、私はアーチストという職業があることを知りませんでした」
著者は、アーチストという職業を知らない人がいることに驚くのだが、食べることが最優先されるような国々では、芸術が職業として公認されることはないだろう、と気づく。食べることに困ることも起こりうるリスキーな仕事であるアーチストは、先進国でしか成り立たないと思わされるのである。
片づけを終え帰る時に、大きな荷物を持っていた著者を見て、彼女が車で家まで送ってくれる。その小さな車の運転席から、彼女がたずねてくる。
「私は日本について何も知りません。日本のマスターズ・カントリーはどこなんですか?」
マスターズ・カントリーという言葉に、最初は何だかわからなかったのだが、「ご主人様の国」、すなわち宗主国ということである。植民地だった国で生まれ育った彼女にとっては、宗主国があること、あるいは、あったことのほうが当然のことなのだ。著者は答える。
「日本は一度も植民地になったことがないんですよ」
著者が説明をしていくにつれ、こんどは彼女のほうが信じられないという顔をする。著者は次のように述懐する。
<それは当然なのだ。発展途上国の移民でもある彼女にとって、日本の歴史など何の関心もないに違いない。それは私も含め日本人の大多数が、彼女の国の歴史に興味がないのと同じことだ。
(中略)彼女は私のことをどう思ったのだろう。そのあとも気になってしかたなかった。
「同じ有色人種なのに、なぜ日本人はマスターズ・カントリーの住人と同等に生活できるの?」と思ったのではないか。「なぜ日本人は、アーチストなんていうわけのわからない仕事で暮らせるのか」と思ったかもしれない。>
この後、著者はこの女性のように外国から、特に旧植民地からやってきた労働者のことを「ゲスト・ワーカー(お客様の労働者)」と呼んでいることを知る。学生時代にロンドンで人種差別を経験していた著者は、オランダにも人種差別があることをはじめて知ることになったのである。
このことを夫に話すと、日本は幕末に、欧米列強の植民地にされそうになった危機があったと指摘され、そういう考え方を学校では習った覚えがなかったことに気づく。第二次大戦後の敗戦の時も、列強による分割統治から免れたことにも気づくのである。
これをきっかけに、著者はなぜ日本が植民地にならなかったかを考えていく。安土桃山時代に植民地化の尖兵として宣教師がやって来たにもかかわらず、なぜ日本は植民地にならなかったのか、ということから始まる。
国際結婚してヨーロッパで生活を始めてから、「南蛮人渡来」という言葉の「南蛮人」には「南から来た野蛮な人」という意味があったことを実感したことも思い出すのである。
日本の良いところ悪いところなどを考えながら、こんなことも感じるのである。
<日本人の感性は中国よりもヨーロッパに近いと、ヨーロッパに住むようになってから納得するようになった。>
また、夫からこんなことも言われる。
<「ヨーロッパ人は、血も、歴史も、文化も、どこかでつながっている。が、日本人は、そういうものを220年の鎖国で全部断ち切ってしまったんだから、ある意味では「孤児」じゃないのか」
すぐさま私は言い返す。少々ムキになっていたようだ。
「いいじゃないの、孤児だって! だから日本はユニークなのよ!」>
そして、こんなことを考える。
<(前略)夫の言うように、もし日本が世界の孤児だとして、かえって積極的にその歴史や立場を世界の人に理解してもらったら面白い国になるのではないか。世界唯一の原爆被爆国であることも立派なアイデンティティーだと思う。
こういうことを日本が主張してこなかったのは、日本人独特の「目立つのはエレガントではない」という美意識のためかもしれない。残念ながらこの美意識は、日本人同士では通用するが、外国人には通用しない。以心伝心はヨーロッパでは通用しないことが多いのだ。ヨーロッパの人々の多くは、すべて言葉にしないとわからないほど鈍感と言ってもよい。そのうえ彼らは、日本に好奇心はあっても関心はないという人がほとんどなのだから。>
(私のコメント)
6月27日の「株式日記」で「日本では思想が生活習慣になっているが言語化されていないために外国から言語で思想が入ってきた時に言語で対抗する事ができない。だから日本の思想も言語化して外国に理解してもらう必要があります」と書きましたが、日本人は外国人との接触が少ないから言語化して議論する事がなかった。
「一度も植民地になったことがない日本」の著者のデュラン・れい子氏はスウェーデン人と結婚し、スウェーデン・オランダ・ブラジルと移り住み、そして今は南仏プロヴァンス在住されている人です。特に学者や評論家でもなく普通の庶民が感じたエッセイ集なのですが、何十年もヨーロッパに滞在していないと分からない事も多いのだろう。
日本の学者や評論家の書く日本論は頭でっかちのものが多くて、必要以上に日本を批判したり卑下したりするものや、外国の例を称賛したりするものが多い。日本では当たり前と思っていたことも外国では当たり前でない事が多い。しかしこれらの事は長く滞在してみないと分からない事が多いのですが、最近ではネット化社会で一般庶民でもこのような事を書く人が増えてきた。
しかし日本の学校で習う日本の歴史や外国の歴史は歪んだものが多く、海外に行って外人と接触してみて日本と外国の違いを始めて気がつくようなことが多い。歴史教科書も韓国や中やアメリカに検閲されて書き換えられてしまうような国だからどうしようもないのですが、日本を批判的に書かないと歴史教科書に書けないのだから始末が悪い。
だから日本人は日本の事をあまり良く知らずに海外に留学したり駐在員として行ったりすると、外国人から日本の事を聞かれても何も答えられない。日本の学校のが日本の歴史や日本の文化をあまり教えないからですが、戦後のアメリカの占領政策として焚書坑儒を行なって7700冊もの書物も燃やしてしまって発禁処分にして歴史を断絶してしまったからだ。
NHKの大河ドラマにしても戦国と明治維新のものばかりで、それ以降の近現代の大河ドラマはほとんどやらない。なぜ日本がアメリカと戦争するようになったかを日本の歴史教育では正面から取り扱おうとはしませんが、アメリカ人から聞かれても答えられる日本人はほとんどいないだろう。多くの日本人は黙りこくってしまって議論しようとはしない。
日本人はこのようなデリケートな事を言葉として表現する文化は無い。それとは反対にアメリカ人はバカバカしいほど議論好きであり自己主張が強い。正しいか間違っているかよりも議論に勝つか負けるかの真剣勝負になってしまう。ましてや政治家や大統領ともなれば議論の専門家でもあるのだから、その間に入って日本の首相が何を言おうとしても言い負かされてしまうのは仕方のないことなのだろう。
アメリカは日本人が愛国心に目覚める事を異常なほど恐れている。それは沖縄の普天間基地問題でもアメリカ政府のあわてぶりを見れば分かりますが、日本の首相や大臣を少し脅せば言いなりにする事ができますが、沖縄や日本の民衆が愛国心に目覚めて米軍基地は出て行けと言い始めたらアメリカは基地を撤去しなければならない。
そいの為には学校教育で日本は戦争を起こした犯罪国家で韓国や中国で酷い事をしてきたと言い続けて洗脳してきた。だから日本の首相はアジア諸国を訪れると謝罪から会談を始める。しかしアメリカの大統領が来日しても広島や長崎に慰霊に訪れる事は一度もないのであり、謝罪する事もない。
最近の日本人は在日米軍基地があること自体に違和感を持たなくなって来ており、鳩山首相はその問題に手をつけようとして辞任に追い込まれてしまった。戦後間もない頃よりもアメリカによる日本属国化は進んで来ているのかも知れませんが、だからこそ「一度も植民地になったことがない日本」という本の題名を見ると日本人はビックリしてしまう。
今ではアメリカによる日本の植民地化が進んできて、外務省や防衛省の高官が反米的な事を言うと首が飛ぶようになってしまった。鳩山首相の首も飛ぶくらいだから菅新首相は普天間基地問題はアメリカの言いなりになるようだ。かつては日本は植民地になった事は無いが今は植民地同然になってしまった日本をデュラン・れい子氏はどのように見るだろうか?
戦国時代にやって来た欧州人を日本人は南蛮人と呼びましたが、彼らは非常に不潔で風呂にも入らない風体だったからだ。ヨーロッパ本国でも宮殿は非常に立派だがトイレもなく排便やゴミは通路に棄てていた。だからペストが大流行したのですが、江戸では水洗便所が普及していた。
教科書ではキリスト教の宣教師を文化人のように教えているが、日本の女性などを奴隷として売り飛ばしていた事などは日本の歴史では教えない。だから株式日記でその事を書くと驚く人が多かったようだ。秀吉や家康は日本人を奴隷として売り飛ばしてしまう宣教師を見てキリスト教禁教令を出すようになりましたが、世界各地の売春宿には売り飛ばされた日本人女性が沢山いた。
◆日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか? 2006年1月27日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400
株式日記と経済展望
http://blog.goo.ne.jp/2005tora
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