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魚住昭2010年06月30日
6月22日、大阪に行った。大阪地裁で開かれた村木厚子・厚労省元局長の論告求刑公判を傍聴するためだ。検察は午後1時半から5時まで3時間以上に渡って論告し、彼女に懲役1年6月を求刑したが、聞いていてアホらしかった。
5月26日の前回公判で裁判所は検察側が証拠請求した検事調書43通のうち34通を却下している。彼女の指示を受けて偽の公的証明書を発行したとする上村勉・元係長の調書もすべて却下した。判決文を書くのに不可欠な証拠として残っているのは、彼女の関与を全面否定した上村元係長らの法廷証言だけである。
ということは、9月10日に言い渡される予定の判決は無罪しかあり得ない。もはや裁判官も弁護士も傍聴人も、そしてひょっとしたら当の検事ですら、彼女の無罪を疑う者はいない。検察は誰も信じていない架空のストーリーに固執するのをやめ、自分たちの捜査が誤った理由を徹底的に検証するべきだろう。
私が見るところ、最大の問題は大阪・特捜部(東京・特捜部もそうだが)の捜査手法にある。かつての特捜部では、捜査会議で情報を共有する合議的な方式をとらず、主任検事だけに情報を集中させる「落下傘方式」をとっていた。(少なくともそれが伝統的な捜査手法だと言われていた)。
「落下傘方式」ではパラシュートの傘の頂点が主任検事である。他の検事はそこから四方八方にのびる線の一本に過ぎない。主任検事から最低限必要な情報と指示を与えられ、ほぼ白紙で取り調べに望む。検事同士の情報交換も原則的に禁じられる。そうしないと検事が予断を持って取り調べに臨み、事件の真相が歪められるからである。
ところが、今回の村木事件では主任検事を通じて他の検事たちのとった供述調書の写しが配布されていた。つまり検事たちは主任検事経由で互いの情報を突き合わせながら関係者の取り調べを進めた。この方式は冤罪の温床だといっても過言ではない。
なぜなら主任検事がいったん事件の構図を決めると、他の検事たちはそれに沿った調書をとらざるを得なくなる。検事がその気になれば、関係者の供述を自分の思う方向に誘導したり、逮捕の恫喝でねじ曲げたりするのは簡単なことだ。逆に、あくまでも真実にこだわり、主任検事の意向に逆らった調書をとるのには大変な勇気と良心がいる。
大阪特捜の検事たちがどちらの道を選んだのかはもう言うまでもないだろう。上村勉・元係長は拘置所のなかで「被疑者ノート」にこう記している。
▼(逮捕直後の昨年5月28日)「証明書は倉沢(注・自称障害者団体「凛の会」元会長)が村木から直接もらったことになっている。私の記述は浮いている」と言われた。どうしても私と村木をつなげたいらしい。だんだん外堀から埋められる感じ。私の供述さえ得られれば検察のパズルは完成か。
▼(5月31日)私の記憶にないことを作文されている。こういう作文こそ偽造ではないか。冤罪はこうして始まるのかな。
上村元係長の観察は鋭い。あらかじめ描いた構図に関係者の供述を押し込める「パズル方式」の捜査手法が常態化していたからこそ、彼の訴えは無視されたのである。もしも「落下傘方式」の捜査が行われていたら、取り調べにあたった検事は上村元係長の言い分に多少なりとも耳を傾けていただろう。村木元局長に濡れ衣が着せられることもなかったかもしれない。
今からでも遅くはない。検察は自らの捜査が冤罪を生んだことを認め、村木元局長に謝罪すべきだろう。そうしなければ検察再生への第一歩は踏み出せない。
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