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曽我豪
2010年06月24日
言葉は正直だ。とくに人生、時代の節目に発した言葉は嘘を言わない。
21年の時を隔て、政権党の幹事長に抜擢された2人の政治家の、最初のインタビューでの発言を並べるとその感を深くする。
まず1989年8月、自民党幹事長に就いた小沢一郎氏、当時47歳。
「選挙に勝つことが、幹事長の最大の仕事。それに尽きる」
「オヤジ(故田中角栄・元首相)にはよく『政党人として最大、最高の役職は幹事長だ。おまえも将来、それぐらいになれるよう頑張れ』と言われました。喜んで、しっかりやれと言ってくれるんじゃないか」
続いてつい先日、その小沢氏に代わって民主党幹事長となった枝野幸男氏、46歳。
「(幹事長の使命は)我々の目指す一元化された政府・与党体制で、いかに内閣を支えるか。その柱は(選挙で勝って)議席をたくさん持つことと、国会の運営を円滑にすることだ」
「1人の人(小沢氏)がいなくてダメになる組織はダメだ。誰がやってもこの国の中枢を担いうる組織でないと、政権を担ってはいけない」
ここで何とも興味深いのは、まずその2人の共通点が参院選をめぐって危機に瀕した政権によりその救世主として抜擢された点にある一方、時代の子である2人の差異もまた際立つ点である。
リクルート事件と消費税導入に対する2つの逆風を受けて自民党が89年参院選で惨敗、参院で過半数を割るとともに宇野宗佑内閣が倒れ、初の昭和生まれの首相である海部俊樹内閣が誕生した際に登場したのが小沢幹事長である。その人事は世代交代を印象づけるだけでなく、田中派の流れを汲む竹下派の寵児として組織選挙の手腕を買われた結果であり、小沢氏の言葉もまさにあっけらかんとその選挙至上主義の神髄と自意識を示している。さらに言えば、その期待に応えて翌90年衆院選で自民党の安定多数獲得を果たした実績が今日に至る「選挙の小沢」神話の礎を造ったのだった。
他方、枝野氏の言葉は過去との連続より断続性に特徴がある。もとより参院選を1カ月後に控え、支持率の急落により鳩山由紀夫首相が政権を投げ出した結果、政権浮揚の特効薬として「脱小沢」を印象づけるべく登場した枝野氏である。その対抗意識は間違いなく彼にあり、選挙は至上の目標ではなく政治システム改変のためのツールであって、国会―政党間協議も同等の価値を持つとの意識が濃厚だ。
もちろんこの20年余、陰に陽に政界を支配してきた小沢的なるものが枝野的な政治文化へと完全に切り替わるかどうかはまだわからない。ただ、ふと思う。もしその変化が確実なものとなるなら、これは昨秋の政権交代に匹敵する、あるいはそれを凌駕する政治の基盤の変化ではないのか、と。
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いや、もっと大胆に仮説をたてれば、参院選はこの20年、そうした根本変化を政治に刻印する軌跡を見事に描いてきたのではなかったか。
教科書風に言えば、衆院選が政権を選択する選挙であって、参院選は政権を信認する選挙である。わが国の二院制のつくりにしてからが、首相指名投票から予算、、さらに3分の2の再議決の規定まで、衆院に強い優位性が認められている。つまり一見すると参院と参院選はいわば補完的な役割と思われがちなのだが、現実の政治過程を振り返ると全然違う実相が浮かんでくる。
例えば小沢時代の幕開けとなった89年参院選は、結果的に野党・公明、民社両党とのパーシャル(部分)連合−−自公民体制の構築を自民党に促し、戦後初の本格的な自衛隊の海外派遣を実現したPKO(国連平和維持活動)協力法成立の礎となった。
もちろん続く93年の非自民政権の誕生は衆院選の(直接ではないにせよ)結果を受けたものであり、翌94年の自社さ連立政権は選挙に依らない政党間の合従連衡の結果だった。だが95年の参院選を思い出してほしい。社会・村山富市首相、自民・河野洋平副首相(外相)のいわばハト派色の濃い連立政権は、参院選で自社両党が新進党に競り負け、結果的に河野氏が自民党総裁選への再選出馬を断念、橋本龍太郎氏が後継総裁、そして首相となったことで政権の保守化を進めることとなった。沖縄特別措置法改正をめぐって橋本首相と小沢新進党代表がトップ会談で合意、保・保連合へと政治の潮目が変わったと評された素地はまさに95年参院選にあったのだ。
その橋本自民党が一敗地に塗れた98年参院選はさらに鮮やかだ。直後の金融国会で小渕恵三首相は民主党案を丸呑みすると宣言し、金融再生策で与野党合意案をまとめあげたのは、民主で仙谷由人、枝野幸男両氏ら、自民で石原伸晃、塩崎恭久、そして渡辺喜美各氏らのいわゆる政策新人類たちである。今日に至る大きな世代交代の第一波がそのとき起き、さらに自民党はその協議をテコに民主党を外しつつ、まず小沢自由、次いで神崎公明と自自公連立という新たな多数派を形成した。新たな革袋ができれば新たな酒を注ぎたくなるのだろうか、周辺事態(ガイドライン)法と国旗・国家法という国家理念に直結する重要法整備はその枠組みを前提に整えられたのである。
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V字回復を言うなら8%の支持率に低迷した森政権から80%へ激変した小泉政権のまさに跳躍台となった2001年参院選、逆にその経済改革から国家理念改革へ路線を転換を図ろうとした安倍自民党が惨敗、小沢民主党の生活第一主義へ政治の潮目が変わった07年参院選はもはや説明する必要はなかろう。政権を丸ごとひっくり返した93年と09年の衆院選の変化は単純で明快だが、こうして振り返れば、権力が参院で欠けた多数派を再構築しようと努力するとき、そのエネルギーがいわば触媒となって、連合政治の枠組みを融解・新生し、政治路線や潮目を変え、さらにそれに足る人材が求められて主役の交代、世代の刷新が進んできたと言ってよい。
ならば今次参院選が例外であろうはずがない。いやさらに明確だ。渡辺喜美氏のみんなの党がまず脚光を浴び、次いで枝野幹事長効果で民主党への期待が語られたのは参院選後の変化を先取りしたものとみえなくもない。何より菅直人首相が「自民党案を参考にして」消費税の10%への増税を打ち出したのは、参院選の勝敗によらず、さらに大連立ではないにせよ、2大政党を中心にした新たな多数派−−パーシャル連合構想に早々と踏み込んだものと解釈すべきである。
再び政治文化を大きく変える参院選となるのか。面白く、かつ恐ろしいこの選挙を棄権していいはずがない。
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