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文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100630/1277871033
2010-06-30 13:10
「大相撲野球賭博事件」調査会座長・伊藤滋の正体ーーパチンコ関連団体「」の理事長。なるほど、警察公認の公営賭博(パチンコ)の奨励者だったわけか。しかもこの団体? 警察の天下りの巣窟らしい。大相撲賭博事件を裁けるような人間ではないだろう。
僕が嫌いなものの筆頭は、何事であれ、どんな人間であれ、調子に乗った奴である。最近の「爆笑問題」の太田光の言動が鼻について、うんざりしていたが、同じように考える人間は僕だけではないらしく、「爆笑問題」の「太田が光るが総理になったら・・・」とかいう番組は、不人気で九月には打ち切られるそうである。当然だろう。さて、伊藤滋が「べらんめえ」調で、「大相撲野球賭博事件」の除名処分とやらを発表しているところを見たわけではないが、世間が持て囃すところを見ていると、どうも本人が場所柄もわきまえずに、調子に乗って、分をわきまえない不埒な言動を繰り返しているらしいことが分かる。おそらく相撲というものを軽蔑し、相撲取り、つまり力士というものの存在を侮っているのであろう。しかし言うまでもなく多くの日本人が、「東大教授」や「都市工学」なるものには何の関心もなく、畏怖の念を一片だに持たなくとも、「相撲」や「力士」に対しては、何かしら宗教的な霊験あらたかなものを、つまり民族的な畏怖の感情を抱いていたとしても、少しも不思議ではない。しかし、伊藤滋というこの男には、それが分からないらしい。僕は、南九州で生まれ、そこで育ったからよく知っているが、子供たちの最大・最高のスポーツは相撲であった。僕の小学生時代には、「招魂社」という神聖な場所の一角に土俵が作られ、年一回、多くの観衆を集めて、子供たちから大人たちまで、盛大に相撲大会が開かれたものである。僕も小学校の代表として出場したから、よく覚えている。相撲大会は、初秋に行われるのが通例だったから、夏休みは、毎日、学校で練習に明け暮れたものである。伊藤滋は、「まわし」をつけて、土俵にあがり、塩をまいたことがあるのか。さて、本居宣長は、人間の思考や判断の中核に「物のあはれを知る・・・」ことを置いたが、それは主として、物事を「善悪」を基準にして裁くというものではなかった。むしろ、「善か悪か」というような外国製の倫理道徳、つまり「からごころ」で裁くことを厳しく批判したものであった。言い換えれば、人間の思考や判断には、善悪の基準よりも遥かに深く根底的なものがあり、それが「物のあはれ」であり、「物のあはれを知る」ということであった。それは言うならば、キレイかキタナイかの美醜の感覚であった。言うまでもなく伊藤滋の一連の立ち居振る舞いや言動は、正しく善なるものであるかもしれないが、しかしキレイかキタナイかと言えば、明らかにキタナイと言うべきだろう。相撲を、善悪や真偽を基準に裁断することは出来ない。たとえば、最近、読んだ本によると、ハイデッガーは言うまでもなく、指揮者カラヤンもまた、ナチス党員であり、ヒットラーの前で演奏会の指揮をとっているという。むろん、ハイデッガーの哲学やカラヤンの音楽を、この世から追放処分することは出来ない。
■「痛いテレビ」ブログ
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