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中山研一の刑法学ブログ
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伊達判決の先見性
参議院選挙を前にして、消費税の問題などに論点が移ってしまい、沖縄の普天間基地の問題がもう落着したかのような状況が見られます。マスコミにも、沖縄の基地問題を取り上げる記事はほとんど見当たらず、「沖縄の人の声」はかき消されています。
その沖縄の人の声の中に「基地は要らない、戦争に巻き込まれる」という発言があったことを思い出しましたが、この「戦争に巻き込まれる」という言葉は、かつて1959年(昭和34年)に米軍基地の存在を違憲と断じた「砂川事件」に関する伊達秋雄裁判官(ほか2名)の判決(東京地裁昭34・3・30)の中にすでに存在していました。
「わが国に駐留する合衆国軍隊はただ単にわが国に加えられる武力攻撃に対する防御若しくは内乱等の鎮圧の援助にのみ使用されるものではなく、合衆国が極東における国際平和と安全の維持のために事態が武力攻撃に発展する場合であるとして、戦略上必要と判断した際にも当然日本区域外にその軍隊を出動し得るのであって、その際にはわが国が提供した国内の施設、区域は勿論この合衆国軍隊の軍事行動のために使用されるわけであり、わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ虞は必ずしも絶無ではなく、従って日米安全保障条約によってかかる危険をもたらす可能性を包蔵する合衆国軍隊の駐留を許容したわが国政府の行為は、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日本国憲法の精神に悖るのではないかとする疑念も生ずるのである」。
この危惧は、その後、米軍のベトナム、イラク、アフガニスタンへの派兵と自衛隊の協力によって、より深まっています。米軍基地の「抑止力」の裏側にある問題の深刻さを決して無視してはならないと思うのです。なお、基地貸与協定である安保条約の規定にもない「日米同盟」という言葉がしばしば安易に用いられていることにも警戒的でなければなりません。
by nakayama_kenichi | 2010-06-28 18:04 | Trackback | Comments(3)
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