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2010.6.27(その2) 森田実の言わねばならぬ【574】
平和・自立・調和の日本をつくるために[574]
《新・森田実の政治日誌》[菅政治徹底批判(13)]菅直人氏の本質は、堕落したソフィスト(詭弁家)である/無理念・無思想・無原則・自分さえよければ主義・詭弁のみの政治家人生の根にあるのはエゴイズムである
「エゴイズムは自分への愛ではなくて自分についての混乱した情念である」(アリストテレス)
2010年6月11日に菅首相が行った所信表明演説には、菅政治の本質を解く鍵がある。所信表明演説の中に、菅直人氏の政治家人生において影響を受けた三人の名が出てくる。市川房枝(参議院議員、女性解放運動のリーダー)、松下圭一(法政大学教授、政治学者、社会党右派のブレーン、江田三郎氏に近かった)、永井陽之助(東京工業大学教授、政治学、現実主義の外交論者)である。だが、菅氏が三氏から学んだのは、三氏の「成果」のみであり、「成果」をもたらした三氏の精神を学ぼうとしなかったことは、多くの関係者の証言によって明らかにされている。菅氏は輝いた人の「光」のみをつまみ食いし、「光」を生み出したきびしい「努力と精神」を受け継がなかった。菅氏の人生は、接触した人々を利用し、踏みつけにしたパフォーマンス人生だった。
菅氏ら民主党の詭弁術にたけた小型弁護士タイプの政治家は、古代ギリシアに登場しソクラテスから批判された倫理なきソフィストに似ている。ソフィストとはもともとは知性を意味する言葉だった。しかし、ソクラテスに批判された後「詭弁家」を示す言葉になった。ソフィストは客観的真理の存在を否定し、人間の存在そのものが決定的であると考え、雄弁や論争の技術を重視した。ソフィストにとっては、真理は主観的であり、相対的である。この思想は近代思想の中に生きている。米国のネオコンサーバティブ、市場原理主義・新自由主義のなかで生きている。菅氏らは、こうした理念すら持っていないが「勝ちさえすればよい主義」という低劣な生き方をしている。
菅直人氏は市川房枝氏、松下圭一氏、永井陽之助氏らの成果をつまみ食いし、踏み台にして生きてきた。重ねて強調するが、菅氏は三氏の成果を生み出すための「精神」を学んだのではなかった。菅氏はただ「勝ちさえすればよい主義」を貫いてきた。この間、多くの人々を利用し、裏切り、つまみ食いしてきた。いままた、自分の政権のイメージアップのために三氏の名声を利用している。菅氏の政治家人生には、理想や理念が感じられない。ただあるのは、その時その時を切り抜ける狡猾でトリッキーなテクニックだけである。この底にあるのはクールハートである。ウォームハートではない。
菅政権は冷血主義者を総結集した詭弁・偽善内閣である。
6月15日の参議院本会議の代表質問で、福島みずほ社民党党首から、菅首相は、沖縄普天間問題で、海外・県外への移転を主張していたが、この考えをいつ、どうして変えたのか、との質問に対し、菅首相は、1994年の村山富市首相が日米安保条約について、否定から容認に変わったことを話し、自分自身の方向転換への答弁を逃げた。ここには誠実さがない。
もしも、これが予算委員会での討論の場であれば、このような逃げの答弁は許されなかったであろう。菅首相は窮地に追い込まれたはずである。
民主党が、通常国会最終盤での予算委員会の開催を一度は提案しながら撤回し、予算委員会を開催しなかったのは、予算委員会の総括討論に耐える自信がなかったからだと見られている。首相が予算委員会を逃げるというのは例のないことだ。醜態である。菅首相に問いたい。野党との議論すらできないような、逃げてばかりいる首相など日本には不要である。(つづく)
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- 森田実『東京のマスコミ…は、最初は小沢氏を応援し、次に鳩山氏を支持した。小鳩体制に飽きた時、次に応援したのが菅直人である 仁王像 2010/6/27 10:46:34
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