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現代ビジネス
永田町ディープスロート
2010年06月21日(月) 週刊現代
新総理・菅直人 仙谷 枝野 前原「小沢追放会議」
血で血を洗う権力闘争、その内実
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/724
見えてきた参院選圧勝 あとは亀井をどうするか
菅首相と仙谷官房長官は、小沢前幹事長との対決姿勢を露にした。執念深い小沢氏が、辞任に追い込まれたまま引き下がるわけもない。生き残るのはどちらか。激しい抗争の幕が開いた。
菅首相から「静かにして」と言われ、内心は怒り狂っているはず 鳩山由紀夫前首相の退場から、菅直人新政権の発足へ---。民主党による政権交代の第2幕が開いた。
だがそれは、政権内での主導権を巡る、血で血を洗う激しい権力闘争の幕開けでもある。
鳩山前首相の最後の一撃で、小沢一郎前幹事長は強制的に退場処分となった。世に言う「道連れ辞任」である。小沢氏は事実上、失脚。これを見た民主党のベテラン議員はこう語る。
「これで小沢さんは、おしまい。政治家として消えていく。小沢幻想、小沢神話に振り回されるのも、そろそろ終わりということだ。
自民党で、森喜朗や古賀誠、青木幹雄らのことはもはや誰も気にしていない。同じことが小沢さんの身にも起ころうとしている」
その一方で、小沢派の議員らからは、猛烈な反発が沸き起こっている。
「これは戦争だ。菅内閣が小沢グループを一掃するつもりなら、こちらにも考えがある。菅内閣など、単なる選挙管理内閣に過ぎない。後でほえ面をかくのは、菅や仙谷(由人・官房長官)、枝野(幸男・幹事長)のほうだ」(小沢側近の一人)
民主党を揺るがす権力闘争の一端は、6月9日に行われた、小沢氏から枝野氏への新旧幹事長の引き継ぎ会談からも垣間見えた。
党内抗争の火種を抱えての出発。世論には高支持率で迎えられた 昨年9月、約20年ぶりに奪還した国会内の与党幹事長室を、わずか8ヵ月あまりで退散することになった小沢氏は、表面上、淡々としていたが、内心は腸が煮えくり返る思いだった。
「格下の枝野なんかに、何を引き継ぐんだ。お前みたいな小者に、何ができる。ケッ!」と言わんばかりの尊大な態度。
従って枝野新幹事長との面談は、たったの3分。膨大な資料を枝野氏にドサリと渡しただけの形式的な作業で、小沢氏はそっぽを向いたままだった。
小沢氏に近い議員らからは、さっそくこんな声が聞こえてくる。
「枝野は政策通と言われるが、選挙対策や国対関係など、党務にはまるで詳しくない。結局、居残っている細野(豪志幹事長代理)ら、小沢系の議員に頼らなければ実務なんかできないんだよ。枝野は、引き継ぎで渡された山のような資料を見て、蒼くなっている。参院選までに、ゼロからそれを見直すなんてことは不可能だからな」(小沢グループ中堅議員)
小沢氏から見て、枝野氏は「チンピラ」(同)に過ぎない。そして枝野氏のほうも、小沢氏のことを評価せず、「(自分と違って)弁護士になりたかったのに、なれなかった奴(小沢氏は司法試験に合格することができなかった)」として、陰で蔑んできた。
そのことを、実は小心者の小沢氏は、大いに気にしている。というより、絶対に許すことのできない侮辱なのだ。
「勝手にしろ。お前なんかに、どうせまともに幹事長が勤まるわけがない」
小沢氏は3分で切り上げた引き継ぎによって、枝野氏にそう通告したに等しい。
ただ小沢氏がそうした対応をすることを、人事を決めた菅直人新総理も、仙谷由人新官房長官も、十分に承知していた。
組閣の直前。菅、仙谷氏らが集まり「小沢追放」のための対策を話し合った会議でのこと。当の枝野氏本人が、「私が幹事長で本当に大丈夫なんですか」と就任を渋った。国家戦略相に就任した菅首相の側近・荒井聰氏も、「それでは政権がもたない」と猛反対していた。
「幹事長室は、小沢一派の牙城です。そこに枝野氏が徒手空拳で飛び込めば、嫌がらせやサボタージュで仕事が回らなくなる。枝野氏は『自信がない』と、就任を躊躇していたのです」(全国紙政治部デスク)
小沢のカネの流れを洗え!
ではなぜ、菅首相と仙谷長官は、それでも枝野氏を幹事長に任命したのか。
実は仙谷氏には、小沢封じの"秘策"があった。小沢氏の影響力が残る党と幹事長室を掌握し、コントロールする方法---。それは、従来は国会内にあった幹事長室を、「官邸内」にも設置しようという構想だ。
国会対策を含めた党務の最高責任者である幹事長の執務室は、党本部以外は、通常、国会内にある。小沢氏もその慣例を踏襲し、「モノを言いたい」時にだけ首相官邸に乗り込み、鳩山政権の政策を鶴の一声で左右し、力を誇示してきた。
仙谷氏は、そのシステムを破壊しようとしている。
「小沢氏の力の源泉は、幹事長室、選対、国対の3つ。逆に言えば、ここから小沢氏の影響力を取り除けばいい。そこで、幹事長室そのものを官邸内に移し、菅---仙谷コンビの直轄にしてしまえ、というのがこの構想です。幹事長職を、実質的に官房長官の管轄下に置くことで、枝野氏を仙谷氏がバックアップする。
同時に、選挙もカネも、これから官邸が主導権を握る。党から無用の横槍は許さない。たったこれだけで、小沢氏は丸裸になる」(仙谷氏周辺)
カネのない小沢氏には、何もできない。そのことを一番よく分かっているのも小沢氏だ。だからこそ、小沢氏はあれだけカネに執着してきたわけだが、そのカネを、今度は反小沢グループが掌握したのだ。
「もともと政府側は、前原誠司国交相や岡田克也外相ほか、反小沢・脱小沢系の議員ばかり。今後は、官邸そのものが"小沢追放"の秘密会議の場となる。昨日まで小沢氏が自由に使っていたカネは、これから小沢潰しのために使われる。小沢氏が退場勧告を受けた際、呻くようにして苦しげな表情を浮かべたのも、当然です」(全国紙政治部記者)
そして仙谷氏は、枝野氏には別のある因果を含め、幹事長に送り出したという。
「小沢氏が幹事長時代に使ったカネの流れを、徹底的に洗え、という指示です。少しでも不正なカネの流れがあれば、小沢氏の政治生命を完全に断つことができる。仙谷氏は、小沢一派の息の根を止めるまで、追及の手を緩めないつもりでいる」(民主党幹部)
少なくとも、菅政権の滑り出しは上々だった。発足直後の世論調査で、支持率は66%(毎日新聞)。10%台に低迷した前政権から跳ね上がっている。
政党支持率も、一時は自民党に逆転されていたが、菅政権は自民党にトリプルスコアに近い差(民主38%、自民14%=朝日新聞)をつけており、苦戦が伝えられた予想を覆し、参院選で圧勝する可能性も出てきた。
「菅政権は、鳩山政権の失敗の上に立ってできた政権です。まずは失敗の分析から始めなければならない。鳩山政権は理想論を語り失敗しましたが、今後は、地に足が着いた、安定的な政権運営が求められています」(渡辺周・総務副大臣)
新政権が高い支持を得ているのは、あらためて言うまでもなく、「反小沢」「脱小沢」路線を明確にしたことが大きい。仙谷氏は、枝野氏や前原氏ら反小沢系議員の"総元締"的な存在であり、
「小沢派の議員など、全員落選してしまえばいい」
とまで語っていたほどの、急先鋒。その仙谷氏を懐刀に迎えることで、菅首相は「小沢外し政権」を作り上げたことを、国民に強くアピールしたのだ。
鳩山前政権下で、小沢氏によって逼塞させられていた仙谷氏らは、息をひそめるようにして、この機会をずっと窺っていた。そして、小沢氏退場によって機が熟したと見るや、その影響力を根絶すべく、一気に追い討ちをかけ始めたのだ。
鳩山氏が両院議員総会で辞任を表明した6月2日の夜。彼らは素早く行動を起こした。菅首相はすでに、代表選に勝って総理に就任することを前提に、定宿にしている東京・赤坂のホテルニューオータニの一室で、仙谷氏、枝野氏と向き合っていた。「小沢追放会議」の始まりだ。
仙谷氏らはのっけから、
「この際、徹底した人事を断行して、党を再構築しようじゃないか」
「政治とカネの問題で、しっかりとけじめをつけてほしい」
と、小沢切りを菅首相に強く迫り、了承を取り付けた。これは、前原国交相、岡田外相、野田佳彦財務相ら、反小沢派の「七奉行」が、菅氏を総理に担ぐ上での条件でもあった。
菅首相はこれまで、小沢派にも、反小沢派にも属してこなかった。小沢氏とは折に触れ連絡を取り合い、つかず離れずの絶妙な遊泳術で党内の地位を保ってきた。
ただそれはすべて、「首相になる」という菅氏自身の野望のため。徹底した現実主義者としても知られる菅氏は、反小沢の流れに乗れば総理の座が転がり込んでくると見るや、小沢氏への友好的態度をかなぐり捨て、即座に小沢潰しの行動に踏み切ったのである。
「小沢はボケた」とまで言われ
一方で、その類の政界工作が得意のはずの小沢氏は、完全に出遅れた。6月2日の両院議員総会で、権力の座から強制退去させられた小沢氏は、菅---仙谷ラインが動き出した時、まだそのショックが抜けきらず、動揺の真っ只中にあった。
2日から3日にかけ、小沢氏の携帯電話には、菅首相からかけた電話の着信記録と、伝言メッセージが残されていたという。
「代表選に出馬したいと思います。小沢幹事長にも、一言ご挨拶申し上げたい」
しかし、小沢氏が直接、菅氏からの電話に出ることはなかった。というより、精神的に「出られなかった」というほうが正しい。
鳩山は替える。だが自分は選挙とカネの権限を手放さない。それが小沢氏の描いた理想のシナリオ。ところが、この目論見は前述のように鳩山氏の叛乱で、完全に覆されてしまう。
自身の政治的影響力を維持するため、小沢氏は菅氏に対抗し、自分の息がかかった対抗馬を即座に立てる必要に迫られた。しかし、小沢氏の手元には、"手駒"がいなかった。
「頭は自分ひとりでいい」
そうやって後継者を育ててこなかったことが、この土壇場になってアダとなった。こうした焦りが、その後の小沢氏のすべての判断を狂わせる。
焦燥に駆られた小沢氏は、考えられないような行動に出た。あろうことか、あの田中真紀子元外相を菅氏の対抗馬に立てようと画策したのだ。しかも、あっさりと袖にされたというのだから、面目丸潰れである。
「真紀子さんの自宅まで口説きに行ったと聞いて、小沢氏の正気を疑いました。トラブルメーカーの真紀子氏に、代表や、ましてや総理なんて勤まるわけがない。ちょっと目立つ人間なら誰でもいいのか。小沢氏は谷亮子の立候補といい、今回の真紀子擁立といい、政治的勘が鈍っている。ボケたんじゃないか」(菅グループの民主党代議士)
真紀子元外相は、しつこく口説く小沢氏に対し、「担がれたら、国民に『愚弄している』と思われ、政治生命が終わる」として、断固出馬を拒否した。それどころか、逆に「小沢さんが自分で代表選に出ればいい」と勧めたが、本人は「無理だ」と言って躊躇っていたという。
この一連の経緯をすべて真紀子氏に暴露されてしまい、小沢氏はますます政治的立場を下げてしまった。
お坊ちゃまと見下していた鳩山前首相に足を掬われ、真紀子氏にふられ、菅---仙谷コンビにはいいように翻弄され・・・。幹事長職を失ったショックがあったにせよ、そこにはもはや、政権を裏で牛耳ってきた、"闇将軍"の勢威はない。
菅直人新総理が確定した6月4日夜、小沢氏は配下の議員らと、都内の料理店で"残念会"を開いた。その席上、小沢氏はビールを注いで回りながら、
「(小沢派の支持を得て代表選に出馬した樽床伸二国対委員長は)あと90票で、過半数だった。ちゃんと(得票工作を)やっていれば、過半数もいけた」
と、強気に語ったという。
しかし、集められた若手議員たちの態度は、いかにも冷めたものだった。
「『必ず来い』と動員をかけられたのですが、来たのは80人くらい。小沢さんは不自然にニコニコしていて、気持ちが悪かった。もうキレちゃったのかも。大丈夫かなあ? 『あと90票で過半数』って言われても、代表選の過半数212票は、樽床氏が獲った129票の倍近くでしょ。そんなの無理ですよ」(新人議員)
検察情報と国税情報で
落ち目の小沢氏に対し、仙谷氏らは手を緩めない。「外堀」を次々と埋められているのは、小沢一派のほうである。
反小沢系の中堅代議士が、こう語る。
「選対委員長に就任した安住淳氏も、反小沢派の一人。彼はNHK政治部の出身ですが、自民党政権時代、国政選挙ではNHKの全国世論調査のデータが、自民党に流出していたのは公然の秘密でした。鳩山政権では、それが小沢氏のもとに届いていた。
小沢氏は、党独自の選挙情勢調査も含め、こうした生のデータを他の幹部にも見せずに独占していました。しかし今後は、NHKとパイプがある安住氏が選対委員長になり、枝野氏が幹事長となったことで、それもできなくなる。まともな選挙情勢のデータは、もう小沢氏に届かない」
また、仙谷長官らが、小沢追放の強硬路線に走った背景には、検察審査会の動向もあると見られる。
小沢氏の資金疑惑について審査を続けている検察審査会は、早ければ7月中にも、2度目の議決を下す可能性が高い。1回目の議決で「起訴相当」となったが、その後、検察の再捜査と小沢氏本人の事情聴取の結果、不起訴となった。
しかし、2回目の議決で「起訴議決」となれば、小沢氏は強制的に起訴されることになる。
「弁護士出身で法曹界にネットワークを持つ仙谷氏は、小沢氏の起訴に備え、東京地検が公判準備を開始したとの情報を得ています。小沢派の牙城である幹事長室に乗り込むことを枝野氏が渋った際、仙谷氏がこの強制起訴情報をもとに、『どうせ小沢の政治生命は終わりだ』と説得したのです」(別の民主党ベテラン議員)
菅首相にしても、財務大臣を務めたことで、小沢氏に対して強気に出る材料を得たのではないか、という見方がある。財務大臣が、脱税捜査を行う国税庁を統轄しているのは周知の通り。そのため、「首相は国税庁から、小沢氏の税務調査の結果を得て、首根っこを押さえたのではないか」(財務省関係者)と囁かれているのだ。
いまや官邸そのものが、小沢追放のための秘密会議の場であり、策源地なのだ。次々と繰り出される反小沢派の攻撃の中、小沢氏に残された選択肢はあまり多くない。政治評論家の伊藤惇夫氏はこう語る。
「参院選で菅政権が勝ってしまえば、もう小沢さんの出る幕はない。したがって、サボタージュか、分裂選挙を画策する可能性があります。つまり、自分がこれまで築き上げてきた選挙ネットワークを、枝野幹事長や安住選対委員長には触らせない。そして、自分が擁立した新人候補だけを徹底的に支援するのです」
さらに9月の代表選では、小沢氏が傘下の議員にハッパをかけて集めた、「党員・サポーター票」がものを言う、という見方もある。
「小沢氏は5月までに、党員・サポーターを1000人集めろ、との指示を各議員に出していた。それを忠実に実行していた小沢グループの議員は、実際に1000人以上を集めましたが、小沢氏と距離があった議員は不熱心で、300〜400人ほどしか集めていません。これが、党員・サポーター票が勝敗を左右する9月の正式な代表選できいてくる可能性があります」
(政治評論家・浅川博忠氏)
民主党の党員・サポーターは、現在30万人ほどと言われている。約150人の小沢グループがそれぞれ1000人以上のサポーターを抱えているとすれば、全体の約半数は、"小沢票"ということになる。
「党員・サポーター票の優位を、議員投票で覆すのはかなり難しい。小沢氏の息のかかった候補が、かなりの票を集める可能性はある」(浅川氏)
脱走する小沢チルドレン
しかし、そう目論見どおりにいくのかどうか。鉄の結束を誇っていたはずの小沢グループに、分裂の兆しがあるからだ。
小沢氏が失脚した直後に、"小沢チルドレン"からは、「私は、河村たかし名古屋市長の秘書出身なので"河村チルドレン"」(田中美絵子代議士)など、一斉に「小沢離れ」を強調する発言が飛び出している。
「小沢氏に従っていれば選挙に勝てるし、逆らうと落選させられる。そう思ってみんな我慢して来ましたが、もう小沢氏の顔色を窺う必要がない。菅政権が続く場合、小沢氏の年齢を考えれば、先もない。
仙谷長官は、副大臣ポストを小沢グループに提供しようとしましたが、これは懐柔工作の一環です。選挙が不安な議員を中心に、小沢派は次々と切り崩されていく」
(民主党若手議員)
となると、小沢氏に残された道は、居場所がなくなった民主党を飛び出し、再び野に下る、ということくらいしかない。
一部で注目されているのは、6月11日に辞意を表明した亀井静香氏の動向だ。菅政権は、支持率が65%前後に跳ね上がったのを機に、国会を予定通り6月中旬に閉会し、7月11日を参院選投開票日とする日程を目指したが、郵政改革法案の成立を求める国民新党との軋轢を招いた。
もともと亀井氏は財政拡大論者で、財政再建・消費増税を掲げる菅氏や仙谷氏とはその点も相容れない。
「外国人参政権や夫婦別姓の問題で政権が紛糾したとき、小沢氏が党を割る大義名分が出てくる。そこで亀井氏や自民党の一部、たちあがれ日本など保守勢力と小沢氏が組んで、政界再編に動くことも考えられる」(政治評論家・鈴木棟一氏)
しかし繰り返すが、民主党内の空気は、もはや小沢氏に対して完全に冷め切ってしまっている。
「小沢さんが党を割っても、側近以外は誰もついていかないよ。83人いた小泉チルドレンは、次の選挙で10人になった。新人議員は、自分たちが小沢氏の力でなく、民主党の看板で勝ったことをよくわかっている。飛び出せば落選確実なのに、誰が小沢さんについていくのか。小沢さんはいまや、裸の王様だ。どう転んでも、これでおしまいだよ」
(菅首相の側近議員)
小沢氏は、「民主党には、権力の何たるかを分かっている人間がいない」と嘆き、それを逆手にとって鳩山政権を操ってきた。
その鳩山前首相は、6月9日に近しい議員らが主催した慰労会の席で、「小沢さんが、子どもだった民主党を、大人の政党に変えてくれた。感謝しなければいけない」と語ったという。
そう、民主党は大人になった。小沢氏が見下していた者たちは、小沢氏から権謀術数の何たるかを学び、最後にその小沢氏を、権力の座から引き摺り下ろすことに成功したのだ。
ただ、それでも小沢氏の周辺には、依然として不穏な空気が漂っている。
「小沢さんをないがしろにした報いは、必ず9月に訪れる。最終的に、小沢さん自身が出馬するというカードも残っている。仙谷が人事で切り崩しを図った際も、全員が拒否し、グループの団結の強さもあらためて確認された。菅は、どこまでクビが繋がるのか、戦々恐々としているはずだ」(小沢派中堅代議士)
生き残るのはどちらか。民主党政権の行方を左右する血腥い権力闘争は、これからが本番だ。
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