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れんだいこのカンテラ時評752 れんだいこ 2010/06/20 09:31
【菅政権に対するれんだいこ書簡−和魂洋学に立ち戻れ。その3】
日本史上、敗戦が時代を画することになる。これによって戦前戦後の時代区分けをすることになる。ネオシオニズム問題をこの眼で捉えると、戦前はまだ良かった。なぜならネオシオニズムの国家侵略は未だ各界上層部にとどまり、全体では和魂和才派、和魂洋才派が主力だったからである。つまり、洋魂洋才派が権力中枢の一部を占め、残りを和魂洋才派、和魂和才派と云う構図で三者鼎立していたからである。且つ、ネオシオニズム政権が代々政権を御していたとは云え内部は暗闘していた。つまり思うように易々とはネオシオニズム政策を遂行できなかった。
その戦前日本は世界史的な帝国主義時代の渦に巻き込まれて次第に戦争経済化へ歩を進め始め、詰まるところは各派思惑は違えども洋魂洋才派、和魂洋才派、和魂和才派の三派が戦争政策に一蓮托生し、大政翼賛会体制の下で大東亜戦争に臨み、緒戦優位は束の間で遂にネオシオニズム軍隊たる米英連合軍に完膚無きまでに叩きのめされた。広島、長崎に投下された広域大量市民虐殺の原子爆弾がトドメとなった。
敗戦により戦後日本が幕開けする。戦勝国は戦勝国の支配を容易にならしめるイデオロギーを注入するのが法理であるからして、戦後日本は、洋魂洋学派の台頭を著しくする。和魂和才派、和魂洋才派を駆逐し洋魂洋学派であらずんば人でなしの風潮を生むことになる。これにより、戦前の皇国史観イズムは戦後民主主義イデオロギーに転換され、これが新たな神祇となった。この時点で日本は洋魂洋学派の支配する国になる筈であった。
しかしながら歴史は摩訶不思議である。ネオシオニズムのエージェントとして送り込まれたマッカーサー将軍以下、ニューディーラー派と呼ばれる初期のGHQ将校が、「或る種の理想的社会主義国家」を求めて、ネオシオニズムの支配戦略から見ても「行き過ぎ」の左派政策を遂行する。これにより日本左派運動は空前の盛り上がりを見せて行くことになる。この風潮下で戦後憲法が制定され、ネオシオニズムの範疇に納まらない戦後民主主義イデオロギーが育つことになった。
ところが戦後世界は次第に冷戦化し始め、それと共にマッカーサー政策が掣肘され始める。ニューディーラー派が駆逐され、マッカーサー将軍が左遷され、これにより振り子は再び古典的ネオシオニズムの統制下に戻ることになる。この時代の政権を担ったのが吉田茂率いる自由党であった。この時代に戦後日本は主権を回復する。但し、日米安保条約受け入れを余儀なくされる。これが後々の火種となり今日まで至っている。自由党政治は、洋魂洋学派、和魂洋才派、和魂和才派の三者鼎立を特質としており、これにより再度ネオシオニズム派と在地土着派との水面下抗争が開始されることになる。大ざっぱではあるが、戦後直後のGHQ政治、戦後政党政治の動態をこう捉えるべきではなかろうか。
以下、政治闘争の面に特化して見て行くが、実際には政治、経済、文化、思想、競技等々の全戦線で同様の抗争が立ち現われる。これらの全てを確認するのは煩雑になるので政治闘争の面のみ採り上げる。
戦後間もなくの時代は、廃墟となった戦後日本の再建こそ眼前の政治課題であった。この時、国難に立ち上がり有能な働きを為したのは和魂和才派、和魂洋才派であった。かくして洋魂洋学派と合わせた三派が戦前同様に戦後日本政治を担うことになった。GHQ直接統治後の1950年代、続く1960年代、1970年代の三十年間、戦後日本を統治したのは、和魂和才派、和魂洋才派、洋魂洋学派が玉石混交する自民党権力であった。
1955年、政界大編成が行われ、共産党は徳球系から宮顕系へ、社会党は左右両派が合同し、保守系の自由党と民主党が合同し自民党を創出する。これを55年体制と云う。55年体制下では、共産党の政権取り運動が止み、社会党が万年野党運動に堕し、つまり日本左派運動の系譜で政治責任を担う意思と能力を持つ党派が不在となる。成り行き自民党が政府を構成し政治、政局を御して行くことになった。これを自社二代体制とも云う。れんだいこ史観によれば、この背後に働いていたネオシオニズムの国際政治力を見て取る必要があろうと云うことになる。
自民党政府権力の内部拮抗の中で台頭したのは吉田茂を開祖とするいわば戦後保守内ハト派であった。ここが面白い。この系譜は、吉田茂、池田隼人、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳、鈴木善幸と続いて途絶える。この時代に戦後日本は見事に再建復興され、世界史上奇跡と云われる高度経済成長時代を築いた。1970年代半ばの時点で、日本はアメリカに次ぐ国富を持ち、このまま進めば「ツモローイズbP」の勢いを見せつつあった。2010年代の今日の日本が幾ばくかの余命を保っているのは、この時代に蓄えられた国富のお陰である。今それもハゲタカファンドに狙われ次々と蚕食され骨川筋衛門にされてしまった訳ではあるが。もはや郵貯資金、各界の積立資金以外めぼしいものは見当たらない。今それが狙われている。
この時代の日本を検証せねばならないのではなかろうか。戦後保守内ハト派政治は田中角栄政権時代に頂点に達するが、れんだいこ史観によれば紛うことなき左派政治であった。左派政治と云う表現が嫌な方に対しては人民大衆政治と言い換えても良い。この時期の日本人大衆は等しく善政のおこぼれに与っている。
日本列島は各地で都市と農村の有機的結合化に向かっており、今日的な疲弊なぞ有り得べくもない。ほんの例外を除き国債は発行されておらず消費税も導入されていない。日本列島は各地で公共事業に沸き、これにより社会資本が整備され、これを背に大中小零細企業が旺盛に事業展開し、日本はうなりを挙げて技術立国化しつつあった。雇用、医療、年金が確立され、高福祉社会を実現しつつあった。
内治政治に対する有能さは外治政治にも表れた。日中国交回復、日ソ交渉、西欧各国との対等外交、アジア諸国との友邦外交、アラブ諸国との友好親善等々目覚ましい活躍をしている。つまり、日本型社会主義と規定できる質の善政政治に向かっていたことになる。今日からみれば驚きの自主自律外交を展開している。これを日米安保体制下で押し進めた田中政権は、その矛盾故にいずれ手酷いしっぺ返しに遭うことになる。これについては次章で述べることにする。
興味深いことは、戦後保守内ハト派政治を支援していたのが和魂和才派、和魂洋才派であった。各界の有能士が現われ、阿吽の呼吸で活躍していた。その後の日本は、この有能政治、社会を絞殺して行くことになる。この時活躍したのが洋魂洋学派である。和魂和才派、和魂洋才派、洋魂洋学派の識別史観で捉えると、こういうことが見えてくる。恐らくこう云う風に捉える史観はなかろう。れんだいこ史観と云う所以がここにある。この史観に照らすと、これまでの善人が悪人に悪人が善人になる。名宰相が売国奴に諸悪の元凶が有能士になる。学問を机上ではなく市井でせねばならない理由がここにある。
戦後からこの時期まで日本左派運動はかなり隆盛していた。しかしながら、体制転覆ないしは体制批判一辺倒でやり過ごし、日本史上の和魂和才派、和魂洋才派、洋魂洋学派の暗闘に対して余りにも無頓着であった。否むしろ洋魂洋学派と気脈を通じて和魂和才派、和魂洋才派及びその政治を排撃するのに忙しかった。これに違える例があるとすれば、60年安保闘争の岸政権打倒運動であったであろう。かの闘いにより、洋魂洋学派のネオシオニズム政治を排撃し、その後約二十年間を和魂和才派、和魂洋才派を主流とする政治をもたらした。これに貢献した60年安保闘争の意義、特にブント全学連の闘いは称賛されるに値するように思われる。
だがしかし、その後の日本左派運動は、穏和派は穏和なりに急進派は急進なりに60年代、70年代を領導した戦後保守主流派のハト派政治時代に最も激しく反政府運動を展開し、タカ派政治時代になると逼塞する。本来は逆にならねばならぬところ、こういう本末転倒的役回りを演ずると云う愚挙を見せている。これをどう総括すべきだろうか。日本左派運動は、この辺りを総括せずんば明日はなかろう。その明日のないままにここ二十年来やり過ごしているように思われる。今一度軌道を転回せねばならないのではなかろうか。この見立てが、れんだいこ史観の本領であるえへん。
2010.6.19日 れんだいこ拝
れんだいこのカンテラ時評753 れんだいこ 2010/06/20 16:37
【菅政権に対するれんだいこ書簡−和魂洋学に立ち戻れ。その4】
1976年のロッキード事件は、金権腐敗政治の元凶としての角栄政治の訴追運動として正義ぶられたが、実は戦後世界を支配する国際金融資本帝国主義ネオシオニズムによる戦後復興してきた和魂和才派、和魂洋才派に対する断固たる鉄槌事件であった。首相辞任後も和魂和才派、和魂洋才派のドンとして日本を未曽有の発展に向けてリードし、政治的影響力を温存していた角栄を標的にして政界追放を狙う国策謀略疑獄事件であった。こう捉えないとロッキード事件の真相が見えてこない。
この時、ネオシオニズム派の代弁政治評論家として立ち現われた立花以下その他のジャーナリスト、これを提灯したジャーナリズムこそ今日的腐敗の嚆矢であろう。ところが、こういう手合いほど正義ぶる癖があるので始末が悪い。ロッキード事件を廻って未だに角栄の政界追放是認論を説く自称インテリの一群が存在する。「信の置けない評論家」として確認すべきだろう。
結果的に、この事件騒動を契機に戦後保守内ハト派は政治的地位を追われ、代わりにそれまで冷や飯を食わされてきた戦後保守内タカ派が台頭し我が世の春を謳歌し始めた。1970年代の派閥で云えば、前者が田中派、大平派、後者が福田派、中曽根派、三木派となる。田中派、大平派は落ちぶれ、福田派、中曽根派が主流派に転じ、田中派、大平派の内の日和見派がその配下で利権の裾分けに与るようになる。竹下−金丸派は田中派解体に向けてネオシオニズム派の策動により創成された便宜的派閥であり、その功により約束通り一時ながら権力が与えられたが、用済みとなった時点で冷酷に処分失脚させられた。
野中幹事長権力はこの時代のものである。今彼が悔いているのか居直っているのかは分からないが、先だっては貴重な官房機密費漏洩証言をして、「政治とカネ」に正義ぶるマスコミに「言論とカネ問題」を突き付けた。これにより政治評論家の売弁売文ぶりがあからさまにされた。今に至るも新聞各社ともこの問題を採り上げていない。そして相変わらず「政治とカネ問題」で小沢派を叩き続けている。キタナイと思うのはれんだいこだけだろうか。これを暴露した野中幹事長の政治的狙いが様々に評されているが、竹下同様に政治的役廻りの軌跡を「われ万死に値す」と評したうえでの贖罪的証言ではなかろうか。れんだいこは、そう解釈している。
留意すべきは、戦後保守内タカ派が主流派になって以来、戦後日本はバブル経済、国債刷りまくり、重税化方向に誘導され、公共事業の栓が閉められ、他方で貧富格差を生みだしつつある。日本の伝統的「上が下を思い、下が上を思う思いやり」精神が奇形化され、教育が荒廃させられ、世界史上頓馬天狗と云われる経済成長自絞殺時代を築き、今日の無惨な日本へと至っている。この間絞りとれらた国富は天文学的でなものと推定されるが、未だ実態が明らかでない。自衛隊は常時出動でいつの間にか世界各地へ派兵されている。やれ戦争協力金、復興支援金、思いやり予算等々の名目で底なしの軍事出費を強いられ続けている。これで国が逼塞しなければしない方がオカシかろうに。
この政治過程に旧主流派の田中派、大平派が指を咥えていた訳ではない。但し、公家集団と云われた大平派からは特段の動きが為されていない。やはり頼りになるのは田中派の系譜である。二階堂派は筋を通したが政界の表舞台からは遠ざけられた。次に乱を求めたのが田中チルドレンであった。田中チルドレンは様々に分岐するが、その主力は小沢派である。小沢政治と田中政治は必ずしも同じではないが、戦後民主主義的統治制度を是として、その受肉化を図ろうとしている点では一致している。ここで仮にれんだいこ史観の如く戦後民主主義的秩序をプレ社会主義的なものと位置づければ、これを擁護しつつ戦後政治を担ってきた政府自民党ハト派は捩れているものの実は左派であったことになる。そういう目で見れば、政府自民党ハト派時代に多くのかっての転向左派が集っていたのも不思議ではなくなる。
この系譜が現在逼塞させられており、現代政治では唯一小沢派が生き残っている。これに国民新党、社民党が繋がろうとしている。この系譜は左派と云うより或いは日本古来よりの伝統的和合政治の継承派と捉えるべきかも知れない。和魂和学、和魂洋学派であることは間違いない。この灯を消すな、否護れ、否再度政界主流派に転じさせよ、これが日本政治の今後の軌道になるべきであろう。
さて、その小沢派がかって自民党を飛び出し、政権交代を掲げて細川政権を誕生させ、羽田政権を経て潰えた史実を遺している。小沢派は以来、冷や飯を食い続けてきた。紆余曲折の末、自由党を立ち上げ、更に紆余曲折の末、民主党と合同する。その民主党が昨年の2009年、再度政権交代を実現させ、鳩山政権を誕生させ、つい先ごろ鳩山政権は管政権へと移行した。ところが、鳩山政権から管政権への移行過程で「小沢パージ」が目論まれ、小沢は初めて無役にされた。これが現下の政治情勢である。これをどう読むのかが問われている。小沢派の終わりか、雌伏か、捲土重来があるのかないのか、「小沢パージ」の流れは是か非か等々、論者の見識が問われている。
もとへ。こうしてロッキード事件以来再び洋魂洋学派にあらずんば人に非ずの時代を迎えているが、これも歴史の摩訶不思議なことに、丁度この時代になって洋魂洋学派の正体が暴露されつつある。かって、幕末維新−明治維新以来、文明開化の名の下に洋学摂取が進んだが、その洋学の実態はまともな西欧学ではなしにかなり歪んだネオシオニズム学の押し付けに他ならなかったことが判明しつつある。1980年代初頭の中曽根政権以来、これに疑問を覚えることなく受容した粗雑な頭脳の者のみが登用され、政財官学報司の上層部に住みつき、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの御用聞き政治に忠勤するという痴態を晒し続けている。粗雑な頭脳と性悪の者が権力を握って、日本の為にならない政治を為になると勝手に思い込んで権力を行使している。
こういう政治家は居ない方が国益になるのだが、名宰相、実力派政治家として持て囃される。この時代を如何に止めさせるのかが問われているが、権力中枢の政官財学報司の六者機関中枢がネオシオニズム派に壟断されていることにより、常に事態が逆に喧伝され続けている。これにより、この複雑な政治構造式が解明できず、ネオシオニズム派の我が世の春を許したままの政治が続いている。
2009年、民主党連合政権による鳩山政権を誕生させ、菅政権へとバトンタッチされたものの、菅政治を見ると新たなネオシオニズム派政治を敷設しつつあるように見える。鳩山政権創出前の公約は「子供手当」を除いて何一つ実行されず、郵政再改革は先送りされ、高速道路無料化公約は、経済刺激策として予定されていたものの経済刺激にならない範囲でのみ部分的に実施されると云う変態政治が罷り通りつつある。唯一実施された「子供手当」も、消費税再値上げの導入の口実として利用されつつある。菅政権は、目前の参院選に、何の必然性もないのに消費税再値上げを政治課題に押し上げ、口先では参院選の勝利を云いながらその実は水を浴びせ民主党敗退のレールを敷きつつある。
この政治現象をどう評すべきであろうか。れんだいこは、今や国会は、政治を遊びに弄ぶ政治ピエロの巣窟と化しているのではないかと思っている。ネオシオニズム派政治に異議を唱え続ける小沢派政治、国民新党政治、社民党政治が今や僅かの希望である。しかしながら、この三党でさえ、れんだいこのメガネに叶わない。この三党を左バネで補完する真の人民大衆党が必要であると思っている。そういう意味で、左バネとしての新党創出を廻って日本政治は新たな胎動期を迎えていることになる。残念ながら、久しく無為な時間を浪費しつつあると云うことである。この認識を共にせんか。
2010.6.20日 れんだいこ拝
れんだいこのカンテラ時評754 れんだいこ 2010/06/20 17:05
【菅政権に対するれんだいこ書簡−和魂洋学に立ち戻れ。その5】
さて、ここで尊徳先生の出番となる。漸く戻って来れた。ここまで整理しないと、今なぜ尊徳思想が必要なのかが見えてこなかったからである。今はっきりと云える。ネオシオニズム派により仕掛けられている日本凋落、解体、分割統治の悪夢のワナの仕掛けから抜け出す為の叡智として、今こそ尊徳思想が復権されねばならないのではなかろうか。尊徳思想の目線は人民大衆に厳しいが温かい。人の何たるか、世の何たるかを弁えて、辛い甘いの手綱宜しく日本改造を指針させている。れんだいこが思想だと云う所以である。
その中でも、れんだいこがハタと膝を叩いたのは、今で云う起業家、経営者の窮状に適宜な立て直し基金を貸し付け、立派な納税者として再登場するよう救援していることである。決して今時の無償給付金の方法は採っていない。何事も一味違うと云うべきだろう。まず民力を向上させ、その納税増を通して国家再建を図ると云うグランドデザインも打ち出しており素晴らしい。現在の日本の政党で、尊徳思想に基づく政治をはっきりと指針させているところはない。あるのはネオシオニズム派の御用聞きの一番手二番手を争う政党ばかりである。これでは幾ら投票権を得たとはいえ、投票に行くことが空しい。
その尊徳思想は戦前の皇国史観に取り入れられ、皇民教育に利用された経緯があるが為に戦後民主主義時代を迎えるや仕舞いこまれた。戦前は恐らく殆どの小学校に立像されていた二宮金次郎像は、戦後になると意図的故意に取り壊された。よってれんだいこの如く尊徳思想を知らぬままに還暦を迎える者が殆どとなっている。しかし、尊徳思想を知った今、これを称揚せずにはおれない。戦後教育が天皇制皇国史観を説かなくなったことは良いとしても、尊徳思想を消す必要はどこにあったのだろうか。れんだいこには解せない。察するにネオシオニズム思想から見て好ましくなかったと云うことではなかろうか。
ところで、尊徳と同時代の農政家として大原幽学が居る。尊徳ほど知られていないが大変な人物である。れんだいこ評によれば、尊徳が幕末日本の世直し右派とすれば幽学は左派に位置する。二人は鮮やかな対比を示している。れんだいこには両者とも興味深い。この二人と、もう一人の同時代の天理教教祖・中山みきの生き様とを合わせ、幕末日本に咲いた有能の原日本人的土着思想の質の高みを確認してみたいと思う。
公認歴史教本はこういうところを教えない。故に自力で学ぶしかない。これらの教学が共にネオシオニズム学といかに対極的なそれであるか、ネオシオニズム学の虚妄に比して如何に有能な実用学であるのか、ネオシオニズム学の闘争理論に比して如何に共生理論であるのか、21世紀時代の学問としてどちらが採り入れられるべきなのか、こういう関心をもって追跡してみたいと思う。
興味深いことは、日本史は政治舞台の重要な局面になると地霊とも云える縄文的な知性が湧出し回天運動を起し、あるべき姿に戻すことである。最近の例では、戦後日本の再建エネルギーがそうであった。その前には幕末維新を引き起こしている。その前は戦国時代から織田、豊臣、徳川政権への回天である。その前は云々と辿るとキリがないので控えるが、日本はこうして神州としての自律自存を確保してきた。ここで云う神州とは天皇制と云う意味ではない。もっと奥行きが深く天皇制をも包摂する縄文的神州思想と理解した方が正確である。この点でネオシオニズに籠絡された形で始発した近代天皇制をもって天皇制の有るべき姿と勝手に鼓吹する下手な右翼は恥じて口をつむらねばならない。戦後のネオシオニズム化された拝金右翼は云わずもがなである。
さて、今日本は再び回天運動が要請されているのではなかろうか。既に地霊が動き始めているのではなかろうか。それは間違っても、菅政権が向かおうとしている方向ではない。逆の路線である。れんだいこには、この足音が聞こえる。多くの同志が立ち上がり、かってと同様に倒れ、続くであろう。我々にはこの道しか残されていない。それで良いのではなかろうか。今尊ぶべきは義民思想ではなかろうか。下手なイデオロギーを振り回さず、日本古来のたすけあい精神に則り尊徳思想的経世済民の道を尋ねて行くべきではなかろうか。救国、救民族共同戦線の広域ネットワークを構築し、この難局に立ち向かうべきではなかろうか。消費税増税の道は間違いなく滅びの道であり、ゆめ騙されてはなるまい。
2010.6.20日 れんだいこ拝
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