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れんだいこのカンテラ時評751 れんだいこ 2010/06/19 11:38
【菅政権に対するれんだいこ書簡−和魂洋学に立ち戻れ。その2】
そういう結構な尊徳思想がありながら、その後の日本は幕末維新−明治維新期に遭遇するや在地土着思想を卑下してかなぐり捨て西欧主義的文明開化の道へ向かった。そのこと自体は時代の趨勢であり非ではないのだが、今から思えば和魂洋才で摂取すべきであったところ、この時期のいわゆるエリート族がこぞって洋魂洋才に向かった。かって我々の先祖が漢学、天竺学導入の際に日本学の枠中に導入し見事に咀嚼したように西欧文明を吸収すれば良かったのに残念ながらできなかった。
幕末維新−明治維新以来の文明開化は、和魂和学、和魂洋学を捨て洋魂洋学方向へ舵を切った。これにより祖国と民族のアイデンティティーを失ったインテリゲンチュアを粗製乱造して行くことになった。明治以前以降のインテリの質の差はこれによると思われる。これに悩んだ夏目漱石は相当の智者であったと云うことになる。悩まなかったその他大勢のインテリゲンチュアの軽薄性を知るべきではなかろうか。
洋魂洋学派は概して知能が低い。それが証拠に、文明開化の名の下にテキスト化されていたのが西欧文明一般ではなくネオシオニズム思想に基づく学的体系であったと云うのに、それを見抜けぬままネオシオニズム思想を西欧文明一般であるかの如く錯覚させられたまま吸収して行った。そういう頭脳でしかなかったと云うことであろう。
かって戦国時代に於いては、バテレンによって布教されたネオシオニズム思想に対し、神主僧侶を知的階級として庶民レベルまでも、その一神絶対教の非を問答して応答し、日本宗教の多神多仏相対教の是を逆に説いている。これにより、バテレン教は他の諸国ほどの広がりを見せなかった。バテレン教の流行るところ多くの神社仏閣が焼き打ちされたが、神主僧侶側は更なる策動を許さなかった。日本の在地土着的な神々信仰は揺らがなかった。
当時の最高権力者となった豊臣秀吉は英明にもバテレン教の奥に潜む日本植民地化の動きを察知し、宣教師追放令で取り締まった。後継政権の徳川家康も又その政策を継承した。三代家光将軍の時に鎖国が完成するが、長崎の出島での往来のみ許した。何事にも一長一短あるので鎖国是非論は難しいが、日本植民地化の危機を未然に防いだことは確かである。欲を云えば、これで良しとせず、引き続いて世界の事情にアンテナを張り続けるべきであったであろう。ネオシオニズムに対してはそれほど警戒すべきであった。
それはともかく、かくして太平の世が訪れ約250年続くことになった。その平穏が黒船来航と共に破られた。この時、ネオシオニズムが再上陸したことになる。そういう意味で、幕末の黒船来航は、日本史上初めての過去に例のない日本溶解的目論見を持って登場した異思想の本格的来襲であったことになる。大いに警戒せねばならなかったが、これに気づく者は少なかった。さすがにと云うべきか孝明天皇及びそのブレーンが逸早く的確に見抜き、公武合体による攘夷運動を盛り上げて行った。但し、攘夷運動の精神的支柱として采配を振るおうとしていた孝明天皇は暗殺され、これに呼応した第14代将軍・徳川家茂も毒殺される。当時の朝廷、幕閣内へのネオシオニズム派の容喙を見て取るべきであろう。
以降、幕末維新、明治維新の底流にこのネオシオニズムが一層浸透し続けて行くことになった。ネオシオニズムの危険性は、在地土着の有能の士を次から次へとテロって行くことでも認められねばならない。今、坂本竜馬ブームであるが、竜馬暗殺はネオシオニズムの線からも洗われねばならない。どういう訳か、ここに目が向かわない詮索ばかりが流行っている。やれ新撰組説、見回り組説、薩摩藩説、紀州藩説、土佐藩説等々があるが、内戦化でひと儲けを企てていた目論見を大政奉還でくじかれたネオシオニズム派による粛清説の線も洗われるべきではなかろうか。
やがて明治維新を迎えるが、明治維新期の薩長門閥の殆どはネオシオニズムのエージェントである。この時期、維新政府内は在地土着派とネオシオニズム派が暗闘する。征韓論争を経ての西郷派の下野、続く各地での士族の反乱、最後の大決戦たる西南の役に於ける反政府闘争とは、幕末維新以来の継続革命を夢見る在地土着派のネオシオニズム派政権に対する抵抗であったと捉えねばならない。かく捉える史観がなさ過ぎよう。俸禄を失った士族の復古的な不平不満運動などと捉える評は余りに平板化していよう。
西南の役後の日本は、ネオシオニズム政権により着々と日本帝国主義化の道へ向かわしめられた。薩長門閥政治はこの頃の政治を云う。ネオシオニズム政策の向かうところ必ず国内収奪、海外侵略即ち戦争の道になる。日本は態良くネオシオニズムの駒として使われ始める。日清、義和団事件鎮圧出兵、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦へと行きつくことになる。
時代は明治、大正、昭和へと続く。この間、反戦派の大正天皇は押し込められ、近代史上未曽有の不敬事件が発生している。これにより軍部が著しく台頭し始め、国家予算の半分を軍事費が占めるようになるほど奇形化して行くことになる。ご多分にもれず国債が刷り抜かれ悪循環に陥る。日本帝国主義は国内の疲弊打開と戦果を求めて中国大陸を徘徊し始める。
ところが歴史は摩訶不思議で、日本帝国主義は定向進化し続け次第に自立化し始め、天皇制イデオロギーのみならず被植民地化されたアジア諸民族の解放まで鼓吹し始める。満州国の建国辺りが節目となるように思われる。これに応じて次第にネオシオニズムとの権益紛争を起すようになる。その挙句として第二次世界大戦に誘いこまれ、やむなく大東亜戦争へ突き進み、結果的に敗戦を余儀なくされる。見ようによっては豚の子戦略で太らされた挙句召しとられた格好となる。明治、大正、昭和20年史の歴史ベクトルはおおよそこのように回転したのではなかろうか。れんだいこ史観によればこういう観方ができる。
それはともかく、この時代、ネオシオニズムの日本政界壟断の動きは政界上層部のそれであった面が見受けられる。何となれば、一般の人民大衆レベルではこの時期に於いても在地土着的な生活規範が根強く機能していたように思われる。幕末攘夷思想の大本となった水戸学、伝統的な神仏信仰、幕末新宗教、尊徳思想等々が脈々とあるいは細々と活きていたと思われるからである。これを是と見るか非と見るか、その歴史観が問われているように思われる。
2010.6.19日 れんだいこ拝
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