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http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/c8d99f397879319a5b8a8f624df533e3
2010-06-18 19:24:00
小沢氏の「政治と金」に関する検察の捜査は、昨年3月3日大久保秘書逮捕にはじまった。検察のこの見込み捜査がなければ、小沢氏が民主党の代表のままであったはず、総理大臣になった人物である。
だが、以来、一年余りの間に、マスコミは小沢氏の「政治と金」にまつわる話をスキャンダラスに報道して、小沢氏の評判を貶めた。小沢氏は民主党の代表を降り、幹事長も辞任して、遂にひらの議員になった。
世界の先進国のなかで、官僚(検察)が政治を動かすのは日本くらいである。さらに醜悪なことに、検察とマスコミが一体化して政治を左右している。
「職務上知り得た秘密を漏らしてはならない」とは検察にとって表向きに過ぎない・・・個人が守秘義務に反すれば罪に問われるが、「法を遵守すべき」が職務であるはずの検察が、「守秘義務」をないがしろにしているのが、民主主義?の国、日本である。
検察は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪を捜査することができる。
検察は、具体的な犯罪事実があるかどうかは別にして、「必要と認めるときは、自ら捜査することができる」ということらしい。
「必要と認めるときは、・・・」とか、「何人でも、犯罪があると思料するときは・・・」というのはクセモノである。今回の小沢氏秘書逮捕は、「犯罪事実が特定されないままに」、まさに検察の思惑で秘書らを逮捕拘留し、徹底した家宅捜索が行われた。
人間は何人も誤りを犯す、検察が無謬であるわけがない。検察の裁量で「疑わしきは捜査できる」がまかり通れば、「検察にとって不都合な人間」をいつでも誰でも罪に陥れることができる。
検察は、あらかじめ自分たちの描いたストーリーに従って強迫的な取調べを行うために冤罪を生む要素を多分に孕んでいる。現在進行中の大阪地裁の郵便不正事件の検察捜査のデタラメ振りは、常軌を逸している。
彼らはたとえ冤罪を生んだとしても、検察がその責任を取ることはない。
菅谷さんの冤罪事件にしても、菅谷さんは無罪を勝ち取ったものの、失われた17年間に対する検察側は誰一人として懲役刑をうけて刑務所送りになったわけではない、ただ一回だけの謝罪ですませている。せいぜい「スミマセン」で済ませるのが、検察の世界である。
この世の中でリスクを負わないビジネスはないが、検察(官僚)ってのはリスクを負わない商売だ、だからやりたい放題。
小沢氏の秘書大久保氏の西松献金問題裁判は無罪となり、石川議員ら3名の、政治資金規正法違反(虚偽記入)の裁判も無罪もしくはせいぜい記載ミスによる微罪になる可能性が高い。しかし、この間に3人が受けた逮捕拘留に対して検察側は何らの責任を問われることはない、無責任である。前述したように、この間、小沢氏は民主党代表の座を降り、幹事長を辞任し、ひらの議員になった。
結果的に、検察の裁量(それにマスコミが同調して)で政治を動かしている。民主主義は主権在民と言うが、日本の民主主義の上に検察が君臨している、民主主義国家にあるまじきことが日本では平然と行われている。
「やっぱこれって、どこかおかしいんじゃない?」という感覚を日本人は持ちあわせていない。ヨーロッパのように「命と血を流して獲得した民主主義」でなはないからやむを得ないのだろうか。
民主主義を取り戻すには先ず、官僚改革は検察からだと思う。三権分立とは、日本では表向きの大義名分に過ぎない。
「政治は司法に介入すべきではない」は一応正論だが、日本は、逆に「司法が政治に介入してる」という「妙ちくりん国家」である。
参考:
検察の横暴を許す日本の民主主義は根付いていない (2010.05.14)
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/790c4c24724794bea6cfb749b47b8fa9
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