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http://www.pjnews.net/news/490/20100617_5
金融庁大臣「第二会見」に幕、亀井氏辞任とオープン化で
2010年06月17日 09:53 JST
最後の「第二会見」となった大臣就任会見(撮影:高橋清隆、2010年6月8日)
【PJニュース 2010年6月17日】亀井静香前郵政改革・金融担当相が大臣就任以来続けてきた金融庁「第二会見」が8日を最後に終了した。後任の自見庄三郎氏が開く会見に、記者クラブ側が非加盟メディアを受け入れたため。
「第二会見」はフリー記者から会見に参加できない実情を聞かされた亀井前大臣が、閣議後の記者クラブ主催の会見の後、もう1回大臣室で開いてきたもの。就任直後の昨年10月6日からおよそ8カ月間、56回にわたり、会見場に入れない記者たちの質問を受けてきた。
金融業界紙をはじめ自動車専門誌や写真誌などの記者、フリージャーナリストでは須田慎一郎氏や岩上安身氏などが常連として参加したほか、仕掛け人の上杉隆氏や大川興業の大川豊総裁も出没した。奇想天外な問答を載せる金融庁のホームページは、ネット上でも話題を呼んできた。
この会見には大塚耕平副大臣と田村謙治政務官も同席し、コーヒーが振る舞われた。砕けた雰囲気から、数々の名言や問題発言も飛び出した。「(郵便局で)ソープランドを経営したって」「亀井静香をCIAが暗殺しない限り、アメリカの言う通りにはならない」「国民の相当数が大脳皮質で冷静に物事を考えられなくなっている」など。
日本の伝統秩序を破壊した小泉・竹中改革への批判はもとより、この路線を踏襲するマスコミにも辛らつな言葉が向けられた。「マスコミが集団発狂している」「財研(記者クラブ)の連中は財務省に洗脳されている」など。豪快ながら的を射た表現は、個性ぞろいの記者たちの笑いを誘った。
過激な発言が度々マスコミに取り上げられるため、少なからぬ参加者が常に大臣の更迭を心配していた。しかし、幕を引かせたのは大臣の辞任。執念を燃やしてきた郵政改革法案の今国会成立見送りに対する責任を取るものだった。
最後の会見は、菅内閣発足に伴う再度の就任会見。皇居での認証式の後、閣議を済ませ燕尾服で金融庁に入ったのは午後11時すぎ。終電を気にしてか、大臣室には10人強の記者しかいなかった。「また続けてやることになったので、よろしくお願いしたい。当面は郵政改革法案の成立に全力を挙げてやっていく」と誓いを新たにしたばかりだった。
もともと「第二会見」は、亀井氏による記者クラブへの抗議の意味合いが強かった。記者への厚い待遇がそれを物語る。会見時間を削られた記者クラブは2月下旬、大臣会見の一本化を金融庁広報室に打診した。拒否の態度を示したフリー記者の意向をくみ、大臣は継続を選んだ。
亀井氏の金融庁職員への最後の指示は、日本振興銀行の行政処分。前会長の木村剛氏は竹中平蔵元金融担当相のブレーンを務め、同行は異例の速さで開業が認められた。木村氏はりそな銀行救済をめぐるインサイダー取引疑惑への関与もささやかれてきただけに、この決定は金融行政の転換を印象づけた。
亀井氏は14日の辞任会見で、もう一度記者たちの前に姿を現した。クラブ加盟・非加盟双方100人近い記者に「本当に皆さん、ありがとう」と立ち尽くした。フリー記者が「会見の開放を大臣が計らってくれたのか」と尋ねると、「こっちが頼んだわけじゃないよ。あなたたちが殴り込んできたんじゃない」とほほ笑んだ。【了】
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