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米国型でも北欧型でもない社会保障の類型 - 日本独自の再分配を(世に倦む日日)
http://www.asyura2.com/10/senkyo88/msg/652.html
投稿者 判官びいき 日時 2010 年 6 月 16 日 20:36:16: wiJQFJOyM8OJo
 

http://critic6.blog63.fc2.com/

新自由主義勢力が推進する三大政策を、@消費税、A道州制、B外国人移民、だと私は規定している。@を実現すれば、必ずAとBへの着手を始める。消費税の増税が、なぜ新自由主義の政策だと規定できるのか。例えば、福祉国家の典型とされる北欧諸国において、世界中で最も高い消費税率が適用されている点を見れば、高率消費税は福祉国家の特徴であって、それは「大きな政府」だから、消費税増税を新自由主義だと決めつけるのは間違いだという批判がある。

私が注目するのは、竹中平蔵が主張した人頭税の導入論で、納税能力に関係なく全ての国民に同額の租負担を求めるという政策思想を、竹中平蔵が衒いもなく開陳して衝撃を与えた。竹中平蔵は、人頭税を冗談ではなく本気で言うのである。すなわち、逆進性の高い税制を社会的公正だと考えるのが新自由主義の特徴で、必ず低所得層に対して重い負担を求め、高所得層に対して負担を軽くしようとする。その思想は、竹中平蔵が指揮をとって設計した(改革した)全ての社会保障政策に一貫していて、具体的には、応益負担の障害者自立支援法がそうだし、後期高齢者医療制度がそうである。

弱者に対して無理で過酷な負担を求める。弱者に無理を押しつけ、弱者の生きる権利を奪いながら、それが公平で公正な社会制度だと嘯く。それが新自由主義政策(=構造改革)のイデオロギー的特徴だ。新自由主義者には理想があり、強者や富裕者が権利と幸福を独占する社会である。

ノージックのリバタリアニズムにある主張は、能力のない者に能力のある者が足を引っ張られる悪平等への嫌忌と拒絶であり、有能な者の拘束のない自由で無限の幸福追求の欲望である。トリクルダウンの発想は、この社会観を基礎に出て来る。一方、戦後日本のシャウプ税制は、竹中平蔵的な新自由主義とは全く対極の思想を持った応能負担のコンセプトで、言わば万人の平等な幸福が志向された社会設計と言うことができる。

松下幸之助は、どこかで、「国に税金を多く払う経営者ほどいい経営者だ」という格言を残していて、毎年の新聞の所得番付(納税番付)の欄の首位に顔を出すのを誇りにしていた。住所を年末にNYに変更して、住民税徴収を逃れる脱税行為をやっていた(いる?)竹中平蔵とは、思想的に根本的な違いがある点を指摘せざるを得ない。新自由主義においては、なるべく多く儲けて、なるべく税金を払わずに済ませるのがよい経営者なのであり、公(パブリック)の観念が著しく後退し歪曲される。新自由主義的な歪な「公」の解釈に走り、公と私が倒錯し、富裕者をさらに富ませるのが法律だと錯覚してしまう。

その錯覚で暴走して失敗したのが堀江貴文だった。新自由主義の思想では、社会には無数の役に立たない無能者がいて、怠惰にダラダラと政府に甘え、有能者が稼ぎ出す冨に寄生して生きていると説明する。こうした連中に冨を奪われないように、応益負担の原則を厳しくし、自己責任の原理を迫れというのが新自由主義者の基本的な主張だ。

逆説的な見解になるが、私は、北欧諸国の高い消費税率についても、何がしか新自由主義的と感じる部分がある。それは、プロテスタンティズムの「自助」の精神(=神は自らを助くる者を助く)の反映という意味である。米国では、言わば完全な「自助」だが、北欧では国家を媒介にした「自助」であり、高い国民負担率で社会保障をサポートしている。一般常識では、新自由主義と福祉国家は対立概念であり、米国と北欧諸国は原理的に対立する社会モデルとして定置され、私もその図式に異を唱えるつもりはないが、プロテスタンティズムと「自助」という観点から問題全体を捉え直すと、また別のものが見えてくる予感を持つ。

と言うのは、国民への社会保障について、全く異なるモデルで提供をしている国家が存在するからであり、米国とも北欧とも違う分配モデルの存在の事実を指摘したいのである。それは、具体的には、ブルネイとサウジアラビアだ。クウェートやUAEもそうかもしれない。石油の取れるサウジでは、国民は無税であり、教育費も電気料金も国家が負担する。同様に、ブルネイも国民への徴税はなく、医療費は無料である。

例外的と言えば例外的だが、豊かな資源を持ち、資源の輸出で莫大な収入を得ているこれらの国では、米国とも北欧諸国とも異なる社会保障制度を敷いている。「自助」の要素がない。偶然かも知れないが、これらの例外的な国々はイスラムの国である。例外的ではあるが、これらの恵まれた国々を社会保障における第三の類型と定義することにしよう。

私が言いたいのは、極論であり試論的な問題提起だが、日本は、むしろ第三の類型を目指してよいのではないかという主張である。70年代や80年代の日本は、むしろ第三の類型を理想としていたのではなかったか。すなわち、世界に冠たる製造業の技術力と品質力の高さ、どこの国も絶対に勝てない工業製品の競争力、それを産出できる国民の勤勉さと教育水準の高さ、それがサウジやブルネイの石油であり天然ガスである。

ブログのコメント欄でも情報が寄せられていたが、現在でも、日本は250兆円の世界一の対外純資産を持っている。資源のない日本が、この純資産をどうやって築いたかと言うと、製造業がエクセレントなプロダクトを海外で販売して得た利益の蓄積に他ならない。これらの工業製品、機械や家電や自動車は、優秀な日本国民が生産したものだ。内橋克人が指摘する海外現地法人の17兆円の内部留保も、大企業の120兆円の内部留保も、国民の福祉や医療や教育のために使っていい国民の冨(Wealth of Nation)だ。

ブルネイやサウジの原油と同じだ。そうではないのか。北欧諸国が「自助」の福祉国家なのは、ブルネイ的な前提条件がないからであり、高福祉のためには高負担が必然だからである。もし、北欧諸国に日本並みの世界を凌駕し席巻する工業生産力があり、圧倒的な技術と品質の競争力があったなら、北欧諸国の企業に内部留保があったなら、彼らの消費税率はもっと低く抑えられるだろう。この問題は、まず高福祉があり、その原資をどこから調達するかという問題なのである。

再分配のあり方は米国と北欧諸国の二者択一ではない。日本のモデルをこの二つのうちのどちらかに決める必要はない。それぞれの国が、それぞれの歴史と伝統を持ち、有形無形の経済的資産を持って生きている。日本は日本独自の高福祉国家を目指せばよいのであり、日本独自の方式を開発して、中福祉から高福祉への移行を模索すればよいのだ。日本はキリスト教の国ではない。プロテスタンティズムの自己責任を問う国ではない。

日本の伝統は共同体主義で家族主義である。そのため、高度に資本主義が発達し、世界一の外貨準備高を持つ経済大国になっても、市民政府が社会保障の責任を持つ国とはならず、それを家族と地域と企業に分担させる社会になっていた。一般に高福祉を保障する市民政府は市民の自助努力が基盤になる。西欧市民社会の伝統は、北欧モデルの理念へと一直線に繋がっている。一方、日本の共同体主義(家族・地域・企業が個を包摂し媒介する)は、西欧型とは体質が異なり、北欧モデルへと直行しなかった。

北欧諸国の福祉国家を普遍的な標準的モデルだと考える立場もあるだろうが、私は、それに依拠し参照しつつも、日本は日本独自の伝統に即して強味を生かせばいいと考えている。家族や地域や企業が社会保障の一部を担い、国家と役割をコーポレイトし、両方で相乗効果を発揮するのが、日本社会においては理想的な社会保障のスタイルではないか。少なくとも、企業や地域が社会保障に無責任で無関心なあり方は正常とは思えない。企業の社会的責任の中には、従業員と家族に対する社会保障があるはずだ。

サッカーのW杯の試合を見ていても、日本には日本の特性があり、チームの作り方があり、日本人の組織の戦い方がある。個々の才能や妙技に頼るのではなく、集団で一体となって和の力で勝つパフォーマンスがある。それぞれの国民にはそれぞれの持ち味がある。オシムは、日本サッカーは日本化しなくてはいけないと言った。日本の特性を極めることで世界で勝てると言った。私はその言葉を信じる。

日本企業が世界経済の中で強力なパフォーマンスを発揮したときの経営の要素は、労使協調であり、現場主義であり、家族主義であり、チームワークだった。労働者と経営者が同じ食堂で一緒に昼飯を食うのが日本企業であり、労働者と経営者の間の所得差が最も小さいのが日本企業だった。現場の労働者の改善提案が即刻採用され、経営の意思決定になるのが日本企業だった。日本企業の労働者は、企業の中の主役であり、個々が経営に参加する意識と自覚を持っていたのである。

15年前、株主は企業の主役ではなかった。価値と冨は全員で生産するのであり、一人一人が力を合わせてそれを生み出すのである。労働者は道具ではなく、不変資本ではなく可変資本で、まさにバリュアブルな存在で、企業の大事な宝だった。だから、日本企業は何より社内教育を重視した。そうした伝統が崩され、新自由主義の時代になり、日本企業は自滅的に力を弱めて勢いを失い、今世紀に入って国際競争力を落としている。もう一度、企業の経営と国家の政策に、新自由主義以前の日本の共同体主義の思想を復活させるべきなのだ。助け合い、励まし合い、全員で目標に達成する日本人の生き方を取り戻すべきなのだ。

税は持てる者が払う。その方が社会が安定し発展する。平等主義のシャウプ税制の方が日本社会に適合している。そうした常識を国民が取り戻さなくてはならない。グローバリズムの新自由主義の荒波の中で、日本人が忘れた常識を思い出さなくてはいけない。自己を取り戻さなくてはならない。消費税論議においては、私はこの点を強く言いたい。

最初の問題に戻って、日本での消費税増税がなぜ新自由主義政策として規定づけられるかを考えると、一つは、従来は企業が責任を受け持っていた社会保障を国民の自己責任に押しつけた点がある。企業が正規雇用を守り、リストラをせず、従業員の賃金と退職金と社会保険負担(医療・介護・年金)を従来どおり守っていたら、5%の消費税が10%になっても、国民一般の負担は小さかったと言える。

消費税の増税分が社会保障給付の質の向上となって返ってくるのなら、国民はその負担に納得しただろう。しかし、日本の消費税増税は、決して社会保障の質の充実として還元されないのである。消費税が20%になっても、北欧諸国のような教育や福祉の水準は実現しないのだ。今回の消費税増税は、財政危機への対応のために行われるのであって、現状の社会保障の給付水準が上がるわけではない。

後期高齢者医療制度すら、選挙前は廃止すると公約しながら、政権獲得後は何の説明もなく反故にされた。政府と民主党は、増税に際しては、「毎年1兆円ずつ膨らむ社会保障費に対応するため」と口実を言うが、増税で増収となった消費税分をそのまま社会保障費に振り向けるとは言わない。一般会計の歳入に繰り入れるだけで、官僚が無駄遣いするだけである。そのカネで、辺野古沖に基地を作り、グアム移転費を米国に用立てる。

「社会保障」は方便であり口実だ。現実には、政府が言う「中福祉」は、年金給付は減らされ、介護サービスも切り下げられ、医療と介護の負担は上げられ、どんどん「低福祉」の内実になっている。その「低福祉」を維持することを名目にして、消費税という負担が引き上げられようとしている。本来、消費税引き上げの提案は、社会保障制度の設計と一緒に行うべきで、昨年の民主党はそのように言っていた。菅直人は、その約束をあっさりと破った。

 

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コメント
 
01. 2010年6月16日 20:53:15: glZuWV6Vws
また、世に倦む日々の妄想か('A`) 。
世に倦む日々が望んでいるように、民主が惨敗すれば、
新自由主義のみんなの党・創新党・新党改革などがキャスティングボートを
握ってしまうんだが。
郵政関連法案も通らなくなるんだが。
また、公明党もキャスティングボートを握ってしまうんだが。
アニメや漫画も規制されてしまうんだが。
公明党がキャスティングボートを握ったら、
右派が反対している永住外国人地方選挙権も成立してしまうんだが。

02. 2010年6月16日 21:25:04: YOUeTkziI3
社会主義、共産主義、資本主義、民主主義の過去の歴史を見ればよい。

いずれの社会でも、貧乏人がほとんど。

 ちなみに、日本人が中流だと、勘違いしている階級は、

海外先進国では、貧乏人クラスですよ。

 海外の中流は、お手伝いさん、2,3人、運転手付きです。


 現在の日本では、貧乏人がほとんどです。

年収換算、1200万円の者がどれだけいるか。


 と言うことは、新自由主義経済も、たんなる看板の掛け違いですよ。

従って、いかに、貧乏人の生活費、医療費、廉価な住宅供給、教育費、等の

所謂、現金ぶち込み策ですよ。

 現金という血液を入れて、流してやるのです。

そうすると、細胞が、活性化する。デフレ解消です。

 国、地方公共団体の税収が、増加する。

お金が、循環するのです。

 一箇所に、カネが貯まるから、全身に、血液が行かない。

供給能力は、機械化であるが、需要が促進しないから、デフレなのです。


 建設業等、投資では、無理だったのは、ついこの間です。

日本経済の問題点は、国内消費の低下が、あるからです。


 老人社会ですから、所謂成熟期をもう過ぎている。

低費用の医療、老人ホーム建設ですね。国が、カネを入れて、

安く入れるように、すべき。雇用も増える。

 金持ちは、有料でいけばいい、カネには、困らないから。

このカネが、現代の核家族形態では、問題なのです。

 世帯構成の変化に、国が政策として、追いついていないのです。

さらに、24時間、育児所の増加をすれば、奥さんも働ける。


 国民、市民の要求する需要に、

 国が、地方公共団体が、供給不足なのです。

 血液を、送っていないから、国内消費が、結局伸びない。


貧乏人の国民が、病気したら困る、倒産したら、クビになったら、

 歳をとって、生活出来るか、心配やから、

  消費に、向かわない。


もう一度いいますよ、


 私のような、資産数十億円保持者は、

 お金持ちには、カネの問題は、ほとんどありません。


みんな、貧乏人は、勘違いしている。アホやから。


しゃあないなあ。


03. 2010年6月17日 12:39:25: DtdutbwPRY
世に倦む日日の主張に共感するところ大である。
示唆に富んだ秀逸な論文だと思います。
民主党の政治的バックボーンの主流が当該論文と
同様の方向にある事を切に願うものです。
企業経営者も今一度日本的経営の特色を振り返り、
人材育成マインドと勤勉さを経済的ストックに変える
伝統的経営に立ち返り、そのための環境作りのため
政治と連携して欲しいものです。
小泉時代に施行された日本的経営を否定した法律に
対する点検作業を行って欲しい。
労働者派遣法の改正は不十分だち思います。
米国からの年次改革要望への服従は地域、企業、家族
などにおける日本的共同体を蝕むものであり、過去に
服従したものの見直しと今後の拒絶を政府に願うものである。
年次改革は国内即ち国民からの改革要望にこそ応えるべきだ。
例えばマスゴミの偏向報道の禁止、検察取り調べの全面可視化、
政教の厳格分離等々だ。

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