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2010-06-14 14:13:28
教育研究者大田堯(つよし)先生の講演を聞いて
最初に大田堯(つよし)先生のプロフィールを以下にご紹介します。
1918年広島県生まれ。 埼玉県さいた市在住。教育研究者(教育史、教育哲学)教育を通して人間研究を続ける。1941年東京帝国大学教育学科卒業。東大名誉教授・都留文科大名誉教授・北京大学客座教授・日本子どもを守る会名誉会長。自宅で教師や父母との学習会を初めて49年。「ほんごう子ども図書館」を開設・運営に関わり、地域の根ざした実践活動も継続。主な著作に、「教育とは何か」(岩波新書)、「教育とな何かを問い続けて」(岩波新書)、「生命のきずな」(偕成社)他多数。(埼玉新聞発行「わたしたちの教育基本法」から転載)
▼ 「教育」とは子どもに寄り添うこと
6月12−13日の二日間埼玉県飯能市にある「自由の森学園」で「2010関東ブロック父母懇交流集会」が開催されて教育研究者大田堯(つよし)先生が記念講演をされました。
「2010関東ブロック父母懇交流集会」のテーマは「学びとは何かを問いつづけてー私学でこそできることー」、二日間でのべ400名以上の父母・教師・生徒の皆さんが熱心に参加されました。
6月13日日曜日午前中10時から大田堯(つよし)先生が記念講演が始まりました。
音楽ホールには200名以上の父母・教師・生徒の皆さんが熱心に参加されました。
記念講演のテーマは【「生きること、学ぶこと」今、私たちはどうするのか?】です。
1918年生まれ今年満92歳になられます大田先生は、お歳を感じさせないほどしっかりした語り口で時には冗談を言って笑わせながら中だるみすることなく一時間半の長い講演を終えられました。
大田先生の講演内容の全文は後日主催事務局から発表されると思いますが、私が理解しました大田先生のお話を以下に箇条書きします。
1.人間は「自己の利益」を求める「自己中心」的存在である。
2.人間は「自己中心」的存在ではあるが一人では生きられない「他人依存」の存在でもある。
3.この自己矛盾をうまく昇華した詩が石川啄木の詩「一握の砂」の中にあります。
「こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂(しと)げて死なむと思ふ」
4.「こころよい」仕事とは「自分が満足する」仕事でありかつ「社会に役立つ仕事」を意味します。そのような仕事があれば自分は一生かけてもやり遂げるつもりだと石川啄木は詩っています。
5.人間は「教育」の力で「自己中心」の存在から「他人の利益」を考える「社会的公共性」を持つ存在に変えることが出来る。
5.「社会的公共性」とは子どもにとっては「こころよい遊び」であり大人にとっては「こころよい仕事」であります。社会には「完全雇用」が必須なのです。
6.「社会的公共性」には民主主義・平和主義の「柔らかい公共性」と戦前の軍国主義・ファシズムのような「固い公共性」がある。
7.権力は国民を「同化」するために「教育」を手放さない。「教育」を権力から取り戻すには「下からの草の根運動」が必要だ。
8.「教育」とはそれぞれの子どもに与えられている「設計図」を大人が寄り添い助言し励まして設計された通りに「花」が開くように手助けすることである。
9.「教育」とは劇場でありアートである。「教育者」はアーティストでありプロデューサーである。誇りを持って仕事すべきです。
10.子どもは親にとっては「異物」であり「遺伝子」でつながっているだけで「血」ではつながっていない。親は子どもを「自己所有物」として「同化」しようとしてはならない。
大田先生は今年の春「日中学生交流」発展のための新しいNPO創立のため請われて北京に行かれたお話をされました。中国は日本や韓国と同じく「受験教育」の弊害が著しくこれを見直すために「素質教育」に力を入れ始めたとの興味深い御話がありました。
大田先生のお話の中で特に印象深かった点は、「父母懇」のような「下からの草の根運動」が「教育」のあるべき姿を鮮明に描き出し、権力が手放さない「教育」を我々の手に取り戻す力になる、とのメッセージでした。
(終わり)
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