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2010年06月14日
「国民の生活が第一」、「コンクリートから人へ」、「脱官僚・政治主導」、「日米同盟の深化」を標榜し、民主党が有権者の圧倒的支持を受け、衆議院で308議席と云う議席を得、政権与党になってから1年も経っていない。
民主党は鳩山、小沢が辞任したと云うだけで、次に登場した菅直人と云う市民派を看板にする政治家は、その昨年の政権交代時に民主党が掲げた国民へのマニュフェストの基調理念を一夜にして無きものにした。いや、真逆の政策さえも実行しようとしている。
国民が抗議の声も出せないほどの電光石火で、かなぐり捨てたのである。見事な変身の術である。政治家個人が変身・変心・変節することは、その政治家の信条の問題なので特に異論はない。 しかし、一定のマニュフェストの基調理念を変えるのであれば、それはあらためて選挙の洗礼を受けるのが筋である。
勿論、菅直人にその洗礼を受ける誠実さなどは微塵もない。良いじゃないか、直近の参議院選で国民の洗礼は充分に受けられる。とやかく言われる筋合いではないと思っているだろう。
野党は自民党をはじめ全党あげて、民意を問えと怒っている。たしかに正論であるが、声は小さい。本来マスメディアのジャーナリスト精神が健全であれば、当然この野党の「民意を問え」を大きく扱い、それこそ「世論を喚起すべき」問題なのだろう。しかし、その兆候は見られない。
それどころか、マスメディアはこぞって菅直人政権に注文をつけながらも、世論を喚起させるどころか、菅直人政権の支持率アップに貢献さえしているのだ。
その理由が又単純なもので「官僚と仲良く」「米国の言う事を聞いて」「財務省の財政再建に尽力する」政治を行いますと「踏み絵を踏まされた」からである。第二小泉純一郎政権が誕生したのだから、特に世論喚起の必要はなくなったと云う事である。
この1年数カ月、政治的世論の中心は小沢一郎の資金問題に集約されていたと言っても過言ではないだろう。検察の度重なる小沢ターゲットの強制捜査がなされ、マスメディアが「小沢一郎=金権政治家」と云う大キャンペーンを敷き、死に物狂いでたった一人の政治家の政治生命を断とうと画策した。
検察の行動がどのような意図で行われたかここでは触れないが、マスメディアが「小沢一郎は悪だ」と云う世論を誘導する為に、全マスメディアが血眼になったのだけは事実として闇に消えずに残っている。 検察の恣意的捜査過程は事実関係の検証が容易ではないが、マスメディアが「小沢一郎は悪だ」と云う世論形成に、重大な役割、否、主役を演じた点だけは歴然とした事実である。
その意図を探る事も重要だが、事実か否かに関わらず「小沢一郎は悪だ」と云う世論が一般的国民に浸透した事実こそが重大だ。これは筆者が小沢一郎が好きだからと云う理由だけではない。右左関係なく、時には一般人を含め、マスメディアが一定の意図を持って恣意的に報道を繰り返せば、政治家すべて、否芸能人すべて、否国民すべてが「悪人」に仕立て上げられると云う事実である。
「世論」とは人々が共有する意見ってことだが、個人生活主義が蔓延し、村社会的な人間関係を失った現代人にとって、共有する意見を自発的に持つことは、ごく限られた人々の間でしか起きない。
多くの国民が共有の意見とか意識を持つ動機づけはマスメディアの情報が核となっている。その核が発する様々な情報の色づけによって、人々はどっちが良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとかを決める事になる。
たしかに、ネットメディアの普及などにより、マスメディアに登場しない真偽織り交ぜた情報に接することは出来るが、共通の意識である「世論形成」にまで至る事は現状ではあり得ない。やはり、現代において「世論形成」に最も影響力があるのはマスメディアである。
ただ残念なことは、様々なマスメディアがそれぞれの立ち位置によって、情報に色づけがなされれば、人々は考える、感じると云う自主的思考を持てるのだが、すべてのマスメディアが同一の色に染まり、同一の解説を加え始める最近の風潮は、マスメディアがジャーナリストとしての思考を停止したことであり、それを読み聞く人々の思考をも停止させてしまっているのだと思う。
突きつめて考えるなら、日本と云う国家が全国民・全組織を巻き込んで「思考停止」と云う状態に陥っているのかもそれない。思考停止状態だとの認識があれば、それはそれで救いがあるのだが、困った事にその意識すらもない。
反論を怖れずに言い放つなら、マスメディア各社は個性を失い、何かに感服、敬服、ひれ伏し畏敬をもって従属している。それを情報として思考停止状態で耳にする人々は、右にでも左にでも烏合の衆となって大移動する。集団自殺に嬉々として従う野鼠のようである。
昨日発表された朝日新聞の世論調査によると、参議院選の比例区投票先が民主党43%、自民党14%だそうである。これはどういう事を意味しているのだろう。
世論調査が捏造か誘導によるものか別にしても、あまりの激変ではないか。到底 国民が思考状態で答える能力を失っていると言っても過言ではないだろ。
過激な言い方をすれば、国民の多くが準禁治産者状態と云う事かもしれない。ひたすら風潮に流され、右に左に流されているだけのように思える。 霞が関では国民等と云うものは「有象無象」思考能力など無きに等しいと云う官僚世界の共通認識があるらしいが、現状を見せつけられると、うっかり納得してしまいそうである。(笑)
ウィキペディアによると、『世論と対外政策形成過程の関係についてはカナダの国際政治学者ホルスティがいる。
ホルスティは先進国における世論の形成者である国民を、国際問題に強い関心や知識・意見を持つ関心層、関心はあるが知識がないために政党やマスコミの意見を受け入れることで自らの意見を持つ中間層、知識がないため意見が持てない無関心層に分類し、政策形成の過程において関心層の影響力が大きいとした。
一般的な国際関係理論ではこのように無知な大衆を軽視し、少数エリート集団が 対外政策過程に影響しているように考える傾向が強い。現実主義的な世界観が国家を統一的な政治共同体として認識していることが関係しているため、内部的な 意見対立を研究対象としない場合もある。』としているが、最近の日本はもっと凄い事になっている気がする。
世論形成において、その絶対権力的存在のマスメディアが、右に左に動かして世論を誘導し、その結果生まれた「世論」を盾に政治家や政党に「世論政治」を強要する。
しかし、このようにして形成された「世論」をもって、議会制民主主義が左右されるのであれば、単なる世論迎合政治が跋扈するだけのことである。
菅直人がそのシンボル的政治家に今まさになろうとしている。そして、マスメディアは「世論政治」に抱きついた菅直人を愛い奴として扱いだしている。
政治的に、このマスメディアの世論誘導を徹底的に止めることは出来ないだろう。
言論・報道の自由の壁は厚い。
最終的には、自らの思考を停止させない人々が増えることだが、益々思考停止国民が増える傾向さえある昨今、果たしてどんな10年後の日本の姿が見られるのか怖ろしくもあり、僅かに愉しみでもある。
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